| メイン |

2021年07月15日

これからの教育キーワードは「没頭力」

 

外遊びでも何でもいい。「やらされ」ではなく、まわりの声が聞こえないくらい何かに没頭した経験があることってすごく重要・・・・

これって管理して枠にはめることと対極にあると思いませんか?

親のありかたも考えさせられます。

 

 

https://resemom.jp/article/2018/01/31/42598.html

より引用します。

 

子どもの可能性を最大限に伸ばし、未来を自ら切り開いていく子どもを育てるために、親は一体何をしたらよいのだろうか。東京大学名誉教授、白梅学園大学学長の汐見稔幸氏と、「花まる学習会」主宰の高濱正伸氏に話を聞いた。

 

◆これからの教育キーワードは「没頭力」

–2017年10月、ポプラ新書より汐見先生の著作「『天才』は学校で育たない」(ポプラ社)が発行されました。日本の教育システムについて問い、子どもの才能を伸ばすためにどのような教育がなされるべきかを論じていますね。親ができることについては、高濱先生もさまざまなメディアで言及しています。情報があふれる昨今だからこそ、親として子どもにできることは何か迷っている方も多いと思いのでしょうね。

 

高濱氏:ここ数年、さまざまな家庭に出会う中で、すごい子どもが育つ環境は何が違うのかを自分なりに抽出したら、3つあったんです。まず、お母さんの安定感。“バリキャリ”で忙しいお母さんでもいい。いかにイキイキとしているか、ニコニコしているかがやはり大事なんです。

 

それと、よく言われることですが読書体験。思春期以降でもいいんですが、ある時期、読書に浸るという経験の大切さは、親たちが思っている以上に大事だと思います。

 

そして「没頭力」です。外遊びでも何でもいい。「やらされ」ではなく、まわりの声が聞こえないくらい何かに没頭した経験があることってすごく重要なんですよ。

 

汐見氏:僕は、没頭するということでは人後に落ちないつもりです(笑)。中学生の時は気のあった友達と一緒に、工場の2階の物置のようなところに実験室を作って、爆薬づくりをやろうとしてね。足りない薬品や資材は、学校の実験準備室にたくさんありますから、それを“平行移動”して…(笑)。

 

枝付きフラスコに、当時出回り始めたアルミホイルを入れて、苛性ソーダの液を入れてみた。でも何の反応もないから「やっぱり、この本は間違ってるんだ」って思ったけど、1時間くらいすると何か泡のようなものが出始めた。「水素だったら火がつくはずだ」って、枝付きフラスコの口元に火をつけたら…ボッカーン!

 

高濱氏:(笑)魅力的な人にはそういう人が多いんですよ。今の社会では、「人はこうでなければいけない」という正しさに凝り固まっていますからね。枠がきちんとありすぎて、そんなこと思いつきもしない、という子どもは多いでしょう。でも、どこかで一回爆発させるというか、周りを困らせるぐらい“やらかす”ことで、自分に必要なことかどうかが見えてくるんですよ。

 

◆枠にとらわれない子どもに

高濱氏:わが子のことだと、親はなかなかそうは思えないものですが、子どもは、規範からの脱皮というか、一度は殻をぱかっと破る時期があることが大事なんですよ。聞いた話によると、アメリカでは「劣等生が会社をつくり、優等生がそこで働く」のだそうです。

 

汐見氏:途中で退学になったとか、学校のきまりを守らずに問題視された子のほうが成功するというデータがあります。反対に、優等生のほうがつまずきやすいのは、なぜかということですね。要するに、レールに乗っていくだけでは、人生おもしろくない。もっとおもしろくしたいと思うと、枠を当然はみ出すわけです。しかし、はみ出したら、自分で何とかするしかないんですよ。

 

高濱氏:失敗したら自分で背負うしかない。そもそも、ビジネスというのは、そういう戦いですからね。全然予想どおりにいかないし、途中で誰かに裏切られたとか、そんなことばかりのなかで、目標を達成することへの情熱を持ち続けられるかということですから。

 

汐見氏:それがやっぱり、枠にとらわれずに若いころにいろんなことに没頭することによって身に付くんだと思います。一回はそうして枠を出ないと、本当には大成しない。

 

◆幼児期から伸ばす子どもの才能

–汐見先生の専門は教育学、教育人間学、育児学ですね。新著「『天才』は…」のなかでは、「幼児教育はあらゆる教育の『原点』」だと表しています。

 

汐見氏:僕が幼児教育をやり始めたのも、もともとは学力論というよりは、科学的な力を育てるにはどうしたらいいのか、という疑問からなんです。

 

すると結局、幼児期の学びというものが、その人の一生の能力の基礎になっていくということがわかってきた。その延長で考えると、カリキュラムをがんじがらめに作って、そこに当てはめていく教育ではだめなんですね。幼児の方が、教育の本質を示してくれているんです。

 

子どもというのは、おもしろいものがあったら没頭する。そこで、没頭すればするほど、頭の中に新しい神経回路がどんどんできて、脳が発達していくんです。子どもが何かに没頭したら、学びは確実に起こっていくわけです。世界的にも、だんだん幼児教育で何が重要かということがわかってきているんですね。たとえば「非認知能力」です。

 

高濱氏:ようやく来ましたよね。非認知能力のことは、われわれも数年前から、ずっと言ってきたんです。アメリカのデータでは、幼児期の教育で集中力などの数値では測れない「非認知能力」を身に付けたグループでは、成長後の経済力や資産にも違いがある、ということがわかっているんです。

 

汐見氏:だからやっぱり、没頭力(が大事)ですよ。没頭体験があれば、たとえ失敗したり行き詰まったりしても、自分が本当にやりたいことを見つけたらまた没頭していくことができる。その力をいかに伸ばすかということを、家庭でも考える時代ですね。

 

◆子どもの生命をどう輝かせるか 指導者・学校の導き

高濱氏:興味の方向は子どもによって違うけれども、上手にそういう(没頭できるような)世界に導いてやれば、親が放っておいてもどんどん伸びていくわけですね。

汐見氏:僕は小学生のときには10坪くらいの畑をもらっていたこともあります。花だけじゃつまらないから、ある時はヘチマを植えたり、ひょうたんを植えたりとかね。それから、堺(編集部注:汐見氏は大阪府堺市生まれ)は溜池だらけで、理科室のプランクトンネットを使って休みの日にプランクトンをとって、遠心分離機にかけて、ホルマリン漬けにして、一眼レフで撮影して現像し、写真にするまでを毎週、していました。学校の理科室を借りて、そんなことに没頭していた時期もありました。

 

高濱氏:それは、公立の学校ですか?

 

汐見氏:普通の公立中学です。あのころは何でもやらせてもらえたし、先生もずいぶん自由だった。ただ、理論がないと途中で行き詰まるんです。だから、そこに必要なのが指導者です。僕も、自分の主体性を大切にしてもらったのは良かった。だけど、「やるんだったらこうしてごらん」とか、「理屈はこれで勉強しなさい」と、本でも渡してくれる人がいたら、人生はまた違っていたかもしれないと思いますね。

 

前著「本当は怖い小学一年生」(ポプラ社)のなかでも、僕は学校教育について午後は子どもたちが自分でやりたいことを見つけ、それをカリキュラムにして学ぶ時間にしたらいい、という提案をしたんです。午前中は国のカリキュラムで、教え方をもう少し工夫してね。いわゆる「総合的な学習の時間」のような形態ですが、もう少し枠をいくつか決めておいて、自分たちで取り組ませたら、子どもはもっと楽に伸びると思うんですよね。

 

高濱氏:言葉とか計算とか、知っていなければいけないものを午前中のカリキュラムにすればいいんですね。実際、算数は今の10分の1ぐらいの時間ですべて教えられるんです。そういうプログラムを使って、時間を削れるだけ削り、空いた時間をそれぞれに没頭する時間に充てればいいと思う。それがこれからの、世界の流れだと思います。

 

私も今、カンボジアに少人数のインターナショナルスクールを作ろうと思っているんです。今は、インターネットがあれば、どんなところでも優れた教育ができますからね。そこでのカリキュラムも、午前中は基礎学習で、午後は自分の好きなことをさせる予定です。

異年齢との交流で伸ばす 上下関係に強い子どもを

 

 

–各々がカリキュラムを決める場合、みんなで取り組む授業は減るように思えます。授業内外での子どもたちの交流については、どのようにお考えですか。

 

高濱氏:それは仕組みとして作っていけばいいんですよ。お互いに働きかけあうというのは、子どもをものすごく伸ばします。教えるのもそうだし、発表するのもそう。

 

特に異年齢での交流は、子どもの脳をすごく刺激します。平易な言葉を使わなければ、年下の子には伝わらないからね。しかもその関係は、ほとんどが異年齢の上下関係。それを今の学校では、横並びの関係だけにしてしまってますからね。

 

汐見氏:あこがれというのは、その子にとって「あ、おもしろそう」と思うものとの出会いです。異年齢のお兄さん、お姉さんと勉強していると、そういうあこがれがいっぱい出てきて、自然にやる気につながる。今の斜めや縦の関係がない学校での集団は、むしろ子どもが苦労していると思います。

 

最近の研究で、大きな集団を持つ動物ほど、大脳が大きいということがわかってきました。人間の場合、法律などが何もないなかで、誰かがリーダーとなってまとめていくには、150人が限界だそうです。つまり、人間にとって難しいのは、人間関係の適切な処理だということです。関係がうまくいったときは幸せになるし、うまくいかなかったときは強いストレスになります。

 

–子どもの興味関心をさらに深い世界へ導く指導者の存在だけでなく、縦のつながり、つまり異年齢の友達との関わりも子どもの学びに影響を及ぼす、ということですね。

 

汐見氏:僕は、教育というのは本来私立であるべきだと考えているんです。なぜなら、教育というのは、もともと学びたい者がすごいと思う先生のところに教えを請いに行く、というのが原型ですから。

 

そこで、人材を輩出し、公的な役割を果たしている塾や寺子屋に国がお金を出していく、というのが本来の公教育です。だから今後、フリースクールもどんどん増えてほしいし、学校同士が互いに切磋琢磨してほしいと思っています。

 

–ありがとうございました。

 

投稿者 hoiku : 2021年07月15日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2021/07/7982.html/trackback

コメントしてください