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2015年12月11日

ことばは、風土や情景とともに刻まれる

長女は鍵っ子なので、毎日学校から帰ったらすぐ私に電話をかけることを日課としてもらい、安否を確認しています。

毎日「ただいま!」の声を聞いていると、今日も一日元気に無事に過ごしてくれてよかったなとか、少し疲れているようだなとか、うれしいことがあったんだなとか、長女の顔が目に浮かんでほっこりしますm194.gif

先日、いつものように「ただ~いま~!」「おか~えり~♪」とやりとりしていると、長女が「ママの“おかえり”って、手をいっぱい広げてぎゅーってしてくれてるみたい」とはにかみながら言いました。

お互いに、同じように、いつもの短い一言から相手を思い浮かべていたんだなぁと嬉しくなりました。

我々が子どもの頃から無意識に使っていることばは、単一にあてがわれた記号ではなく、風土や情景とともに刻まれてきた。だからぴったり合って染み入るのだと気づかせてくれた記事を紹介します。

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ことばは、情景や感性とともに、脳内にインプットされる

より引用。

人は、その風土・情景のなかで、語りかける人の感性とともに、ことば(母語)を獲得し言語構造の基盤を作り上げる。

人類の観念回路は、共認充足なしには健全には形成されないことがよく分かります。

以下、黒川伊保子さん著『日本語はなぜ美しいのか』より、抜粋紹介します。

 

母語とは何か

母語というのは、ある個体の脳が、人生の最初に獲得する言語のことである。脳の基本機能と密接に関わっているので、後に獲得する二つ目以降の言語とは、性格を大きく異にする。

「朝よ、おはよう」

母親がそう言って、赤ちゃんを抱き上げるシーンを想像してほしい。

アサという発音体感には、爽やかな開放感がある。オハヨウは、実際に「ォッハョォ」と、二拍目のハを中心にして発音される語で、弾むような開放感を持っている。従って、「朝よ、おはよう」と声をかけた母親は、無意識のうちに自分の発音体感によって、爽やかな、弾むような開放感を味わっているのだ。

さて、注目すべきは、赤ちゃんの脳である。赤ちゃんには、目の前の人間の口腔周辺の動きを自らのそれのように感じ取る能力がある。このため、母親が無意識に感じている、爽やかな、弾むような開放感に赤ちゃんは共鳴して、一緒に味わっているのである。

アサ、オハヨウということばは、これとともにある情景、すなわち、透明な朝の光や、肌に触れる爽やかな空気や、抱き上げてくれた母親の弾むような気分とともに、脳の中に感性情報としてインプットされていくのである。

母国語とは何か

ことばは、風土とも無関係じゃないのである。

眩しい朝を迎えることの多い日本人は、朝にアサということばを与えた。喉も口も開けるAに、舌の上に息をすべらせて口元に風を作るSの組合せ。まさに、爽やかな開放感のことばである。オハヨウも、ハの開放感が目立つ、弾むような挨拶語である。

黎明の中や、穏やかな陽光の中で一日を始める緯度の高い英国に住む人たちは、くぐもった発音の「Good morning」で挨拶をし合う。いたわり合いつつ、徐々に活動を開始するイメージだ。もちろん、「Good morning」は、その組成から、語感ではなく、意味から創生されたことばであることは明確である。しかし、長きにわたって英国人が、このことばを朝の挨拶語に使ってきたことには深い意味がある。英国の人々は無意識に、「Good morning」の鼻腔に響く、くぐもった優しさが英国の朝に似合うと判断したのだろう。

どちらが良いかは、一概に言うことはできない。

しかし、鮮烈な朝日で迎える日本の朝には、日本語のアサ・オハヨウがよく似合う。日本に生まれ、日本の朝日の中で「アサヨ、オハヨウ」と言われて抱き上げられる赤ちゃんの脳には、素直に、ことばと情景の感性リンクが成立する。

もちろん、英国の薄暗い朝に、穏やかな低音で「Good morning」と言われて抱き上げられる赤ちゃんの脳にも、素直に、ことばと情景の感性リンクが成立する。

こうして、その国の風土と人々の意識とによって、長く培われてきたことばが、母国語である。

引用終わり。

母国語とも違う、幼児期にしか身につかないと言われている母語。

母親から伝承され、二度と書き換えることのできない知的活動の核となる言語を、もっと大事に意識して伝えていきたいと思いました。

投稿者 hoiku : 2015年12月11日 List   

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