日本の隠居は、社会役割として本業以外の「隠居仕事」を担っていた。 |
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2016年02月12日
「所有」よりも豊かになれる「共有」
季節の変わり目になると、あちこちから子ども服のお下がりをいただきます。
いただいた服が着れなくなったら、きれいなものはまた違う子にまわすので、地域内でまわりまわって役目を果たすと雑巾や古着回収行きとなります。
このゆるいお下がりコミュニティに属していると、ここは何人兄弟だとか、あの家に赤ちゃんが生まれたとか、幼稚園っ子だ保育所っ子だ、いろんな情報が入ってきて、親同士も子どもたち同士も「○○ちゃんの服、着てくれてる!」「ありがとう、大事にするね」と仲良くなって、ほっこりします。
車、家、果ては恋人もシェアする時代。
物的な豊かさを実現した人たちが求めているのは、やはり人とのつながりや安心して暮らせるコミュニティ、共同体の再生だと実感した記事を紹介します。
「所有」するなんてナンセンス! テクノロジーが加速する「共有」の時代より引用。
ソーシャルウェブの台頭とリンクして、若い世代を中心に時代の空気が変わっていると私は感じています。
今回紹介する二つのサービスからは、「所有は非効率であり、共有した方が豊かになれる」という考えが広がりつつあることが読み取れます。
「所有」せずに「共有」することは、経済的に効率が良いだけでなく、精神的な満足も得ることができるのです。米国の共有系サービスを2つほど見ていきましょう。
◆お下がり共有サービス「ThredUP」
初めにご紹介するのは「Clothes don’t grow. Kids do.(服は成長しない。子どもは成長する。)」というコンセプトの子ども服交換サービス、ThredUPです。
子ども服の寿命は短いです。せっかく良い服を買っても1年足らずで着られなくなる、なんてことも多々あります。そうなればまた新しい服を買わなければなりません。
ThredUPはそんな時役立つ、「お下がり共有」のためのサービスです。小さくなった服を誰かにあげる代わりに、より大きなサイズの服を貰うことができるのです。
あなたのご家庭にも、もう着られなくなった子供服はありませんか? ThredUPはまだ米国でしか利用できませんが、子供服を気軽に交換できる時代がもうすぐ訪れることは確実でしょう。
◆近所の人と気軽に貸し借り「Neighborgoods」
「Save money and resources by sharing stuff with your friends(あなたの友達とモノを共有して、お金とリソースを節約しよう)」という分かりやすいコンセプトの「Neighborgoods」も面白い事例です。
例えばスーツケースや農機具、着物など「日常的に使わないけど必要なモノ」はどの家庭にも数多く眠っているものです。
Neighborgoodsはそうしたモノを近所の人と貸し借りすることができるサービスです。
年間稼働率の低いモノを近所の人と共有することには、経済的にメリットがあります。買うよりも借りた方が安いし、場所も取りません。
ThredUPもNeighborgoodsも、興味深いのは地域コミュニティを強化する側面があることです。子ども服を交換すれば、それを機会に親同士・子ども同士が友達になることもありえます。近所の人とモノを貸し借りすることにも、同様の効果があります。
モノを媒介にコミュニケーションが発生し、そこにコミュニティが生まれ、精神的な満足を得ることができるのです。共有系サービスの魅力はお金を節約できることだけではありません。
かつての「地域コミュニティ」は崩れ、信頼できる「会社コミュニティ」も崩れつつある今、人々は新しいコミュニティを求めています。モノを交換することで生まれる緩やかなコミュニティも、その一つになっているのでしょう。
◆「所有」から「共有」へ
私は1986年生まれですが、この世代は一般的に会社勤めで給料が上がることを期待していませんし、会社という組織形態を強く信頼していません。将来への不安は強く、いつ会社が潰れても平気なよう、スキルを積極的に身に付けようとする人も多いです。
若い世代には、所有するための余裕が不足しています。その結果、共有することで得られる経済的・精神的な豊かさを好むようになりつつあると、私は考えています。
テクノロジーは情報伝達コストを低下させ、共有することを容易にしています。今後、所有と共有のバランスが変化していくことは確実でしょう。
私たちがこれから生きるのは、共有とコミュニケーションの社会です。あなたは「所有する必要のないモノ」を抱えていませんか? それを誰かと共有することで、より豊かに生きることができるかも知れません。
少ないことは豊かなこと。「Less is more.」の時代がやってくると私は考えています。
引用終わり。
自分は特に裕福でも貧乏でもありませんが、今、自分だけで所有したいものって?と考えた時、びっくりするくらい何も浮かびませんでした。
モノをたくさん抱えて貯めこむよりも、足りないものを補い、余っているものを分け合える人がたくさんいる方が安心だし充足します。
「豊かさ」のものさしは、モノをどれだけ持っているかではなく、モノを媒介に人と繋がれるか、より多くの人の役に立てるかだと感じました。
投稿者 hoiku : 2016年02月12日 TweetList
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