| メイン |

2021年07月09日

テストの点数だけで生徒を評価する教育に日本の明るい未来はあるのか?

テストのたび。その結果に一喜一憂し、その結果で評価が定まる。
一見当たり前の学校生活ですが、社会に出てから振り返ると何とも特殊、異常な世界だったと思います。

テストで何点取ろうが人生には影響ない。
むしろ点数至上主義で人生に躓くことの方が多い。

特に子を持つ親たちには真剣に考えてもらいたい問題です。[

 にほんブログ村 子育てブログへ

以下(https://plus.chunichi.co.jp/blog/odachuu/article/496/6559/)より引用します。
—————————————–
試験後の答案返却時、「平均点は何点ですか?」と必ず生徒が聞く。

「平均点に負けない強い人間になってほしい!」と私は答える。自分の得点が平均よりも高いと安心した顔をし、低いと失敗したという顔をする生徒たち。点数だけに気をとられ、採点ミスがないかどうかを真剣に確認する。ほんのわずかでも点数を上げるために。

このように、うちの学校の生徒や親あるいは教員は、点数や成績に関心が異様に高い。点数や成績が全てと考える人々は多い。

私は若い頃、生徒の母親が言った言葉に衝撃を受けた。

「私の最大の悩みは息子の英語の成績です!」

「何と幸せな人なのだろう」と私は思った。そして、次第にそういう人々が多数存在することを知った。何やかんや言っても、小さい頃から塾などで、すりこまれた点数(成績)至上主義である。そんな生徒たちに私は言う。

「平均点あればいいというものではない。平均的なつまらない人間にならないでほしい!」
「点数が数点上がっても、人生に影響はない」
「成績で人を判断してはいけない」
「地理が苦手で点数が低くてもかまわない」
「どんな科目(音楽・体育・美術などを含む)でもいいから、好きで、得意なものを見つけて欲しい」
「親(特にお母さん)には、息子の成績以外に、人生の喜びや幸せを見つけてほしい!」
「答案を待ち構えている母親に、特に見せる必要はない。勉強は自分の問題で、親のためにやるものではない。まともな東海高校生は、親に答案を見せたりしない。何より見せられるようないい点数もとっていない。それに遅かれ早かれ、通知表でいずれわかる」

全国の進学校には、趣味特技が“勉強”という生徒が集中する。勉強するのが得意で成績の良い生徒たち。彼らは将来医者や官僚、弁護士などになってゆく。やはり日本では、勉強や成績が特にクローズアップされることが多い。しかし、足が速い、歌がうまい、絵が上手に描けるなども、同じように大切な能力なのだ。

東海学園の建学の精神は「共生」である。もっと多様な可能性が開花するような社会になるとよいと思う。事実私は、せいぜい地理しかかできない(他に何もできない)、本当にダメな人間なのだ。

また、おそらく全国の進学校で当然のように行われている「能力別クラス編成」。これは、成績によって席次、クラスを分けるものだ。わが校でも昔からずーっと行われているが、私はなじめないし、よくないと思っている。お釈迦様も法然上人も絶対に認めない制度だと思う。大げさかもしれないが、南アフリカの「アパルトヘイト」やナチスドイツの「アウシュビッツ」と同じような差別や選別の臭いを感じてしまうのは、私だけだろうか?人種や民族差別はダメだが、学業(成績)ならOKという考えには、納得できない。

青色発光ダイオードの発明者中村修二さんは、「日本には本当に創造性のある、考える力のある人にはチャンスがなく、勉強も受験のためだけの勉強で意味がないと」いう。しかし、現状はなかなか変わらない。外国人からも批判される“暗記と詰め込み”の教育は今後も続くだろう。政治家や文科省などは、何も変える気がないのだと思う。

ここで最後に、成績・点数・順位・序列・選別・勝ち負けが支配する日本の教育とは、全く異なる価値観のエピソードを紹介する。

ハワイのカウアイ(ハワイの言葉で“神”を意味する)島には、冬の一時期、日本付近からの低気圧の影響で、高さ20mをこえるビッグウェイブ(大波)が押し寄せる。波に飲み込まれると、命の危険があるため、人食いサメ“ジョーズ”と恐れられている。その大波ジョーズに果敢に立ち向かうサーファーは、ビッグウェイバーと呼ばれ、人々から熱い尊敬を集めている。

ハワイ(ポリネシア)の血を引くデイブ・カラワは、初めてビッグウェイブに乗った男。彼と仲間のサーファーらは、誰が一番大きな波に乗るかで賞金獲得を競う大会には出たくないという。「どの波が一番大きかったのかを決めるのは意味がない。ぼくはただ大波ジョーズに乗りたいだけで、波の大きさや人と競おうなんて思わない。どんな波でもいい。その時に来た波の乗るよ」デイブにとって大波は、人と競争するものではない。胸を借りるのは、圧倒的な力で立ちはだかる大自然なのだ。
——————————–

投稿者 hoiku : 2021年07月09日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2021/07/7979.html/trackback

コメントしてください