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2008年06月26日

共同保育の可能性(^υ^)/part4~共同保育事例:イスラエルの生産共同体キブツの「子どもの家」

共同保育の可能性(^υ^)/part1 /part2/part3 に引き続き共同保育の可能性を考えてみます。今日は、共同保育の事例として、イスラエルの生産共同体キブツの「子どもの家」を紹介します。

キブツ(KIBBUTZ)とはヘブライ語で「集団・集合」を意味する言葉です。

キブツの数は現在270近くあって、そのメンバー総数は約130,000人でイスラエルの人口の約3%を占めていて、イスラエルの農業生産の40%、輸出向け工場 製品の約8%を生み出しています。

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     ↑キブツの人々(写真は、株式会社テマサトラベルさんからお借りしました)

かつて、キブツの子ども達は親とは別に「子どもの家」で共同生活を送っていました。しかし、キブツを取り巻く状況の変化に応じて、現在の「子どもの家」は子ども達の共同生活の場ではなくなっているようです。

キブツの子ども達の共同生活の場「子どもの家」の実現基盤はなんだったのか?それが変わっていったのはなぜか?から共同保育の可能性を探ってみます。

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◆設立当時のキブツ
・イスラエルで生まれた「キブツ」と呼ばれる共同村は、1909年帝政ロシアの迫害を逃れた若いユダヤ人男女の一群が、パレスチナに帰って、最初のキブツ・デガニアをガリラヤ湖畔に作ったところから始まった。

「能力に応じて働き、必要に応じて消費する」、自給自足、私有財産の否定、子供の共同生活、業務のローテーション、世俗主義、といった社会主義的属性を持ちつつも、キブツ内では民主主義が貫徹していたし、キブツのメンバー達は、イスラエル社会全体をキブツ化するつもりもなかった。彼等は、あくまで資本主義社会の中での社会主義的コミュニティーを追求した。なお、メンバーをユダヤ人に限ったということもキブツの重要な特徴。

キブツでは、共同体内での平等が非常に重んじられていた。例えば、どんな仕事(食堂の皿洗い、バナナの収穫、共同体の経営事務、トラクターの運転、キブツに付設する工場の管理や技術職など)をしても原則的に同じ賃金だった。住居も、家族人数にもよるが、同じ広さのアパートに住んでいた。また、三食の食事は、食堂で食べることになっていた。住居には簡単なキッチンがあり、週末など自宅で食事をしたりした場合もあるが、基本的に食事は食堂だった。自動車も共有で、最近、時折環境対策として話題になるカーシェアリングだった。仕事や休暇のローテーションなど、共同体の住民生活と仕事に関する様々なことが、食堂での集会で決められた。

・キブツでは、子どもを「ある親の子ども」としてではなく「キブツの子ども」として、親だけでなく共同体全員で育てる。夫婦は同居するが、子どもは親とは別に「子どもの家」で生活し、保母が養育を行う。学校もそこから通っていた。親の家には週末、場合によって週日の夕食後など1~2時間ばかり戻って一緒に過ごしていた。つまり子どもたちは、世話役の大人たちと、キブツという共同体の中であえて親と離れて共同生活をしていた。個々のキブツによるが、幼児も親元から離れて「子どもの家」に住んでおり、親の家に定期的に帰る生活をしていた。

◆現在のキブツ
社会が豊かになるにつれ、非常に平等主義的であり、集団により個人の自由やプライバシーが拘束されるキブツの制度は敬遠されて少しずつ緩やかになっていった。最近では平等主義・共同体主義のキブツはほぼ無くなっており、ほとんど普通の街や農場と同じような生活をしている。

イスラエルの最も古いキブツであるデガニアが、2007年、平等主義を捨てて、メンバーに業績に応じて給与を支払うことにしたことが話題になった。キブツの社会主義的属性は次第に水で薄められてきており、「能力に応じて働き、必要に応じて消費する」考え方を放棄するに至った。キブツ内共同労働も減っている。

・現在の家族は普通は4人か5人。子どもが3人いる家庭は珍しくなってきた。普段の生活は核家族だが、週に1度、たいていは金曜日の晩に親戚中が集まって食事をする。過越しの祭りや新年には海外からも大勢の親類が来る。子どもたちも最近は家族と暮らしていて、「子どもの家」には放課後や行事の時に集まるようになっている。

家庭では、何より子どもの教育が重視される。「ジューイッシュ・マザー」(ユダヤ人の母)という言葉が「教育ママ」の別名であるように、教育熱心なお母さんは世界的に有名。子どもの教育は両親の責任なので、夫も仕事を終えればすぐに帰宅する。


キブツの「子どもの家」という共同保育は『生産と消費が一体となった共同体』で実現していました。しかし、豊かさが実現しキブツが『核家族の集合』へと変化する中で「子どもの家」も子たちの共同生活の場ではなくなったようです。

このキブツの事例から考えると、共同保育の実現を目指す上で、【仕事の場(=生産の)と家庭(=生殖の場)が一体となった場】が重要なキーワードになりそうです。(さいこう)

※キブツの紹介内容は以下のサイトの情報を元に編集させていただきました。ありがとうございます。 😀
  ◆ウィキペディア(Wikipedia)~キブツ
  ◆核武装と日本の軍事戦略-防衛省OB太田述正ブログ~キブツの終わり
  ◆海外子育て事情~イスラエル キブツの「子どもの家」の思い出
  ◆株式会社テマサトラベル~キブツ体験

投稿者 sachiare : 2008年06月26日 List   

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コメント

子ども同士の社会、他人の大人に育てられるなど、様々な関係性を幼い頃から積極的に与えていたんですね。
それが毎日の生活の延長にある・・

ぼくたちも生活の身近なところに、豊かな人間関係を築ける場を設ける必要がありますね☆

投稿者 カルマン : 2008年6月28日 20:07

カルマンさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

>ぼくたちも生活の身近なところに、豊かな人間関係を築ける場を設ける必要がありますね☆

日本では、仕事の場(=生産の場)と家庭(=生殖の場)の分離が定着したのは、高度成長期以降でしかありません。

それ以前は、長い間、生産の場と生殖の場は一体でした。それらの事例を発掘、参考にしつつ、これからの可能性を考えて行きたいですね。

投稿者 さいこう : 2008年7月3日 23:14

共同保育には共同体が適しているんですね・・・
「自分の子」ではなく、「キブツの子」として育てるってところに子育てのヒントがあるように思います。

昔の農村でもそんな雰囲気がありました。

今の社会ではまだむずかしいと思いますが、地域の繋がりの重要性や子育てサークルなども増えてきて、少しずつ動き出しているのかな・・・

投稿者 サスライ : 2008年7月5日 22:43

>昔の農村でもそんな雰囲気がありました。

たしかにそうなのかも知れませんね。キブツはイスラエルの共同保育の事例ですが、昔の日本の村にも「村の子」とし育てる風土があったように思います。日本の事例も探してみたいですね。

投稿者 さいこう : 2008年7月10日 23:18

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