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2017年08月04日

古典の暗誦~先人の事実認識への同化が思考力を高める最良の方法。

昔の寺子屋では学習の基本は暗誦でした。
「国史略」「十八史略」などの歴史書や「徒然草」「百人一首」などの古典、武士の師弟は孔子・孟子の「四書五経」まで・・・

最近は学習指導要領の改訂もあり、小学校でも古典の暗誦をしているようです。でも点を取るための勉強として強制的にやらされているだけでは本来の目的からずれていってしまいそう。
古典に学ぶのであれば、先生はもちろん私たち大人も、なぜ古典を暗誦するのか?を分かっていないと空回りしてしまいそう。

そこで今回はなぜ古典なのか?なぜ暗誦なのか?を考えてみたいと思います。

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以下(http://diamond.jp/articles/-/17022)より引用します。
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●古典の重要性
確か、恩師、高坂正堯先生の言葉だったと記憶しているが、「古典を読んで分からなければ、自分がアホやと思いなさい。新著を読んで分からなければ書いた人がアホやと思いなさい(即ち、読む価値がない)」と大学で教わったことを今でも鮮明に覚えている。古典は人類の長い歴史の中で選ばれて今日まで残ってきたものであって、いわば市場の洗礼を十二分に受けている。一冊の古典はビジネス書10冊、いや100冊に勝るかも知れない。経済学で言えば、アダム・スムスの国富論は、今でも書店に並んでいる数多の現在のビジネス経済書100冊に優に匹敵するのではないか。

古典は何故難しいと言われるのか。それは時代背景が異なるばかりではなく、各時代によって同じ言葉であってもその意味するところが異なるからだ。例えば「サクラ」という言葉を聞けば、私たちはほぼ反射的に真っ白なソメイヨシノを連想するだろう。しかし、ソメイヨシノは江戸末期にわが国で人工的に創り出されたごく新しい品種に過ぎない。万葉集や古今和歌集の時代にはソメイヨシノはなかったのである。その時代のサクラは恐らくヤマザクラであったのではないだろうか。

次に、時代背景が全く異なる古典が、何故現代の私たちの役に立つのか。それは、人間の行動を司る脳が約1万3000年前のドメスティケーション以来、進化していないからである。要するに人間の喜怒哀楽には、変わりがないということだ。どのような時代であっても、人間とその人間が創り出す社会に対する洞察を欠けては、いかなるビジネスであっても成功は覚束ないと考える。

優れた古典は、歴史であれ文学であれ、人間と人間が創り出す社会に対する鋭い洞察に満ち溢れているが故に、凡庸な現代のビジネス書を遥かに凌駕して私たちの血肉となるのだ。言い換えれば、優れた古典は、歴史も文学も、勝者と敗者を余すところなく描き切る。これに対して、凡庸なビジネス書は、功成り名を遂げた成功者の懐古談の類であることが多い。言うなれば「後出しジャンケン」のようなものである。どちらがより人間とその社会を理解するのに役立つか、一目瞭然ではないだろうか。

●思考力をどう高めるか
 運動神経がよほど優れていたとしても、全く練習をしないでテニスやスキーが上手くなるはずはない。同じように、人間の脳も習練を積まなければ賢くはならない。木田元先生の言葉だが、「きちんと書かれたテキスト(即ち古典)を一字一句丁寧に読み込んで、著者の思考のプロセスを追体験することによってしか人間の思考力は高まらない」のである。そうであれば、古典の重要性は容易に理解されよう。スポーツでも芸事でも、名人に教えを受ければ上達が早い。同様に思考力を高めるには、古今東西の名著を紐解くことが一番であろう。
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経営者には古典を愛読している人が多くいます。最近は社会人による古典勉強会なるものも出てきているとか。

個人主義に立脚した近代思想や専門分化しタコツボに陥った近代科学では現実をつかむことはできません。社会を洞察し時代の最先端を読み解こうとするとき、人々は近代以前の事実認識=古典に可能性を見出しているのです。

古代より中世、中世より近代へと私たちは進化してきたと思い勝ちですが、「人間の行動を司る脳が約1万3000年前のドメスティケーション以来、進化していない」のが現実。いやむしろ私権意識や近代観念が邪魔をして洞察力、思考力は退化しているといってもいいのではないでしょうか。

そして重要なのは、先人の「思考プロセスを追体験することによってしか人間の思考力は高まらない」ということ。追体験=同化するためには一字一句を丁寧に読み込み暗誦することが最適なのです。古代より人類は部族の歴史を口頭で伝承し、知識だけでなく知恵(=思考力)を伝えてきました。この学び方の基本は古代も現代も変わりないのだと思います。

古典の暗誦。小学生に勉強として押し付けるだではなく、私たち大人もその大事をわかり、実践するくらいでないと本当の意味の学習(真似て習う)にはならないのではないでしょうか。

投稿者 hoiku : 2017年08月04日 List   

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