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2014年01月09日
感謝の心を育む子育てとは?~子どもに寛大なユダヤ人の子育て~
こんにちは。
今回はユダヤ人の子育てを紹介します。
ユダヤ人の子育ての特色は以下の3つ。
①服従・協調を美徳とは教えない
②自分自身の独自性を築くことを奨励する
③体罰を控える・懲罰的手法は採らない
幕末に日本に来た外国人が、日本人の子育てを見て、
「子供を罰せず、子供に夢中な日本人」
と評したと言われますが、日本人の子育てとユダヤ人の子育てには共通点がありそうです。
そして、これらの子育ては、感情の抑制を幼いころから求め、
時に体罰をも辞さないアングロ・サクソン的な子育てと対照的な位置にあるようです。
◆再評価されるユダヤの母親より引用します。
(世界日報 2008/6/23)
保護的で寛大な子育て/巨匠や長者らの才能を開花
獨協大学教授 佐藤 唯行
■アングロ・サクソンと対照的
英語には「ジューイッシュ・マザー」(ユダヤの母親)という言葉がある。「過保護で子供に甘い母親」という意味である。その子育てはベタついた母子関係を築きあげてきたと考えられ、従来、否定的に評価されてきた。
ところが近年になり、「ジューイッシュ・マザー」たちの保護的かつ寛大な子育ては、キリスト教徒の母親の子育てとくらべ、子供の個性・創造性の成長を促してきたと再評価されるようになった。その特色は、①服従・協調を美徳とは教えない②自分自身の独自性を築くことを奨励する③体罰を控える・懲罰的手法は採らない――というものだ。
これらはアングロ・サクソンの伝統的子育てとは極めて対照的なものである。自分の子供に規律や団体精神を身につけさせるため、フットボールやボート競技に参加させたり、感情の抑制を幼いころから求め、時に体罰をも辞さないのがアングロ・サクソン的な子育てである。これに対してはるかに寛大で子供に甘いのが「ジューイッシュ・マザー」の子育てである。その起源はユダヤ教の聖典タルムードにまでさかのぼることができる。「スマホート篇Ⅱ・6」には「子供を決して脅し罰してはならない」という規定もある。
ユダヤの母親たちは発育期にあるわが子が、みずからの才能を発見し、個性的な生き方を発達させてゆくために必要な、のびのびとした環境を与えようと、昔から努力を惜しまなかったのである。この点について、ウォール街の長者番付にも名を連ねた大物ヘッジファンド・マネージャーのマイケル・スタインハート(一九四一―)は女手ひとつで自分を育てあげてくれた母についてこう回想している。
「母は学校のことで私にプレッシャーをかけることなく、私の過ちを裁くことなく、無条件の愛を私に捧げてくれた。……母が私にどれだけ私心なく、尽くしてくれたかをいくら誇張しても誇張しすぎることはない」
■子の才能を見つけ伸ばす執念
また、マイクロソフト社のCEO、スチーブン・バルマー(一九五六―)も少年時代を振り返り、「私がおこなおうとするすべてのことについて、母は常に私を支えてくれたのであった。母は偉大なパートナーであり、親友でもあった」と語っている。
さらにハリウッドの鬼才、世界的映画監督のスチーブン・スピルバーグ(一九四七―)は、子供のころは「問題児」で近所の家の窓にピーナツバターを塗りたくったり、八ミリカメラでおもちゃの機関車が衝突するシーンをフィルムにおさめることに熱中し、学校の勉強はろくにしなかったという。
しかし、スピルバーグの母親は、このような彼をあえて型にはめようとせず、「あなたの悪いところは独創的すぎるところね」と苦笑しながらその生き方を認め、終始温かく見守り続けたそうである。もし母親が規律と服従を重んじる権威主義的な子育てで臨んでいたならば、少年スピルバーグは懲罰に萎縮してしまい、彼の天分は育たなかったであろう。
ユダヤの笑い話のなかにも、「自分の息子がはじめてヴァイオリンの練習を始めたとき、ユダヤの母親はすでに息子が第二のハイフェッツ(ロシア生まれの天才ヴァイオリニスト、一九〇一―八七)になることを夢みているのだ」という話があるくらいだ。これはいまだ幼いわが子のなかに、何が何でも才能の片鱗を見出そうとするユダヤの母親たちの執念ともいえる思い込みを表現したジョークといえよう。けれど、ひとたびその片鱗を見出したあかつきには、それを育てるために万難を排していくユダヤの母親たちの寛大かつ過保護な子育ては、子供たちの才能開花にひと役買っていることは間違いないであろう。
■日本人とも共通点ある子育て
さて、ユダヤ人と日本人との間には勤勉さ、倹約精神、教育の重視など、少なからぬ共通点があることがすでに知られているが、先に述べた「寛大な子育て」も実は知られざる共通点ではなかったのかという気がしてならない。そして、その起源も「平成のニューファミリー」などではなく、ゆうに江戸の昔までさかのぼれるのではないかと筆者は考えるのである。
その根拠のひとつが、幕末、長崎に徳川幕府が設立した海軍伝習所で勝海舟、榎本武揚ら多くの俊英を育てたオランダ人海軍士官、ウィレム・カッテンディーケ(一八一六―六六)がしるした日本滞在記である。その中で彼はすぐに子供を笞打つヨーロッパ人の子育てに対し、「子供を罰せず、子供に夢中な日本人」の子育てに注目しているのである。「裕福な暮らしの人だけでなく、貧しい庶民も自分の子供を心底いつくしみ、大切に育てている」と彼は指摘しているのである。
カッテンディーケが指摘した「寛大な子育て」はユダヤ人の場合と同じように、日本の子供たちの才能開花にプラスの影響を及ぼしてきたのではないだろうか。教育学の専門家に尋ねてみたい疑問である。
投稿者 noz303 : 2014年01月09日 TweetList
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