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2013年10月03日

子どもたちに伝えたい日本人のこころ(3):全ての物への感謝から出てくる「もったいない」は、次代の社会を指し示す言葉

こんばんは。

すっかり秋めいてきましたね。

『子どもたちに伝えたい日本人のこころ』シリーズでは、日本人の奥底に流れているこころを、日本語を通じて紹介していきます。

さて、今回の記事で注目する言葉は・・・

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まずは、その語源から。日本人の心を伝える思いやりの日本語(山下景子著)より引用します。

勿体無い(もったいない)

「勿体」は、中世のころにできた和製漢語だそうです。

語源は、物のあるべき姿をいう「物体(もったい)」だという説が、現在では有力なようです。漢字は、「物」を省略して「勿」と書いたのだとか。これを「無し」で否定して、「もったいなし」になったということです。

ほかに、「体」は正体の意味、「勿(なかれ)」はそれを打ち消す言葉だという説もあります。この場合の「なし」は程度がはなはだしいことをあらわす接尾語ということになります。

どちらにしても、もともとは「あるべき姿をはずれている」「不届きである」という意味で使われていました。つまり、本来の姿にみあった扱いをされていないことが、「もったいない」というわけですね。これは、神聖なものが汚されて恐れ多い場合にも、身に余りある好意を受けて感謝する場合にも使われます。また、粗末に扱われて惜しいということや、活かされずに残念だということにもなります。

感謝と惜しむ気持ちが同居している「もったいない」という言葉。生き物だけでなく、全ての物に命があると感じてきた日本人らしい言葉です。

全ての物に命があると感じ、全ての物に感謝する日本人。それ故に、その物が本来の姿にみあった扱いをされていない事に対し、惜しむ気持ち、申し訳無いという気持ちの表れとして「もったいない」という言葉が出てくるのでしょうね。

その事を書いている記事が、るいネットにありましたので引用します。

「もったいない」は、自然への畏敬の念から生まれた

食べ物を残したり、物を不用意に捨てたりすると、「もったいない」と言われるが、この意味するところは、「物」に対し、正統な扱いをしていないということになる。本来その「物」が持つ能力を十分に生かしきれていないと言う評価だ。

自然と共に生きてきた日本人は、「物」=「自然からの生成物」を、有効に使う大切さを知っていたのだろう。また自然を「威厳」或いは「貴重」と捉えたからこそ、「もったいない」という言葉が生まれたのではないか。

「もったいない」とは、自然への畏敬の表れ、翻って、それを怠った時には、「罪悪感」を感じていたのではないかと思う。

さて、「もったいない」という言葉はかなり昔からあるのですが、その「もったいない」が近年大注目されたのを覚えていますか?そう、それは、嘉田由紀子滋賀県知事が初当選した時の事です。

滋賀県の嘉田知事は、2006年、「もったいない」を合言葉に、新幹線新駅の建設凍結、県内に計画されているダムの凍結見直し、旧志賀町に予定している廃棄物処分場の中止などを主張して知事選挙に出馬し、自民、公明、民主の3党が推す國松善次前知事を破り当選しました。当時、るいネットで扱われた記事を紹介します。

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『もったいない』は、『有難い』に通じる。

『もったいない』をキャッチフレーズに、マスコミの手助けも無い無名の新人が滋賀県知事に当選した。透明や公正、権利や福祉、自由や平和より、『もったいない』の実感が受けたという。 上辺だけの(旧)観念から実感へ、言葉が間違いなく動いている。人々の意識潮流を鋭敏に反映した事象ではないか。

飢えが完璧に克服された社会の『もったいない』は『有り難い』に繋がり、本源性に照らし合わせた中身がある。我々は市場原理に犯されるまで、元来『足るを知る』民族であった。生き方の全で『無駄を省く』、『節約する』を心がけることは本来大切なこと。

飢えを克服した今、『必要か否か』の中身を既に潜在思念はキャッチ出来ている証左の事象だ。

「もったいない」は本源的な価値を再生させていく言葉

嘉田由紀子 滋賀県知事の所信表明より

>今回の選挙中に私は、県民の皆さんとのお約束をマニフェストという形で提示させていただきました。そこでは、県政改革をあらわす表現として「もったいないを活かす滋賀県政を」というフレーズを掲げました。

> この「もったいない」という言葉は、私自身が過去30年間、滋賀県内を歩かせてもらった時に、地域の皆さんから教わりました“くらし言葉”です。あるい は、生活哲学とでも言ったほうがいいかもしれません。「もったい」というのは物事の本質的な価値ですが、それが失われたり、損なわれたりするそのことを 「もったいない」と表現しております。その3つの改革の柱を、私は次の「もったいない」と表現いたしました。

>1つは、税金のむだづかいもったいない。

>2つ目は、琵琶湖や自然本来の力、壊したらもったいない。

>3つ目は、子どもや若者の自ら育つ力、損なったらもったいない。

>です。

「もっ たいない」は、物的欠乏から類的欠乏に転換しつつある庶民の言葉だと思います。政策としては、財政破綻・環境破壊・教育崩壊などの課題に分解されています が、根底には本源的な価値を再生していく意思が伺えます。もはやプロ発の幻想的な言葉は輝きを失い、庶民発の実質的な言葉に魅力を感じます。

 市場の暴走が生んだ3.11原発事故を契機に、人々の意識は大きく「脱市場」へと向かっています。市場の延命、自己の延命のみを考え、国家の破綻へと突き進む統合階級に対し、人々の実感から出てくるこの「もったいない」という言葉が、私たちが進む次代の社会を指し示しているように思います。

「もったいない」

子どもたちに是非伝えていきたい言葉ですね。

 

投稿者 noz303 : 2013年10月03日 List   

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