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2008年12月02日

学校ってどうなってるの?91~不全と解脱(ふぜんとげだつ)~

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サルと人まとめてファイルをダウンロード

ここでは【不全と解脱】という根概念について考えてみたいと思います。

人は飢えや怯えや苦痛などの【不全】感に苛まれると、顔をゆがめて泣く表情、あふれる涙という表現をします。この涙という表現も【解脱】の一つです。
古来より悲しいという感情は、単に個人の非充足の状態をを超えていると思います。
また赤ちゃんの天使のような笑顔は、周りの人々を捉えてほっときません。
人の表情は大きな感情の揺れを仲間に向けて示すことで、非充足にせよ、充足にせよ、言葉では表し尽くせない感情を周囲に伝えるのです。

ここで不全と解脱の関係をるいネットではこういっています。不全とは、機能不全のこと。機能不全に陥ると、飢えや怯えや苦痛などの不全感に恒常的に苛まれることになる。この不全感を麻痺させる麻薬回路が、解脱充足回路。サルや人類は、何であれ不全感が刺激されると、その不全感を和らげるために解脱回路に収束する。解脱の中心はスキンシップを原型とする親和充足と性充足。人類の解脱にはその他に、涙や笑いや快楽など(一般には娯楽)がある。

【登校拒否が起きるのはなんで?】
親が子供の言いなりになる、また密室家庭の弊害で親の目が子供に行き過ぎてすべてが嫌になる
家庭からスキンシップを原型とする親和充足がなくなって久しい。
失敗を家庭が原因だと気付かずに、学校や社会のせいにしてしまって、家庭はこのままでいいと思い込んでいる点。モンスターペアレンツも発生原因にも関係すると思います。

【いい先生とは何?】
生徒がどのくらい心からありがとうと言ってくれるかということです。塾に来るようになって学校にも行けるようになったとか、部活で活躍するようになったとか、家で話すようになったとか、何でも良い、その子が一番できなかったことができるようになれば家の方から見れば一番変わったと感じるのでしょう。子供同士の評価でも同様です。
こういう言葉では表し尽くせない感情を周囲に伝えるのです。
言い換えれば、主体と外圧、主体と仲間(共認)の間にある壁をいかに少なくするかを意識して課題化するということのようです

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続く 

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以下るいネットの関連投稿です。読んでみてください。
課題がなければ「いつでも充足」に流れる共認動物  
 さて「実現論」によれば、共認動物(原猿)は飢えと怯えの不安(不全)から解脱充足に可能性収束した、と述べられています。
 これは現実課題=縄張り獲得が不可能であり(=答えがない)、そうであるが故に突破口にはならないが、絶え間なく生ずる不全を解消し充足する、という可能性に収束したと捉えられます。
 
 つまり「答え→課題(=対象と行動)に探索可能性を感じなければ」、少しでも充足可能性を感じる方向に収束する、という適応欠乏の原理?はここでも貫かれていると思います。

 またその後真猿は、同類闘争や餌の探索などの”課題がない”とき、つまり閑な時は年がら年中スキンシップ=”いつでも解脱充足”をするようになっています。
 
 要するに本能にない共認機能を使っているサルと人類は、常に微小なりとも不全感が生じていることも加わって、「課題がなければ(見えなければ)いつでも解脱収束する」という事は適応欠乏次元での習性と化していると言っても良いと思います。

 実際その後私権時代に入って制覇安定を手に入れた支配階級は、さしたる現実の生存課題がなくなり、いつでも手軽な充足を求めて市場の母胎(欠乏の源)を作り出しました。逆に現実の可能性を閉ざされれた奴隷たちは、かつての共同体に代わって「家庭」という「いつでも充足」の場を渇望しそれを作り出し(与えられた)ました。

 そして貧困が消滅し、私権圧力が衰弱し、生存課題から解放された人々はいっせいに「いつでも充足」にベクトルを切り替えました。

 概略ですが、いつでも充足を巡ってスケッチしてみました。要するに課題がなければ=可能性が感じられなければ、充足可能性に収束する、という法則性があるという事です。もちろんこれ自体をもう少し検証してみる必要はあると思います。
 
 しかしそこで直ちに出てくる問題は、では「課題はなくなったのか?」という問題です。いうまでもなく私権課題は存在しているので、人々は私権課題=仕事には動くし、頭も使っています。
 問題は現在議論されている、社会課題が何故課題化されないのか?という点を巡る問題になるのではないでしょうか?
 つまり生存課題や私権課題は課題化されるのに、社会課題や観念課題はなぜ、今課題化されていないのか?という問題です


社会統合の場と収入がないから
>社会課題や観念課題はなぜ、今課題化されていないのか?という問題です

社会統合という課題は人類が初めて直面する未明課題です。掠奪闘争以前は人類は各単一集団が独立して暮らしていました。掠奪闘争によって社会が形成されましたが、それは私権の強制圧力によって強制的に統合された私権社会でした。官僚や政治家・マスコミといった社会を統合する階級も各々は単一集団として動いており、自集団の利益第一というパラダイムを超えることはできませんでした。
社会を統合する組織が実は単一の集団でしかなかった、にもかかわらず社会が一応統合されていたのは私権の強制圧力の力によってでしょう。各単一集団が自集団の利益を追求することが豊かさという社会課題の実現につながったわけです。私権の強制圧力によらずに、人々の共認によって社会を統合するというのは人類にとって初めての未明課題であり、単一集団を超える社会を統合する組織=場がないからこそ、社会が課題化されないのではないでしょうか?

しかし、農業生産時代には農民は隣村やせいぜい藩しか知りませんでしたが、TVや新聞によって話のネタや解脱対象として社会は対象化されています。インターネットという人々をつなぐ手段も生まれました。社会を統合する不可欠の要件である物流システムも市場によって用意されました(歴史的にみれば、市場の役割とは物流システムを用意することだったのかもしれません)。

では何が足りないのでしょうか?市場は社会を統合するシステムでありながら、そこには社会統合課題は組み込まれていないのです。私権追求のための仕事は収入になるが、社会統合課題は収入にならない。今まで特殊な思想信念に固まった人しか動かなかったのも当然とも言えます。

単一集団を超えた組織=場が、ネットなのだと思います。その場の形成(投稿)と拡大(勧誘)に対して収入を保障することが社会統合を課題化するカギとなるのではないでしょうか?

難課題だからこそ解脱充足を求めるのでは? >課題がなければ=可能性が感じられなければ、充足可能性に収束する、という法則性があるという事です。もちろんこれ自体をもう少し検証してみる必要はあると思います。

共認存在とはある意味で本能だけでは安定しない存在であってみれば、常に少しでも可能性のあるもの=充足できるものを求めてしまう存在であるという視点はよく分かります。人類のアキレス腱といってもいいでしょう。しかし、この過渡的な解脱充足が足場となってサル、人類は新しい適応態へとステップアップしてきたという視点も必要だと思います。そしてそう考えれば、現在の「いつでも充足」も可能性として評価しうるものだと考えます。(もちろんそこで止まってしまったのでは何の可能性も見出せませんが)

>しかしそこで直ちに出てくる問題は、では「課題はなくなったのか?」という問題です。生存課題や私権課題は課題化されるのに、社会課題や観念課題はなぜ、今課題化されていないのか?という問題です。

社会課題は「なくなった」といえるのでしょうか?多くの国民が小泉に飛びつくという状況は、「社会課題が難課題すぎる時、人々はどうするか?」という前提から生まれたものではないでしょうか?

つまり「社会変革という課題も、観念的課題も確かにある」しかし答えが見つからないという不全下(この不全度は原猿や初期人類と比べても決して小さいものではないのだと思います)だからこそ人々はより強く不断に解脱=共認収束するのではないでしょうか?

従って、今、人々が求めているのは、深い不全感に答えるための、様々な欺瞞観念を超えた根底的な答えであり、と同時にそれから脱出するための不断の解脱=共認収束…そのいずれもがセットになった場なのだと思います。そう考えると「ネットはまつりの場」=答えの場であり同時に親和=共認充足を得られる場であるということが実感を持って体感できることこそが、やはり突破口ということになるのではないでしょうか?
ただこの見方でも異端視問題は答えられていませんが…。

投稿者 tennsi21 : 2008年12月02日 List   

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コメント

>親の目が子供に行き過ぎてすべてが嫌になる

って、何のことを仰っておられるのですか?お教え下さい。

それと・・・

このことと「不全と解脱」はどう繋がっているのですか?

投稿者 さいゆー : 2008年12月9日 22:22

「不全と解脱」わかったようで分かりにくいです。なんか、拡散傾向にありませんか?

●たんに、不全とは機能不全のこと。
飢えや怯えや苦痛など
●たんに、解脱とは、その不全感を和らげる、あるいは、麻痺させること。
親和充足の代表のスキンシップや性充足(セックスなど)
ですね。

続きの部分が長く分かりにくいです。
また、
【登校拒否が起きるのはなんで?】の理由はなんですか?
【いい先生とは何?】
いい先生とは価値感の問題にもなりかねませんので答えがでないように思いますが・・・

どうでしょうか?整理が必要と思います。

投稿者 2310 : 2008年12月9日 22:23

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