明治初期、教育制度改革と庶民生活の実態 |
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2008年06月23日
学校ってどうなってるの?63~四書五経・四書の「中庸」~
四書五経・四書の「中庸」とは・・・・「中庸」
●「中庸」
・前430頃書かれたもので、『大学』と同じくもともと『礼記』のうちの一篇。中庸とは偏りが無く永久不変という意味で、道徳の原理、不変の道理を論じたものです。『史記』孔子世家が「子思は「中庸」を作る」とすることから、孔子の孫、子思の作の様子。
ここで解説文が読めます。中国的こころ
【中国的こころ】のメインページはこちら・・・
孔子の思想は、政治(治人)と倫理(修己)にあります。「大学」は政治に重点が置かれ、「中庸」には、倫理が主眼点となっているようです。
ここのHPでは、
「朱熹の章句の冒頭によれば、『中庸』は孔子の孫にあたる子思が「道が衰え、伝わらないのを恐れて著した。」とあります
が、後世の学者によれば、子思の著書かどうかは疑わしいとされています。また、朱熹の注では「中」とは偏らないことを意味し、「庸」とは易(か)わらないこと、と説明しています。」
その中身は
『中庸』の中では、「中庸」の徳をくわしく解説している。しかし、『中庸』は、「中庸」以外に、「誠」、「性」、「道」、「慎独」など多くの概念についても述べている。この中で、「誠」は「中庸」よりも一層重要な概念であることも言われている。
「中庸の徳たるや、それ至れるかな」
(意味) 過ぎることなく、及ばぬこともなく、常に変わらないことが、徳として最上のものである
と孔子が中庸の徳をと説いたとされます。
中庸という概念を使って展開される四書五経の「中庸」は、老荘家に対抗するための仁の前の根本思想を示したものともいわれますが、中庸とは、潜在思念に従えといっているように思います。いま、もっとも学校や教育に必要なものかも知れません。
第一章の解説を続きに記載しておきます。
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中国的こころより。
【第一章】
天の命によって、先天的に具有しているものを性といい、その転生に従うことを道といい、その道を修治し品節して天下の法則とすることを教えといいます。
■意味
老子の一派が、先王の道をもって偽りとすることに対抗して、先王の道が尊いことを説いた章。
万物は道から離れることができないものであり、もし離れることができるとしてもそれは道とは言えず、また性に従うものではありません。ゆえに、君子は常に敬しみ畏れて修養を心がけ、目耳に入らないものを畏れるのである。幽暗のところ、微細のことは、現れないけれども、一たび現れると止むことはなく、ゆえに君子は常に戒慎恐懼して、人の知らざるところ、自分ひとり知るところについて最もこれを慎むのです。
喜怒哀楽がまだ発せられない状態を中といいます。喜怒哀楽が発した状態を和をいいます。中は寂然として動かなくても、一切のものにみなこれが備わっています。すなわち天下の大本であるのです。
和は天下の達道です。よく中和を押し極めることができれば天地もまたその所に安んじ、人も物もみな安らかになり、万物が成育するのです。
孔子より受けた教えの趣意を述べたものです。
はじめに道の大本、根源は天より出て、一定不易のものであり、その実体は自己に完備していて決して離れることのないものです。
次に君子は常に敬虔の心をもって、まだ見聞せずとも戒慎恐懼して天命の性(先天的具有)を存養し、聖神の徳のある人はよく中和を致してその功業化育の極致として万物に至る事を言っています。(つまり天からさずかっている性に従って、外界の誘惑に惑わされるなということ)
のようです。
投稿者 2310 : 2008年06月23日 TweetList
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