ゆとり教育の結果 |
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2007年04月18日
少年A
皆さん、酒鬼薔薇聖斗という名をご存知だろうか
1997年に神戸の連続殺人事件を起こした当時14歳の少年のことである。
もう十年も前の話になるが、当時はマスコミでも騒がれて、同世代をひとくくりに評論することも多かった。
私も当時大学生で、ちょうど知り合いに14歳の子がいて、興味本位に事件のことを聞いてみたりした。今思えばいい迷惑だっただろう。
同様の事件はしかし、その後も続いていくことになる。
2000年 西鉄バスジャック事件
2004年 佐世保小6殺人事件 などなど
参考:事件サイト
未成年の殺人事件がこうも続いてきたのはなぜだろう?
本人の特異性もあるかもしれないが、当時、言われていたのは、「普通」の家庭の子供の犯罪だった、ということだ。参考:るいネット
てことは、普通の家庭で起こる事件ならば、いつどこにでも起こりうる事件となる。
だから皆、この少年達の世代を不安に思ったのかもしれない。うちの子も、もしかしたら・・ 🙁
だとすれば、「普通」と言うのはおかしくないか。
今や皆、「オカシイ」家庭 なのではないか。
例えば神戸の事件の背景には、躾に厳しい母親、その家庭に無関心な父親という構造があった。父親の無関心に不満を募らせ、母親は子供に向かい、とにかく「自立」をしつけようと厳しくあたった。地域共同体の無いニュータウンも母親が子供にしか向えない状況を作ったのかもしれない。
しかし、この状況は今や地方都市にでも起こりうる「普通」の状況ではないか。
共同体の喪失、核家族化、個性教育など、これまでの社会背景がこれらの事件を生み出した。そして家庭を聖域化した現在、あらたな事件が起こる可能性はどこにでもあるということだ。
これ以上、少年Aを増やさないためにも、個人や家庭の問題ではなく、社会全体の問題として、家庭に代わる新たな子育て環境を創っていく必要があると思う。
投稿者 vaio : 2007年04月18日 TweetList
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コメント
投稿者 かわい
紹介リンクの「事件サイト」を見ると、なんとも言えない気分になりますが、その様な事件の背景に現代の“ごく普通の家庭”がある、と考えるともっと恐ろしいですね。
先日、アメリカで恋の妄想(暴走?)をきっかけに学校での銃乱射事件がありましたが、あのようなアメリカの姿を反面教師として日本を再生して行く必要性を強く感じます。