学校ってどうなってるの?91~不全と解脱(ふぜんとげだつ)~ |
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2008年12月03日
不登校どうする?!7~家庭の聖域化と母親の自我収束~
【不登校どうする?!】シリーズの7回目です。
「学校よりも、家庭に問題がある」 (学校がいくら対策を練っても無駄なほど)という観点から、検証を進めています。
今回は、家庭の3つの共通構造で示された
【1】影の薄い父親
【2】過保護な母親
【3】子供の個室化
の2の構造に迫ります。
そもそも、1960年代に、市場拡大⇒職場と家庭の分断→家庭の密室化によって、子どもにとっては、母親からの期待が唯一の圧力源になっていました。そして最終的に、母親の「無期待」が登場し、家庭は、文字通りの無圧力空間となってしまっています。
家庭が不可侵の領域としてある以上その場の圧力は、母親の子供に対する接し方によって決まってしまいますし、それにより精神破壊された子供が増えている状況なのです。今回はそうした、母親の価値観の時代変遷=子育てに対する意識の変化を追って見ようと思います。
まず、精神病理を生み出す背景に「自分第一の母親」に育てられたという共通項があるとまとめられた『自分第一の母親が増えたのは何で?』紹介します。コレを読んでいくと母親の過保護の問題を感じられます。
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◆時代状況
非常に大雑把に時代状況を俯瞰してみると、‘60年代が高度経済成長の時代(私権闘争が活力源であった時代)、‘70年代が貧困の消滅とそれに伴う序列原理の無効化の時代(反身分・反差別など序列原理に対する反のエネルギーが出てきた時代)、‘80年代が、序列原理の無効化から目先の私益収束が進んだ時代(性権力の暴騰とバブルの時代)、‘90年代が収束不全が顕在化し共認収束を強めていった時代(性権力の衰弱とバブル崩壊の時代)ということができると思います。
◆60代
60代は、終戦後の貧困の圧力の中で幼少期を過ごし、私権獲得が活力源であった時代に思春期を迎えた世代ですから、比較的序列規範や私権規範が強く染み付いている世代です。私権主体としての自我はあるものの、規範意識によってある程度自我は制御している世代であると言えるかと思います。(子育ても役割規範意識が強いので、世話焼きの過保護になりやすい。)
◆50代
50代は、豊かになってゆく時代に幼少期を過ごし、‘70年の序列原理の無効化に伴う男女同権論・ウーマンリブの台頭、未婚の母や女性の社会進出の社会問題化といった時代に思春期を過ごした世代ですから、旧い序列規範や私権規範を捨象し、代わって平等やら人権やらといった反序列の観念で自我を正当化していった世代です。旧い規範を捨象した分、自分第一の自我は強まった世代であると言えるかと思います。(子育ても自分発の過期待や自分のやりたいこと優先の無期待になりやすい。)
◆40代
40代は、貧困が消滅してゆく時代に幼少期を過ごし、序列原理の無効化に伴う私益収束、性権力の暴騰といった時代に思春期を過ごした世代ですから、ますます規範性が衰弱し、我がまま・身勝手になっていった世代です。旧い序列規範意識や私権規範意識は殆どなく、かと言って旧観念にも収束できなくなった世代であり、剥き出しの自我が強くなった世代であると言えるかと思います。(子育ても、自分の我がまま優先でかつ観念も空っぽなので、教える中身が何もなく、無期待になりやすい。)
◆構造
このように、世代が下る毎に自分第一の自我は強くなっている傾向がありますが、その原因には、貧困の圧力の消滅⇒序列原理の無効化⇒反身分・反差別意識による旧規範の捨象⇒自我への収束という構造があるように思われます。
◆今後
所詮自我は共認に対するアンチであり、否定する対象である共認の中身(旧い序列規範や私権規範)が無くなれば、アンチのエネルギーもなくなります。‘90年以降は自我が衰弱してきているのも、もはやアンチの対象すらもなくなったという収束不全の結果です。そして、収束不全からの仲間収束という共認収束の意識潮流が、自我に対する新たな封鎖力となってきています。
この共認収束による自分第一の自我の封鎖が、今後若い世代が子育てを再生してゆく基盤になるであろうと思います。そして、自分からみんなへ子育ての課題を開き出してゆくこと、そして教えてゆくべき共認の中身(新たな規範と答え)を豊かにしてゆくことが、ますます重要になってゆくと思います。
過保護とひとえに言ってもコレだけ違いがある。
親の役割規範に基づく、手取り足取りやってしまう過保護に始まり、子供に目先の私権幻想を押し付ける過期待、収束先を失い、子供の個性に合わせて・・・といいながら自由放任という無期待などがあり、時代とともに過保護の中身が変わってきています。
そして、序列規範や私権規範が無くなり、アンチのエネルギーも無くなった現在、母親の自分第一という価値観のみが子供たちに影響を与える物となってしまいました。母親のそうした価値観が自分第一を転写した、自分第一の子供たち が、まわりの期待を受け入れられずに、不登校になって行くのではないでしょうか?!。
不登校になってしまった場合の家庭で出来ることそれは「過保護(自分第一)からの決別!」ではないでしょうか!!
それでは、次回は【3】子供の個室化 です。おたのしみに★
投稿者 shijimi : 2008年12月03日 TweetList
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コメント
投稿者 2310
写真の女子バレーボールの栗原選手のコメントが気になりますね。
「復活への鍵は、過保護との決別」・・・
これ、結構、キーワードだったりします。家庭であれ、スポーツチームであれ、企業であれ、過保護空間、無圧力空間、不可侵の密室空間は、隠蔽、騙し、欺瞞がまかりとおる場であることは、誰でも理解できます。
今後、社会不全が高まる中、そこでの行為は無視できないようになる気がしますね。