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2009年03月14日

婚姻史シリーズ(24)~恋愛の燃えカス~

さて、過去に遡って婚姻史と家族形態の変遷を調べてきましたが、「家庭の聖域化」がいつ頃顕在化したのかが、ほぼ明確になってきました。

今日はその核心部分のまとめと、その脱出軸を組み立ててみたいと想います。

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前稿

婚姻史シリーズ(18)~日本の家庭100年の激変史~

の図解にて示した流れの中でも、特に重要なのはこの 部分です。

戦後:           自由恋愛思想:家父長権規範の解体
経済成長  1970年            ↓
市場拡大→貧困の消滅 -→ ③恋愛婚が主流に 
                      ↓
              ④共同体規範の解体と現代的核家族家庭の誕生

何がポイントかと言うと、実は「恋愛婚の実現」がミソなんです。

それまで、お見合い婚が主流であった日本の家族観が、1960~70年を境目に一気に変わっていった。

その背景をもう一度良く見てみましょう。

恋愛観念そのものは、大正浪漫 :blush: という言葉があるように明治~大正期にかけて西洋文学等の輸入によって形作られたものでした。しかし、当時はまだまだ物語りの世界でしかなかったのです。

だからこそ、当時の知識人達は妄想逞しく「恋愛とは精神世界だ」とか、「いや、肉体関係まで行く事で初めて成就するものだ」等と激しく論争を繰り広げていましたが、それすらも庶民から見れば遠い世界でのやり取りに過ぎなかったのでしょう。

何故ならば、当時の庶民には恋愛よりも重要なものがあったのです。具体的には、

貧困の圧力→私権圧力⇒序列規範

として形成された家父長権規範、あるいは村の共同体規範など、生きる為に必要な規範こそが現実への適応を可能としており、恋愛等とは無縁の生活がしばらく続けられていたのです。

では、庶民の間にも恋愛観念が広がりだしたのは何時か?というと、戦後高度経済成長期となります。

加速度的に都市への人口流入が広がり、村を出た若者達=根無し草の男と女が、集中した。しかし、その当時の男女達が一気に恋愛に走ったのかと言えば、実はそうでもなかったんですね。

それを表しているのが、見合い婚比率の高さ。

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厚生白書(平成8年版)に婚姻形態の変化についてのグラフが掲載されていますが、1965年に見合い婚と恋愛婚の比率が逆転、その後恋愛婚が80%を越えたのは、1985年頃ですから、ごく最近の潮流といっても良いでしょう。

では、なぜこの高度経済成長期になり、恋愛婚が活性化したのでしょうか?

それが、上にあげた図解の部分なのです。貧困の圧力、あるいは私権圧力というものは、生存圧力をベースとしています。要は、序列に逆らえば生きていけない、という圧力が働いている状態。その様な圧力下において、自分の好きなように生きる、等と言うのはそれこそ妄想 😆 でしかなく、恋愛もまた物語の中の憧れだったのでしょう。あるいは、適わぬ現実だからこそ、強く追い求める対象であったとも表現できます。

ところが、徐々に豊かさが実現するにつれて、次第に生存圧力や序列規範といった抑圧から開放されていきます。これが、主体的に恋愛を選択するベクトルを高めて行った直接的な要因と考えられます。

しかし、恋愛とはある意味圧力に対する「反のエネルギー」でした。抗う世界があるからこそ、燃え上がったのです。その抗うものが解体されてしまえば、燃えるものも燃えなくなってしまう

皮肉な事に、「恋愛婚の実現」とは、圧力の消滅と比例した出来事であり、当然の帰結として恋愛婚家庭の築いた聖域は、まさに社会空間における無圧力空間と化していったのです。

さらに問題なのは、1970年当時はまだ恋愛=結婚(生涯唯一の伴侶を求めること)を目的とし、それなりに男女の活力源ともなっていましたが、規範解体後は好き勝手な男女関係が先行し、婚前交渉当り前の世界へと突入していきます。こうなると、益々男女関係は無圧力化。もう既に燃やすものすら残っていない、という燃えカス状態が、現代の男女関係の行き着いた果て、と見ることができますね。

さて、改めてこの構造を振り返ってみると、実に面白い事になっています。

この恋愛に注ぎ込まれたエネルギーの正体は、『独占欲』です。そして、現実には中々独占など出来ない、という社会的圧力こそが、「反のエネルギー」源として男女に活力(燃えあがる力)を与えていました。

しかし、よくよく歴史を調べてみると、ここ日本における庶民の男女関係には、独占欲など全く必要の無い世界がありました。それが、村を中心とした共同体規範、夜這い婚です。村の男女がみな交わる事によって、余計な争い事が発生しない仕組みが出来上がっていました。

それを国家の強制圧力によって無理矢理封じ込め、1対1の婚姻制度に押し込めようと画策したのが、明治以降。こうなると男女関係そのものが非日常化し、めったな事では手に入らない貴重なものとしての圧力が形成される。そこで、恋愛の登場。何が何でも手に入れようと、化粧に仕事に精を出す男と女の歴史が、1960年~の10年間。

ところが、なんのこっちゃない。行き着いた先は、元の村の夜這い関係と対して変らない、自由な男女関係(婚前交渉当り前の世界)だったとさ。 🙄

だけども、昔とは大きな違いがある。それは、男女交われど、安心基盤形成されず、というところ。

そう。集団を守る為の規範を解体してしまったが故に、基盤となるものが、何も無いのです。なので、とりあえず結婚、という制度に最後は依存するしかない。ここが、現在の思考停止部分でもあり、活力の出ない男女関係の核心部分であるとも言えます。

という事で、恋愛の燃えカスと成り果てた男女関係から脱出する為にも、今後は活力ある男女関係を目指すべく、安心基盤の再生に向けての追求に取り組みたいと想います!

皆さんも一緒に、こんな男女関係できたら良いな、というアイデアをバシバシコメント下さいっっ 😀 。

かわいでした。

投稿者 kawait : 2009年03月14日 List   

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コメント

もしかしたら違うかもしれませんが。

男性が「性的安定基盤」を、
女性が「生活安定基盤」を
結婚に求めているのだとしたら(結婚制度がそれを前提にしてるものだとしたら)、
最近の草食男子も頷けるのかなー、と感じました。
男性の「性的安定」が昨今の婚前交渉当然時代においては、がつがつする必要が無いんですよね。
逆に女性は相変わらず「生活安定基盤」を結婚にしか求められないのであれば、そりゃあ、がつがつして肉食化しますよねー。

投稿者 ななこ : 2009年3月23日 18:59

ななこさんコメントありがとうございます。

男の側は、そもそもあまり「安定」に対する執着はないような気はします。
むしろ、結婚する事で「安定」しなければならない事に対して、一歩退いているのが最近の草食群、と言える感じがします。

が、女性側についてはななこさんの意見に同意ですね。

投稿者 かわい : 2009年3月24日 21:01

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