| メイン |

2020年10月09日

親や教師の押し付けが子供を歪めている。子供は子供の世界で育つもの。

「親」という字は木の上に立って見る、と書きます。
子供たちが遊んでいる様子をじっと見守っている、そんな存在なのかもしれません。

でも現代の親の子供へのかかわり方は、価値観のおしつけ、過干渉など、大人の勝手な都合で子供たちの世界に首を突っ込み支配している、そんな感じがします。

教育も、子供のためといいながら本当に子どものためになっているのか?考えると怪しい感じがします。

本来見守るべき子供の世界ってどんな世界なのでしょうか。

 にほんブログ村 子育てブログへ

以下(http://www.fujitsubame.jp/educationi.html)より引用します。
————————————-
教育って根本は、子供の世界なんですよ。大人の世界の論理では推し量れない。子供には、子供の世界がある。そして、それって実は、大人の世界の原点なんですよね。だから、むしろ、子供の世界の方に学ぶことが多い。

子供の世界には、子供の世界の掟がある。その子供の世界の掟を破って、大人の世界の規則を持ち込んだら、子供の主体性なんて育ちようがない。

子供達の世界は、実力主義である。子供は、子供なりの価値観、世界を持っている。その価値観、世界に照らし合わせて、子供なりの実力社会ができあがっている。そこでは、ガキ大将が実力者である。
ところが、学校では、それを無視して、学校での評価を押しつける。その為に、ガキ大将は、学校では、問題児である場合が多い。学校での評価は、先生の言う事をよくきいて、おとなしくて、品行方正、お行儀のいい子である。要するに、学校が管理しやすい子である。また、評価の基準は、年に数回しかやらないテストの成績でいい点を取った子である。しかし、このような子は、実社会に出ると役に立たない、すなわち、問題児である場合が多い。子供達も、最初は、反発するが、結局、飼い慣らされてしまう。そして、最後には、ガキ大将がいなくなる。

かといって、子供の自主性、自主性というのは、どうなのだろう。もし、子供の自主性を重んじるというのなら、子供を一個の人間として扱ってやる事だ。自主性を重んじると言っていながら、子供だから仕方がない。子供だから許すというのではおかしい。結局、子供と一緒に格闘してやることしかない。大体、自分だって子供を指導するほど、人間ができてるわけではあるまい。

子供の世界は、ある種弱肉強食。そこで、遊びながら、生きていく為の術を学んでいく。遊びこそ、教育の原点である。子供の喧嘩に親は、口を出すな。それは、子供には、子供の言い分があるからだ。喧嘩をしながら、社会のルールを学んでいく。でも、その社会は、子供の社会の延長にある。大人の世界の模倣でも縮図でもない。生きた社会、子供の世界である。子供の世界こそ、次世代の社会の卵なのである。

落ち着きがないというが、小学校入学したばかりの子が、じっと席に座っておとなしくしている方がおかしい。そう思っている方がおかしい。
正常を異常と言い、異常を正常という。問題児をいい子と言い。問題のない子を異常という。

ふざけたり、いたずらをすると、学校では、不真面目だと決めつける。しかし、多くの子は、真面目に、ふざけたり、いたずらをするのだ。おふざけやいたずらは、自己主張の目覚めである。そこには、主体性がある。遊びである。真面目に、ふざけたり、いたずらをするから、それを、受け止めることは、大変なのである。だからといって、ふざけたり、いたずらを、ただ、不真面目だと抑えつけてしまったら、遊びがなくなってしまう。遊びのない人間は、自分を抑制する術を知らない。だから、世の中に抑制のきかない犯罪が増えるのである。大人の論理、大人のルールで考えるから、子供の世界が解らないのである。

子供達は、友達や仲間とじゃれ合いながら、大人の社会のルールを身につけていくのである。自然界、動物の世界を見れば解る。小猿は、ふざけ合いながら、群の掟を覚える。隔離された小猿は、集団生活ができなくなるのである。ところが、人間は、子供達を隔離しようとしている。それが自然だという。馬鹿げている。それは、人間だけ自然ではないのだと言っているようなものである。

さあ、今、一度、原点に立ち返って考えてみよう。子供たちが何のために勉強をするのと聞いてきた時、人生いかに生きるのかを知る為に、そして、生きていく為に、必要な知識や技術を身につける為よと、堂々と答えられる。そのうえに、世のため人のために役に立てるようになる為よと、迷うことなくいえるような教育、それが、我々が目指す教育の在り方なのではないだろうか。
————————————–
子供は子供の世界で育つ。
現代の教育はこの自然の摂理を無視し、子供の成長、次代の社会を破壊すらしかねない存在なのかもしれません。

原点に立ち返り、子供の世界を見守る姿勢を教育の基盤にしていくべきではないでしょうか。

投稿者 hoiku : 2020年10月09日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2020/10/7773.html/trackback

コメントしてください

*