| メイン |

2018年04月24日

野外保育の可能性15 ~お母さんのブログから~危機察知能力:本能を磨く

関西では少ないらしい。その森のようちえんを勉強に行ったお母さんの素直な感動が綴られています。

関西で数少ない森のようちえん!生駒の山のようちえん講演会に行ってきた

 

 関西で数少ない森のようちえん!生駒の山のようちえん講演会に行ってきた先日2月6日に開催されたいこま山のようちえん講演会に行ってきました。

日本では、特に関西では数少ない森のようちえん。大阪では数カ所しかなく、その中でも生駒で活動されている団体です。

ホームページ上でもなかなか様子が配信されておらず、その様子は外から窺い知る事が難しいという印象でした・・・

今回の講演会では、保育現場の実際のところや子どもたちの活動の様子など、たくさんのことを知る事ができ、非常に有意義な時間でした!

早速レポしていきたいと思います〜!

森のようちえんって?

約60年前にデンマークで発祥した保育の形態です。特徴は、校舎を持たず、「森」が保育場所となることです。

講演会のなかでは、

  • ドイツでは生活の中に森や山が入り込んでいるという文化背景が日本とは異なる
  • デンマークでは約9割が森のようちえん出身者で、ドイツでは森のようちえん出身者が大活躍している

ということを仰られていました。

生駒の山のようちえんって?

日本でも校舎を持たず森や山を保育場所としている幼稚園を「森のようちえん」と呼んでいます。

しかし、カリキュラムがしっかりくまれている幼稚園や、シュタイナー教育と組み合わせている幼稚園など、保育の内容は様々だそうです。

その中で、生駒の山のようちえんでは、「自由保育」という保育内容を実践されているのが特徴です。

自由保育ってなにをするの?

生駒の山のようちえんで実践されている自由保育は、本当に子どもの主体性に任せているということです。

例えば・・・

  • お弁当を食べる時間、食べる場所、食べる相手は子どもたちが自分で決めます
  • 先生はあえて子どもたちの意見を誘導するなどはせず、ただ、信じて見守ります
  • 今日どこで遊ぶか?は子どもたちみんなで話し合って決めます

ということを講演で仰られていました。

ここの保育の先生は、以前別の私立幼稚園で働いていましたが、すべてのカリキュラムがきっちり決められており、遊ぶ時間になると「先生、何をして遊べばいい?」と聞く子ども達・・・そんな現状に違和感を感じていたそう。

そして、生駒の山のようちえんでのびのびと自分で積極的に遊ぶ園児の姿を見て、感動し、涙されたそうです。

講演会ではたくさんの園児たちの写真が紹介されましたが、どの子もとても良い笑顔で、のびのびと遊んでいたのが印象的でした。

森は、子どもの危険察知能力を育む

自然が園庭・・・危険は無いのか?

保護者からの質問タイムがあり、その中で一番質問が集中したのが、「危険」についてでした。

自然がまるごと園庭となる森のようちえん。子どもたちが遊ぶすぐそばには小川が流れ、小川のすぐ後ろには滝や崖・・・この幼稚園を視察される外部の先生達は、子どもが怪我をしないのかヒヤヒヤされるそうです。

しかし、子どもたちは見事に怪我をせずに遊ぶというのです。

「自然に守られている」という表現がぴったりくる。

という先生もおられるほど。

しかし、よく話を聞いていくと、

普通の幼稚園は、開園前に先生が庭の小石や枝を拾って奇麗に掃除をし、危険をあらかじめ取り除いている。園児は安全になれているため、何か危険があった時に対処できないのでは?

 

親は、だめ!危ない!と言ってすぐ子どもの危険行動を止めるが、子どもは頭で理解しても体験的に理解できないので、結局は危機察知能力が育たないのでは?

という分析をされている先生方もおられました。

なるほど、この危機察知能力という人間の本能的な力について、ここまで考察したことが無かったので、私にとっては非常に勉強になる話でした。

学校で怪我をした!その責任は誰にある?

危機察知能力の話とつながるのですが、「危険がいっぱいであるはずの山のようちえんでは怪我が起こらないにも関わらず、安全であるはずの校庭で、骨折する子どもがいる・・・

そして、親御さんは学校の監督責任の不備を追求してこられる・・・」という実話が、講演会内で先生から投げかけられました。

過激な話になってしまいますが、その先生は、

こんなこと、大きな声では言えないが、でも怪我はその子の責任でもある場合が多い

と仰られておりました。

これも、危険察知能力が子どもに育っているか?がキーポイントとなっているようでした。

学校で怪我をした際、親は学校や先生の監督責任を追求したくなるものです。ですが、社会に出たとき、もし事故に巻き込まれたとき、その責任は自分にもあると私は感じています。

もちろん、相手に過失があったり、誰の責任でもない事故などもあります。けれども、自分の気づきによって防げる事故であれば、防げるにこした事はありません。

また、事故後にいくら裁判でこちらが勝ったとしても、一生体に残る傷が残ってしまえば、それは悔やんでも悔やみきれないことだと思うのです。

 

周りの環境を把握し、自分の状況を把握し、自分が何をすべきか?ということをいち早く察知し、生き抜くという力・・・。

これは子どもが小さいうちから身につけておくべき能力なのではないか・・・講演会を聞き、痛切に感じたことです。

 

ただ信じて待つという保育方法

自由保育で育った子は、きちんと授業を聴けるの?

これだけのびのびと育った子ども達が小学校に入学し、果たしてきちんと授業を座ってきけるのか?そんな疑問も浮かんできます。

生駒の山のようちえんで自由に元気いっぱいに遊ぶ園児たちですが、終わりの時間に絵本タイムがあり、その時間はみんな静かにじっとお話を聞くということでした。

また、園児達は移動の電車でも静かに行動し、卒業生達は驚くほどじっと小学校の授業を聞くということも仰られていました。

全部、自分たちで決める!

また、お泊まり保育の行事などで何を食べるか?といったことも、多数決ではなく園児たちが話し合って決めていくそうです。

しかし、話し合いというと、なかなか話せない子や、気持ちを汲み取ってもらえない子から不満がでないのでしょうか?

保育の先生によると、

言葉で伝える力の弱い子には、先生がよく話をきき、みんなに代わりに伝えるという補助的役割は果たします。子どもにとって、自分の意見を伝え、それが反映されなくても、伝えたことで子どもたちは納得する。

ということでした。

また、ある子の意見が通らなかったとしても、仲間たちはじゃあ次は君の言う通りにしよう!などとその子の気持ちを汲み取って行動している・・・というエピソードも紹介されました。

 

話し合いのときでも、先生方はただただ、じっと子どもたちの様子を見守るだけだそうです。子育てをしていると分かりますが、この見守るという行為は、なかなか出来る事ではありません。

本当に危険なときは先生方が注意をされますが、ある程度の怪我などは、経験のうちということで、自由にさせているようです。

まとめ

森のようちえんの実際を見る事が出来、子どもたちが本当にいきいきと遊んでいる姿が本当に印象的でした。

自由に遊び、そして仲間とコミュニケーションをはかる。自分で考え、周囲の状態を観察して危険を察知しつつ、時には怪我をし、危険を体験することでまた成長していく。

早期教育で早くから知識をつけた子どもは、小学校高学年にもなると他の子と変わらなくなるばかりか、先取り学習でなまじ勉強が出来てしまっただけに怠けがちになる…と指摘する教育学者もいます。

「遊び」こそ、子どもが成長できる一番の場所かもしれない・・・ということが伝わってきた後援会でした。

今はまだ10ヶ月の息子の幼稚園選び・・・まだまだ始まったばかりですが、今後も関西を中心に面白そうな幼稚園の情報をどんどん発信していきたいと思います。

以上、ゆうママでした!

 「遊びこそが学び」は共通する考えのようですね。本能を磨くというのは、人間の場合、本来、生まれ持っているはずの本能が、幼児期にしっかり自然の中で遊ばないと形作られ難いというのがあるのではないでしょうか。観念機能を発達させたがために、本能部分も脳回路形成期に育てていく必要があるということでは無いでしょうか。

 

投稿者 hoiku : 2018年04月24日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2018/04/6081.html/trackback

コメントしてください