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2020年05月14日
我が子は小学校に行かせない 子供は「あれはあれ、それはそれ」ができにくい
>横並びの価値観や権威への無批判での追従姿勢、勤勉であることが目的化してしまう環境など、小学校で行われる「雰囲気による教育」の負の影響は、小学校で得る正の影響より大きい。<
マスコミに必要以上にコロナの恐怖を煽られストレスをためている人たちが多いのは、これまでに受けてきた教育も関係しているのかもしれません。
せめて子供たちには自分の頭で考えられるようになってほしいですね。
https://www.sankeibiz.jp/econome/news/190509/eci1905090705001-n1.htm
より引用します。
「野村さんはお子さんをどこの小学校に行かせるのですか?」と頻繁に聞かれる。自身が学習塾を創業・経営したり、サイエンスに特化したスクールの設立活動をしていたり、また、登壇など、教育分野で話す機会が多いためだろう。
私の答えは、「小学校には行かせないですよ」だ。もう少し正確に、そして説明的に言うなら「1箇所だけ選んで毎日行かなくてはいけないという意味の学校には行かせたくなく、いくつもある所属先のひとつとして、掛け持ち前提でいろいろなところに行ってほしい。だから、そうできるよう全力で環境をつくるつもりだ」ということになる。小学校は、いくつもある所属先のひとつであり気軽に休んだり気軽に参加したりする場所になるべきだと思っている。
近所の小学校に行く日、登録しているスクールに行く日、午前中は家であれこれして午後から習い事に行く日、親の仕事場に遊びに行く日…などがあり、春夏冬のホリディシーズンには国内外のプログラムに(“学校”を休んで)参加するというようなイメージだ。実際、私の知人にこれに近いことをすでに実践している人がいる。
◆所属するコミュニティの数だけ“自分”がある
それぞれの場所でコミュニティに参加し、仲間や師匠がいて、そしてそれぞれのコミュニティにおける“自分”がいることこそ、大人が子供たちに用意できる最高の教育だと考えている。コミュニティの数だけ人間関係があり、そして学びがある。自分自身、幼少からそうやって社会に出る準備をしてきた。学校、習い事、家族・親戚の集まり、旅行先。それぞれの場所で少しずつ違うキャラクターで人と接する機会があったのは大きな財産だ。
とにかく自分が関わるコミュニティを複数持つこと、私はこれをできるだけ多くの人に勧めたい。とりわけ、小中高校生にこそ複数箇所で複数の顔、立場、学びの機会を持つことを勧めたい。むしろ言いたい。1箇所だけに所属するのはよろしくない。
◆「悪意なき洗脳」 忘れられない思い出
1箇所での濃い人間関係は、単純に視野を狭くするだけでなく逃げ場がなくなる。他者の考え方を相対化することが難しくなり、時には価値観の押し付け、そして「悪意なき洗脳」が起こりやすい。小学校で起きる問題の大部分は、生徒同士、生徒と教師の関係が濃すぎることが原因だ。価値観の相対化ができない、平たく言えば「あれはあれ、それはそれと」と考えることができにくいために、発言力のある友人、教師の言葉は時として絶対的なものとなる。それに自分が合わないと感じる時大きなストレスになったり、そこに合わせるために自分を見失う。
小学校という閉じた場所での「だれも悪気のない洗脳」により失うものや、身につけなくていい余計なもの、何が正義であるかの押し付けといった(私の考えるところの)負の影響は無視できないと感じる。横並びの価値観や権威への無批判での追従姿勢、勤勉であることが目的化してしまう環境など、小学校で行われる「雰囲気による教育」の負の影響は、小学校で得る正の影響より大きい。
実際忘れられない思い出がある。筆者が経営する学習塾にとある生徒がやってきた。彼は両親の仕事の都合で小学校低学年時代を海外で過ごした。いわゆる帰国子女だ。教室ではわからないことはさかんに教師に質問し、わかった時にはもちろん発言してくれた。さかんに前に出るイメージ通りの帰国子女であり教室中を巻き込んで能動的に学習する姿勢がごく自然に身についていた。しかし、1カ月もしないうちに周囲の様子を伺うようになり、教師の指示を待ち、質問する回数、発言する回数が格段に減ってしまった。聞けば通っている学校で自然と周囲の様子に合わせてしまっているとのこと。まさに、「悪意なき洗脳」が起きていたと感じショックを受けた。せめて我々の学習塾では、周囲の目を過度に気にせず行動できるよう環境設計に細心の注意を払った。
コミュニティというのは絶えずとある価値観を軸に形成される。共通の目的だったり、共通の信念だったりに人は集まる。価値観に人が集まる故に、人はその価値観に影響を受けざるを得ない。コミュニティへの所属と「悪意なき洗脳」は切り離せるものではない。その意味で洗脳と教育は基本的に同じものだ。だからこそ複数のコミュニティに人は所属し、多くの価値観に触れ、それぞれのコミュニティを相対化できるようすべきだ。
◆入れ替わり立ち替わり 世界中から生徒が訪れる
こういった想いから9月に開校する科学に特化した教育・研究機関、Manai Institute of Science and Technology(=マナイ)では、生徒が他の場所に所属しながらマナイにも所属し、研究し学びを得られる仕組みを設計している。「Migratory Scholar(仮称)」という生徒区分を設け、季節によって移動する渡り鳥のように、各生徒の都合や研究内容に応じて一定期間マナイに所属する仕組みだ。ある生徒は各季節休みを利用し、年間合計3カ月間マナイで研究する。また、ある生徒は所属している学校を休学し1年間マナイで研究する。今後は国内外の既存の高校との提携を拡充し、マナイでの学習を所属する学校の単位として認定できるよう計画している。
世界中から科学研究に没頭したい生徒が、道場破りのように入れ替わり立ち替わりマナイを訪れ学び、切磋琢磨し、また世界中に散らばる。この想い、そしてそれを具現化する仕組みに多くの人に賛同して欲しいと願っている。
投稿者 hoiku : 2020年05月14日 TweetList
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