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2016年12月02日

遊びをせんとや生まれけむ~日本人にとって「遊び」は暮らしそのものだった。

『遊びをせんとや生まれけむ
戯(たわぶ)れせんとや生まれけむ
遊ぶ子どもの声きけば
わが身さへこそゆるがるれ』

平安時代末期の歌集「梁塵秘抄」に納められている有名な歌です。
読むほどに、子供たちへの優しい気持ち、幸せな気持ちが湧きあがってきます。

今風に言えば「遊び、戯れるために生まれて来たのだろうか。遊んでいる子供の声を聴いていると、感動のために私の身体さえも動いてしまう」と言った感じでしょうか。

でも『わが身さへこそゆるがるれ』には単なる大人目線でない、大人自身が内に秘めている「遊び」への想いが込められているように思います。

今回は日本の「遊び」について考察してみましょう。

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まずは古語辞典から「遊ぶ」の意味を
(http://kobun.weblio.jp/content/%E3%81%82%E3%81%9D%E3%81%B6)より引用します。
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①(詩歌を作ったり、音楽を演奏したり、歌舞をしたりして)楽しむ。
出典枕草子 御仏名のまたの日
「ひとわたりあそびて、琵琶(びは)弾きやみたる程に」
[訳] 一とおり音楽を楽しんで、琵琶を弾き終えたときに。

②遊戯する。
出典伊勢物語 二三
「昔、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとにいでてあそびけるを」
[訳] 昔、田舎で生計を立てていた人の子供たちが、井戸のところに出て遊戯をしていたが。

③狩りをする。
出典古事記 雄略
「やすみしし(=枕詞(まくらことば))わが大君のあそばしし猪(しし)の」
[訳] わが大君が狩りをしなさっ(て射られ)た猪(いのしし)が。

④自由に動き回る。気ままに歩きまわる。
出典伊勢物語 九
「白き鳥の、嘴(はし)と足と赤き、鴫(しぎ)のおおきさなる、水の上にあそびつつ魚(いを)を食ふ」
[訳] 白い鳥であって、くちばしと脚とが赤い、鴫くらいの大きさのある(鳥が)、水の表面で自由に泳ぎ回りながら魚をとって食う。
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その昔、「遊び」は子供だけのものでなく、大人の歌や舞い、狩や自然の中をきままに歩き回ることなど、大変幅広い意味で使われていたようです。
また「古典に遊ぶ」とか、あるテーマに関して親しみ学ぶ、というニュアンスで使われることがあるように、私たち日本人にとって「遊ぶ」は日常の生活と深いつながりがあるように思われます。
以下(http://gitanez.seesaa.net/article/115254344.html)より引用します。
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我国に田遊びという藝がありますが、これは語から言つても、田におけるあそびです。遊びは日本の古語では鎮魂の動作なのです。楽器を鳴らすこと、舞踊をすること、または野獣狩りをすること、鳥・魚を獲ることをもあそびと言ふ語で表してゐますが、これは鎮魂の目的であるからです。
折口信夫『日本芸能史六講』
あそぶこと、つくること、くらすことも古代からの人の営みであり、特別なことではない。これらのことは生きていく上で自然に行われてきたことで、互いに連携したひとつのことである。
五十嵐威暢『あそぶ、つくる、くらす』
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自然(神)や人の魂を鎮めること、その行為が「遊び」。自然に触れて暮らすことも「遊び」。自然に学び追求することも「遊び」。

私たちのDNAには、古代から自然と同化し、その恵みに感謝をささげてきた記憶が刻印されているのかも知れません。子供たちが遊ぶ姿を見て心が動くのも、そんな「遊び心」が呼び覚まされるからではないでしょうか。

 

投稿者 hoiku : 2016年12月02日 List   

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