「不登校が輝く」学校 |
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2008年02月01日
不登校→フリースクールの問題点
フリースクールも様々な運営形態があり一括りにはできませんが、基本的には家庭にも学校にも居場所がない子供達にとっての居場所になっています。
何故居場所になれるのでしょうか?
それは、子供の自主性が尊重されていて、強制的に何かをやらされるということもなく、大人と子供は対等な立場で遊んだり勉強したりできるという自由な空間であるそうです。スクールの中にはゲーム、漫画、音楽、本、インターネットetc・・・が用意されており、自分のやりたいことを1人でやるもよし、仲間と一緒にやるもよし。勉強がしたければ勉強も教えてもらえる・・・
つまり、“何でも自由”な空間なのです。
いじめや家庭不和等の問題により居場所を失った子供達にとって、フリースクールとは引き篭もっている自分の部屋よりも快適な居場所になっているようですが、その中で生活する子供達は将来社会に適応できる人間として成長していけるのでしょうか?
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あるフリースクールでは、「学校に行きたくなければ行かなくていい」「部屋に閉じこもっていたければ閉じこもってていい」と教えているところもあるそうです。不登校といっても、学校に行きたくない子だけではなく、行きたくても(怖くて)行けない子もいます。そんな子達に上記のような自由な空間を与えることは、自分の部屋に閉じこもっていることと何も違うようには思えません。
どちらも無圧力空間でしかないからです。
彼らは学校での仲間圧力を越えられない壁として意識しているから、頭の中で自己を否定したり他者を否定して部屋に閉じこもっているのではないでしょうか?本当は仲間の中に入ってみんなと充足したいはずなのに、圧力から逃避して「できない」という否定視を作り出し、自己中思考になっているだけなのです。それに対して「そのままでいい」と応えたり、自由な空間を与えるということは、問題の解決にほど遠いばかりでなく、悪影響でしかないと思います。
学校の仲間圧力に耐えられないのは対象同化能力が貧弱だからであり、その原因は、密室家庭の中における親の無期待という無圧力な空間にあることは間違いないでしょう。だとすれば彼らには何が必要なのか?
対象同化能力の再生
彼らが将来社会に出て行けるかどうかは、これにかかっています。本来なら仲間空間の中で、遊びや課題や期待や役割を通じて得られる充足体験を積み重ねることで育てられるもの。
これが真っ当に形成されていないのだから、それを正しく再生させてあげることこそが彼らに必要なことです。そもそも課題や圧力のない密室家庭や学校では解決できない問題を、フリースクールに押し付けている事自体問題なのですが、今のフリースクールはその問題を助長させているだけのような気がします。
投稿者 hiroaki : 2008年02月01日 TweetList
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