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2007年05月16日

密室家庭の変遷① 1950年代

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今や地方にも密室家庭が拡がり、家庭内の虐待問題などは都会だけの問題ではなくなっています。

しかし、少なくとも戦後から昭和50年代前半あたりまでは、密室家庭というものはありませんでした。

では、密室家庭はどこから生まれたのでしょうか?

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密室家庭とは…
近隣との付き合いがほとんど無い、あるいは表面的な付き合いはあったとしても近隣からの圧力がかからない、まさに聖域化した家庭の姿

といったあたりだと思いますが、1950年代当時、少なくとも庶民の世界ではこんな家庭はありえませんでした。

当時の状況を少し振り返ると…

終戦直後は餓死者も出るぐらい、国中が貧困状態に陥りしばらくは経済の復興もままならなかった。
その後、朝鮮戦争の特需が発生して、ようやく経済回復のきっかけとなるものが見え始めたのが1950年。
庶民は生きるために必死で働き、日常の生活の中での近所付き合いも相互に支えあうために大事なことだった時代。

…「Always 三丁目の夕日」 の時代ですね。

1955年からいわゆる高度経済成長期に入ります。
就職列車に中学卒業生たちが集団で乗り込み都会に出て行く光景は、地方から都会への人口移動を象徴的にあらわすものでした。
その後、地方から出てきて都会で働いていた人たちが結婚して都会で家庭を持つようになり、核家族が作られ始めました。

この時代、後の密室家庭に繋がるものとして核家族が出現しはじめたことがあげられると思います。
しかし、生活を共にする家族が単一の親子だけになったというだけでは、密室家庭にはなりえません。

実際、高度成長期に地方から都会に行った人たちは、地方で生まれ育ち、戦前教育の一端を受けたことがある人たちです。
この人たちは都会で核家族を持ち始めましたが、暮らしぶりは田舎の様子に近いもので、味噌しょうゆを貸し借りしたり、帰省したときの故郷のお土産を互いに分け合ったりと、近所とのつながりはけっこう濃いものがありました
なによりも、高度経済成長の担い手として、日々一生懸命に働き、家庭だけに収束するような生き方はあり得ませんでした。

密室家庭に直接繋がるきっかけは、その後、マイホーム主義と呼ばれた意識潮流だったと思われます。

・戦後教育で植え付けられた、自由恋愛・個人主義 が価値意識の底辺にあり
・高度経済成長を通じて地方から都会に人口が移動し、都会で核家族が作られたこととあいまって

家庭第一(マイホーム)主義=都会での豊かな暮らしは家族みんなの目標→自由気ままな消費こそが家庭にとってもっとも大事なもの、といった意識が一気に広がりました。
1950年代には、まだここまでは行っていなかったようですが…。

戦後教育の中で育った団塊の世代が、その普及の担い手でした。
1970年代に入り、マイホーム主義が広がっていきますが、その時期は団塊世代が結婚して家庭をもち始めた時期とぴたりと符合します。

…続きは、次の1960年代の分析で改めて見ていきます。乞うご期待!

by わっと

投稿者 wyama : 2007年05月16日 List   

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コメント

戦後民主主義思想→戦後教育の問題は大きそうですね

投稿者 iwai : 2007年5月17日 12:03

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