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2017年06月09日

現代の教育は大人の都合で子どもたちを苦しめるだけ~「じょうぶな頭とかしこい体になるために」(五味太郎)より

『大人の言うことは素直に聞いて、決められたことはきちんと守り、出された問題にはうまく答え、
与えられた仕事はだまってやる。決してさぼったり、ごまかしたりしない。それが
「かしこい頭とじょうぶな体」のよい子です。

言われたことの意味をたしかめ、決められたことの内容を考え、必要があれば問題をとき、自分のために楽しい仕事をさがし出し、やるときはやるし、さぼるときはさぼる。これが「じょうぶな頭とかしこい体」を持った、これもまた良い子です。』(五味太郎「「じょうぶな頭とかしこい体になるために」より)
今の学校教育、大人たちの多くは「かしこい頭とじょうぶな体」のよい子が「よい子」だと信じているのではないでしょうか。これがどれほど子供たちを苦しめ、ひいては社会の将来をも危うくしていることには全く気付かずに・・

五味太郎さんの絵本「じょうぶな頭とかしこい体になるために」では、大人の身勝手で無責任な教育観、仕事観が子どもたちを苦しめているか?が暴かれています。

子どもでなく学校の先生や、したり顔の大人たちに是非読んでほしい「絵本」です。

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以下(http://ronron2008.blog.so-net.ne.jp/2008-07-31)より引用します。
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「何をしたいのか自分でよくわからないんだ」

「きちんとした目的、目標を持って生活しなさい」「その目的、目標に向かって努力しなさい」などとよく言います。よく言われます。そこで言われた人(だいたい子どもですが)は仕方がないので、学年配当漢字を全部書けるようにするとか、全国音楽コンクールに向けて練習するとか、あるいは○○中学校、××高等学校、△△大学に合格しようなどという、とりあえず目的、目標をかかげて生活しなくてはなりません。そのほうがキリっとした生活をしているような気になるからです。充実した生活を送っているような感じがするからです。

そして、そんな暮らし方をしている子どもたちを見て、大人は一応安心するぐらい無責任です。目的、目標をかかげて努力することが、どんな意味があって、どんな価値があることなのか、深く考えたり、自ら実験、実践してみようとはしません。ただなんとなくそのほうがいいのではないかと一般的に思っているだけなのです。その証拠には、その目的、目標の内容が少しでも一般的ではない場合、たちまちとがめられることになります。

たとえばその目的、目標が「宇宙人と交信すること」というような少し一般的ではないものになると、いくらその目標のために毎日2時間は屋根の上に登るというほど、きちんとした生活態度であっても、認められたりはしません。「新しいヘアースタイルをあみ出す」と言う目標で毎日鏡に向かって努力型の男の子を見て、両親はあまり喜びません。むしろ心配になったりします。

そして子どもというのは、おおかた心やさしい人々なので結果として「親が安心する目的、目標に向かって努力するふりをする」「その目的、目標の中になんとか自分自身の目的、目標を見い出そうと懸命の努力をする」というようなやや辛い生活を送らなくてはならなくなります。ふりをするのも辛いものです。

のんびり屋の少女が、あるときから急にいそがしそうな様子になったので、ぼくが「なんだか人が変ったみたいだね」とよけいなことを言ったら、その少女が答えました。「やるときはやるんだよ」言葉は乱暴ですが、いい台詞だと思いました。少し尊敬しました。それ以外言いようはないと思えます。

人間にある目的、目標が生まれるのも自然なら、それに向かって努力するのもまた自然です。その目的目標がどんなものなのかは誰にもわかりません。当人にもよくわかりません。そしてとりあえずの目的目標がないと言うのもまた自然です。その状態でいわゆる努力しないのもあたりまえです。そこのところがわかってない人が多すぎます。とくに大人にね。

それでもなおかつやっぱり目的、目標、努力だと頑張る大人には、こんな言い方はどうでしょう

「人間、目的、目標を持って生れてきたんじゃないよ。はっと気がついたらいたんだよ。食って寝てのそのそ動きまわっているのが、もしかしたら目的、目標かもね」

なんだか少し理屈っぽいです。それに、説得するために努力するというのも疲れます。やはり、「やるときはやるんだよ」で十分です。
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親が安心する目的、目標に、子どもは自分の目的、目標をあわせようとする・・・なんと理不尽な!と思いますが、学校の先生や親のことばによって、子どもたちは無自覚のうちに洗脳されているのかもしれません。

また大人たちの本音と建前も、子供たちにはしっかり見抜かれています。

以下(http://firefly1384.web.fc2.com/dokusyo/d022.html)より引用します。
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「仕事をしたい!」
 自分の得意なことで仕事をしたいとか、自分の好きな仕事をして生きてゆきたい、などと言いますと、たいていの大人は、そんな甘いもんじゃないとか、そう都合よくはゆかないものだよ、などと言います。

仕事はつらいもの、おもしろくないもの、仕方ないからやるものと相場が決まっています。食うために働かなくちゃならない、家族を養うために働かなくちゃならない、生活のために働かなくちゃならないんだ、だからガンバルのだ、というわけです。そしてなぜか突然、労働するということは尊いことだなどと、よくわからないことを言ったりします。

そういうわけのわからないことを口走っている大人につきあう必要はありません。はじめから言い訳しているみたいな仕事観を持つ必要はありません。仕方ないから仕事をやっているというような人の仕事を信用するわけにはゆきません。いやいややっている操縦士の飛行機には乗りたくはありません。好きで焼いているパン屋のパンはなんだかおいしそうです。得意なこと好きなことでなければ自分の仕事として自信が持てない、得意なこと好きなことだから自信がある、というのが本当だろうと思います。
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大人が良かれと思って教え諭したりすることの多くは、子どもたちとってあまり役には立たっていません。むしろ大人たちの言葉が子どもの成長を阻害している可能性が大です。

当たり前のように存在する学校制度、日々の勉強、社会で生きていくということ・・・私たちは深く考えることなく、半ば常識として受入れ、子供たちにもそれを押し付けようとしています。いまいちど、本当に自分の頭で考え行動できる「じょうぶな頭とかしこい体」を私たち自身も取り戻す必要があるのではないでしょうか。

最後に五味太郎さんの「勉強しなければ大丈夫」から、

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個を失うシステムのもとには、くどいようだけれど、
学校制度というのが、絶対あります。
それにしても、それにしてもだよ、
天気がいいにもかかわらず、
月曜日から金曜日まで、
朝早くから夕方まで、
必ずすべての子どもが、ある同じスタイルで生きていくっていうの、
本当に異常だと思う。
身体も心もしなしなと柔らかく多感な時期に、
ある強制の中で、
教室という空間に座って
黙って黒板を写し
テストを受けるということを毎日続けている。
時々ならまだしも、
毎日続けている。
こんなこと生物の生き方としておかしいよ。
こんなに異常な暮らしを幼いときからやっていると、
多かれ少なかれ病気になるよと単純に思う。

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投稿者 hoiku : 2017年06月09日 List   

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