子育て収束不全?! |
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2008年04月17日
子供同士の遊びの中で大切なことを学ぶ
先日、法事で大人30名、子供10名ほどが親戚が経営する民宿に集まりました。 法事の後、50畳ぐらいの広間でとりどりの家族が、食事やら、 昔話に花 を咲かせ、ふと、歓声の上がった方を見ると、民宿のお兄ちゃんたちの子供達と、親戚の年が近い子供達が、誰が誰の子?か分からない感じで丸くなって遊んでいます。子供同士、仲良くなる速さも驚きでしたが、その後、一泊二日の滞在期間TVや、。ゲームで遊ぶ姿を一切見ませんでした
子供の頃、年上の子供が年下の子供を仲間に入れて遊んだり、遊び方を教えたり、自由な遊びを通じて、子供の連帯感 :tikara: 、危険かどう 🙄 かの判断等が自然に身についていたもの でしたが、今でも場さえあれば、大人が用意した企画やゲームがなくっても、充分遊べるんだ !と、先が明るくなる思いがしました。
子育て 、人育て のためには、社会を対象とした外圧を捉えさせることが絶対不可欠なのです。
その外圧にさらされる中で、子供達は対象を拡げ、状況を読んで動くことができるようになるし、指導や牽引などの役割を担う :tikara: ことができるようにもなっていきます。
子供達を育てていく・外圧をかけ続けていくためには、集団自体を再編し、家庭と社会が密接しているような集団や場の構築が必要不可欠ではないでしょうか。
同類圧力が働けば子供は成長する。物事にどう対処していったらいいのかは、子供達同士課題、遊びのなかでで学ぶ ことが大きいと感じました。
親が与える知識だけでは限界がある 🙁 のは分かっていましたが、親が知る知識以上に与えようとしたら都会では、農業体験にせよ、職業訓練にせよ、全てにお金がかかります。ですが、親がするやるべきなのは、同類圧力が働く子供同士が集まれる場の設定など、きっかけを与えるだけで今でも充分ということ。そうした場を作るという課題が、現代の大人(親達)には有ることを感じます。
投稿者 shijimi : 2008年04月17日 TweetList
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コメント
投稿者 ノリアキ
ノリアキさん
こんにちは☆コメントありがとうございます☆
ノリアキさんが仰るように最近の父親がギャング・オヤジになっていますね~。
逆に、子供も父親を友達ぐらいにしか思っていないような感じ。父親の威厳はどこかに行ってしまったかのようです。父親というより、やさしくって、親和たっぷり、お母さんになっているな、と感じます。
最近は、お父さんへの期待がなんだかずれていますね。お父さんはやっぱり外で闘って欲しいし、貧しい時代の地域での子育と同じように、豊かな時代の地域子育てみたいな仕組みを真剣に考えて欲しいなぁと思います。(もちろん母親もですが・・・)
そもそも、お母さんも子供が預けられるようになったらどんどん仕事したほうがいいんじゃないかな。そのほうが、子供に外の規範(家だけの規範じゃない)が伝わるように思いますね。
投稿者 shijimi
今、自分もそれを非常に痛感している所です。
同じ子供でないと学べない人間関係。時には意見が対立したり、衝突して喧嘩になったりするのも勉強になるし、反対に相手を敬う気持ちも自然に芽生えたりするものだと思います。
第二次大戦後~高度経済成長期の日本は、貧しいながらも子供同士の関係は現代より非常に濃く、空き地や公園、幅の広い歩道でも子供が沢山集団を作っていろいろ遊んだり、戯れたりして賑やかだったと思われます。当然、1970年代の「ど根性ガエル」「ドカベン」等アニメにも描かれる事が有りますがキャッチボールをしていて、隣の民家の窓ガラスを割ってしまい、怖いおじさんから雷が落ちたりして子供達が必死に謝ったりするとか、近所の店で万引きしたりして店員に叱られたり、呼び出された親にもこっぴどく叱られる。子供はまだ未熟だから悪い事をする事が当たり前だけど、でもそれを悪いと戒める大人や父兄の存在もあって人間関係は現代よりしっかりしていたと思います。
しかし、現在は、子供同士の関係が希薄になっており、土地開発や住宅整備、道路建設で昔よりもすっかり減少してしまった空き地や公園。それによる子供が群れるためのスペースの減少。それに追い打ちをかける少子高齢化と凶悪犯罪に巻き込まれないために子供が外出を避けるようになった事。しかし、最大の理由は他の書き込みでも述べている過保護・過干渉の優しい大人の存在ではないでしょうか?。
現在は、かろうじて平日の午後は広い公園や建物の広い敷地で少人数で子供同士の戯れが見受けられます。昔のおにごっこやかくれんぼ、だるまさんが転んだ、木登りといった元気で威勢のある遊びは減り、代わりに携帯ゲーム機やムシキングやポケモン等キャラクター商品で友達と自慢ごっことかいろいろ語り合うといった大人しい付き合いみたいに変容しています。これも子供同士と言えますがもっと体を使って、動かして遊ぶという事も必要でないでしょうか?
休日はどうでしょうか?。以下の書き込みも参照。
http://blog.katei-x.net/blog/2007/01/000111.html
一部は子供同士の戯れも有りますが、公園や広場では高い割合で父親が子供の相手をしており、それも昔の威厳を持った父親でなく、一緒に気軽に友達感覚で遊ぶ。戯れる。はしゃぎ回る優しさと迎合性を持った父親です。自分は社会学者でも発達心理学者でもありませんが、子供にとってこれがどう映るのか?。親を含め周りの大人や社会そのものを甘く見るとか、ナメた態度を取ったり、昔は厳しさを教えてくれたはずの「父親」の崩壊により、子供が厳しさを覚える。精神を鍛錬する機会が減少し、世の中をうまく渡っていけないひ弱な人間になりはしないか懸念がある事です。
しかし、ここでは述べませんが、今の子供は意外と現代社会に対して冷静に見ている所があって、ある小学生の子はウチのパパは子どもっぽいんだよ。うるいさいんだからとか、変なマネして気分を悪くする事はしないでよとか、今の現状に対して迎合するのでなく、これは良くない!と、見つめている事です。他、深刻な地球環境問題にも真剣に考える子供も多くいるとか、興味深く考えさせられる所もあります。
あと、こういう社会の取組みは非常に大切だと思いますが、重要なのはサポートする大人の「質」が問われます。
このテーマでもある子供同士のふれ合いですが、地域社会や教育関係者が、放課後の学校や地域公民館や文化施設等で、もっと子供をのびのびとさせよう!。つまり子供同士の横のつながりを深め、もっと活性化させようというのが狙いで、このテーマにピッタリな解決策の一つになります。
しかし、テレビのニュースや実際にそういう取組み活動を見ていると、確かに子ども達は無邪気に元気にはしゃいで、のびのびとしていますが、よく見ていると大多数が若い男性のスタッフでしょうか?子供同士のつながりではなく、その男性スタッフに子ども達がのっかかって遊んだり、男性の顔を子供が取り囲んで触ったりとか、威厳を失ったり迎合する大人の存在。あるいは子供に慕われたり懐かれようとバカなマネをして下品な態度のスタッフもいたりとか、「人材」の品質に問題も有ります。
所詮、これも大人の用意したモノであるから・・・
やはり一番理想なのが、子供の自主性で子供同士の絆を深められる。そういう事が自ら行える環境は大事ではないでしょうか?
そうなると、終戦後の焼け野原の状態で大人は必死に復旧や社会の構築で忙しい状態で他に構ってられないかつ、子供は多いために、大人(父親は復旧や社会構築で暇がない。母親の方)が子供の相手をする事になります。しかし、家事や炊事で忙しく、実際は子供は孤立したのと同じ状態になります。
そうなると、近所も含めた子供同士の和が芽生え、横のつながりとして栄える事になります。1970年代までのそういう子供同士のつながりという文化はここが発祥でないでしょうか?
子供同士の戯れを別名でギャング・エイジ(正確には小学高学年前後の男の子の戯れ)と言いますが、現在は未熟な父親を称してギャング・オヤジ(笑)になってしまうね。