「失敗」を恐れない子どもを育むコミュニケーション[やる気を引き出すコーチング] |
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2018年06月08日
学校でも家庭でもない、第三の居場所をつくる~「寺子屋共育 轍-わだち-」
学校と家庭。子供たちの日常はほぼこの二つで占められています。人工集団で一斉授業を受ける学校。密室空間で母親の勉強圧力と宿題に苦しめられる家庭。
今の供たちには、本当の意味での学ぶ場、楽しみながら追求できる場がありません。そんななかで、学校でも家庭でもない、第三の居場所として現代の寺子屋を運営しているのが「寺子屋共育 轍-わだち-」です。
以下(http://kamigyo.sakura.ne.jp/tokushu/hohmonki/post-32.html)より引用します。
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早速ですが、みなさんは、「寺子屋」をご存知でしょうか?
寺子屋とは、江戸時代に、庶民の子に読み書きやそろばんを教える場として普及した教育施設です。明治初期、日本の識字率は世界最高水準にあったといわれていますが、それを支えたのは、全国津々浦々にあった「寺子屋」であったと言われています。
そんな寺子屋を現代に復活させ、あたらしい「寺子屋」をつくっているのが、NPO法人 寺子屋共育 轍(てらこやきょういく わだち)の蔵田 翔さんです。上京区に生まれた、ふるくてあたらしい「寺子屋」。さっそくのぞきに行ってきました!
普段は新大宮商店街の一角で寺子屋をやっていますが、商店街で宵の市がある日は、近所のお寺さんをお借りして寺子屋をやるそうです。
●教える/教えられる ではなく、ともに学びあう。
轍(わだち)さんが取り組むプロジェクトのうちの一つが、「寺子屋」プロジェクト。毎週2回、主に小学生に対して放課後に学習できるスペースを提供しています。
いわゆる、「塾」とはどう違うのでしょうか?蔵田さんにお話をうかがいました。
「ここには、『先生』はいません。
教える/教えられるという関係はなく、ともに学びあう関係性があります。小学生が勉強する近くには、レポート課題にとりくむ大学生もいる。たまに近所のおばあちゃんがやってきて、「宿題してるのね!」と声をかけてくれる。
宿題でわからないことがあれば、小学生は大学生に質問しに行きます。大学生は、そこで「教える」のではなく、小学生と一緒に辞書を引いたりしながら共に試行錯誤して考えます。彼らは先生じゃないから、時にはわからなかったり間違えたりすることもあります。
逆に、レポートを書いている大学生が小学生に「何してるの?」と話しかけられ、会話するうち、専攻する心理学の説明を小学生相手にしなきゃならなくなる。うまく説明できずにいると、「なんだ、ぜんぜん、わかってないじゃん!」って突っこまれたり(笑)子どもには、そういうプロセスのなかで、大人も、間違えるし失敗することを知って欲しい。」
まさに「教えて育む」の教育ではなく、「共に育む」共育の場をつくっているのですね。「教えられる」が前提でないと、自分で考える機会もたくさんありそうです。それに、ともに学びあうという関係は、フラットで気持ちよさそう。
「でも、僕らは許せないことがあればきちんと叱ります。そして、子どもに嫌なことをされれば根にもったりする(笑)でも、本来社会の中でコミュニケーションをするなかには、そういうシビアさがあるでしょう。先生に怒られても先生は翌日も学校に来てくれるけど、実社会では関係がこじれたら、顔を合わせられなかったりする。」
そう、地域はまさに、「実社会のミニチュア版」。学校と言うある種特殊な場を出て、地域を通して社会を体験していく場が、この「寺子屋」なのです。
●地域にある多様な価値観は、子どもを自由にする。
ここが「教える」という場でないなら、この寺子屋共育轍(わだち)は、子どもたちにとって、どんな場なのでしょう?
「ここは、学校でも、家庭でもない第三の場所。多様な価値観に触れる場所であり、自分の居場所をみつけることができる場所になるのかなと思います。学校と家庭という狭い世界のなかで、自信をなくし、夢をもてなくなっている子もいます。でも、すぐそこにある「地域」には、様々な人がいて、多様な価値観がある。たくさんいる大人のなかで、自分がピンとくるモデルに出会うことができるはず。」
なるほど。私たち大人には当然のことですが、「Aは正しい」という大人もいれば、「Aは間違っている」という大人もいます。そんな生身の世界に触れることで、世界は一通りの価値観では語れないことがわかります。見える世界がひろがり、モデルとなる大人に出会うことで、自分の身の置き所を見つけることができたり、未来を描いたりすることができる。
「いまは学校に様々な役割が求められていますが、学校の先生は手一杯です。子どもの教育にまつわるすべてのことを学校に一挙に担わせることはできません。それなら、地域の資源を使えばいい。
地域には、多種多様な人々がいます。団体の名前にある、轍(わだち)とは、車が通ったあとにできる車輪のあとのこと。たくさんの人が歩んできた轍(わだち)に出会い、その人たちと共に学んで行ける場となることを目指しています。」
轍で行っているいくつかのプロジェクトのうちの一つが、京町家Ku-rinの運営。スペースを貸し出したり、ものづくりワークショップを開催したり。今日も様々な人々が集います。
●「お寺」はコンビニエンスストアよりも多い!
「いつかは、この「こども×地域×寺子屋」というモデルをこの地域だけでなく、全国に展開したいと思っています。実は、全国のお寺の数は約8万ヶ所。コンビニエンスストアは約5万店なので、お寺はそれよりも多いんですよ。」
・・・なんと!コンビニよりも多いとは!
今は機能不全になってしまっているお寺も多いと思いますが、全国8万ヶ所あるお寺が再生し、一斉に寺子屋をはじめたら、全国津々浦々の子どもたちに、「第三の居場所」を提供できそうです。既にある「お寺」と「地域の人々」という資源を活かすことで、全国にも展開することができるかもしれません。
京都の町屋から出発した、ふるくてあたらしい「寺子屋」。
様々な人の人生を交錯させながら、子どもたちの夢がたくさん生まれる場所になりますように。
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以前学習塾の先生から、塾の自習室が人気になっている、という話を聞いたことがあります。強制的に授業を受けるのではなく、自発的に集まって教え合う場の方が子供たちは数段活き活きしているというのです。
寺子屋は、そんな場に地域の人も参加して子供の世界を広げる場になっているのだと思います。いろんな世代の子供たちが集まり、大人が見守り時にはアドバイスをする。紹介事例ではお寺を核にしていますが、同様な試みをしている塾も現れてきています。
官製のお仕着せ教育ではなく、庶民発の学び場をつくる。現代の寺子屋をこれからもどんどん増やしていきたいと思います。
投稿者 hoiku : 2018年06月08日 TweetList
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