| メイン |

2018年04月13日

異常な学習方法~実力がつかないテスト、思考を停止させる宿題

テストと宿題。この二つ一体何のためにやるのでしょうか。

学校の授業でもテストに出るから覚えておくとか、どこがテストに出るかを予想したり、一夜漬けで勉強したり。好奇心や追求のかけらもない勉強に追い込まれてしまいます。

宿題にいたっては、苦行以外の何ものでもなく、いかに手間をかけずにちゃっちゃと終わらせるか、ということしか考えなくなります。

学校が目指す学びとはどんどんかけ離れていっているのに、学力をつけるためと称して子どもたちを苦しめているテストと宿題。

今回はこの二つについて考えてみます。

 にほんブログ村 子育てブログへ

以下(http://homework.blue/2016/06/08/post-312/)より引用します。
———————————-
最近の小学校の学習は、表面的なテスト対策が中心となっています。
じっくり単元の内容を深く理解する学習ではなく、ドリルやプリントなどの問題形式の学習ばかりです。

業者の単元テストには出題形式が全く同じで数値だけ違う模擬テストがあります。単元テストとセットで購入する先生が多く、単元テストの前に類題プリントと合わせて練習をさせています。宿題や授業時間を使って、それこそ直前まで類題を解かせているのです。

テストとは、何がわかっていてわかっていないのかを判定するためのものです。だからテスト勉強をしないで実力で受けるのが正しいテストの受け方です。それを先生主導で、力をつける為ではなく、ただ点数をとるやり方を子どもたちに仕込んでいるのです。

学力テストの前には過去問や対策問題を解かせて点数の底上げをする。そんな卑怯なやり方でとった点数に何の意味があるのでしょう。

異常な学習です。

でも異常なやり方に慣れてしまうと、「定期テスト対策 的中率抜群」といった塾のチラシに食いついてしまう親が出てくるのです。

中学生たちも、
「育●社の●ワークから同じ問題が出た。」
「○○塾のテスト対策はよく当たる。」
そんなくだらない情報を集めてテキストや塾を選んでいるのです。「勉強」が「テストに出る問題を事前に何度もやって覚える」 という、とてもくだらない代物になってしまっているのです。

教育委員会主導で県ごとの全国学力テストのランキングが出されるようになり、おかしくなったのは学校だけではありません。教育委員会のHPをみると、学力テストの対策で類題を作って配布している、県内の学校にやるように働きかけている事例もうかがえます。本来の実力を測ろうという趣旨から完全に逸脱しています。

それを教育委員会が主導しているのですから、校長先生はそのプレッシャーを受け、現場の先生にプレッシャーをかけ、先生は子どもたちに目先の点数をあげる類題を大量に解かせる。そういう流れがあるのでしょうね。

学力テストに関して、「事前に問題を生徒に解かせた」「そっくりな問題を事前に授業で行った」「事前にテスト問題を見せた」といったニュースが後を絶たないのは、そうしたプレッシャーと学校現場での異常な学習方法が「普通」になっているからなのでしょう。
————————————–

たしかに普段の勉強で学力が身についているかを測るのがテスト、だとすればテスト勉強は禁止しなければ意味がありませんね。

テストのお陰で、学校の勉強は全てが点を取るためのものになってしまい、疑問をとことん追求したり、新しい発見に心を躍らされたり、といった学びの機会が奪われているのが現実です。

これが普通の勉強だと思い込んで(思い込まされて)いる現実は、まさに異常といえるでしょう。

そして誰もがいやだった宿題。こちらも学力をつけることとは程遠い、むしろ考えない力をつけるためにやっているようなものだったのです。

以下(http://homework.blue/2016/05/25/post-31/)より引用します。
————————————–
宿題の幻想

●学校で習ったことを宿題で定着させる

幻想です。
計算ドリルは、わかっている子にとっては同じ作業の繰り返しで、雑にやる習慣がつきます。わかっていない子にとっては、間違ったやり方を繰り返し練習することになります。

漢字ドリルは、ただ回数を書くことに意識がいってしまい、意味がわかっていないことに違和感を感じなくなります。書く練習と覚えるための練習は全く異なります。

●嫌なことでも我慢する習慣をつける

幻想ではありませんが、お勧めしません。自分自身で納得できる我慢する理由があればよいですが、小学生、特に低学年の子たちにはそのような理由は見出せません。ただ、苦痛を耐えるだけ、考えるのをやめるだけ、感情をオフにするだけ、そういった習慣が身につきます。

困難を創意工夫で乗り越えるような刺激にはなりえません。

●音読で国語力がつく

幻想です。
宿題として出される音読は、ちゃっちゃと終らせたい子が多いから、情景を思い浮かべながらかみしめるようには出来ません。言葉から場面を思い浮かべながら音読することができれば、国語力はあがりますが、宿題ではまず無理でしょう。高学年になったら、やったことにして自分でサインしてお終いです。ズルをする、誤魔化すことに慣れさせる機会が増えるだけです。

●宿題で学力がつく

幻想どころの話ではありません。
6年間宿題をしっかりやったのに落ちこぼれている子は大量にいます。なぜ、真面目に宿題をやってきた子が小4頃から授業についていけなくなるのか、なぜ、中学からは塾に頼らなければならないのか、考えてみればわかることです。

工夫された宿題なら、確かな学力はつきますが、残念ながらそのような宿題は5年間見続けてきましたが出会ったことがありません。
—————————————
宿題は百害あって一利なし、即刻禁止すべきです。しかし驚くことに宿題をもっと出してほしいと要求する親も多いのだそうです。

宿題で身に付くのは、「いかに頭を使わずに要領よく仕事を済ませるか」という思考。親は自分の子どもが「社会に出ても使えない人」になってほしいのか良く考えてみるべきでしょう。

テストと宿題。何のためにやっているのか?を私たち自身がもっとよく考えなければいけません。子どもたちの未来がかかっているのですから。

投稿者 hoiku : 2018年04月13日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2018/04/6123.html/trackback

コメントしてください

*