【コラム☆感謝の杜】食養のすゝめ ~余命2ヶ月と宣告された夫が6年生きた~ |
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2013年08月17日
子どもたちに伝えたい日本人のこころ(1):新シリーズ よろしくお願いします
言葉は時代とともに変化し続けています。
当たり前のように使っている言葉を子どもたちが知らないこともありますし、逆に子どもたちが使っている言葉が全く理解できないこともあります。
時代の変化に伴って言葉が変わることは当然ですが、現在使っている言葉でも昔は違う意味で使われていたり、すっかり使われなくなった言葉の中に、現代人が忘れてしまった意識が込められていたりします。
流行り言葉とは違い、数百年・数千年と使われてきた言葉は、より根源的・本源的な意識を表しており、道を見失いがちな現代人に対して、人間のあるべき姿、進むべき方向を指し示しているように思えてなりません。
このシリーズでは、いつまでも忘れないでいたい、次代を背負っていくこどもたちに伝えていきたい、そのような日本人のこころを紹介していきます。
さて、最初に紹介する言葉は、……
その前に、応援 よろしく
今回紹介する言葉は、「よろしく」です。
非常に便利な言葉で、
初めてあった人には「よろしくお願いします。」
仕事でも「あとはよろしくね」
など、使わない日はありません。
ところが、「よろしく」は英語に訳せないんだそうです。
たしかに、日本人ならあうんの呼吸で通じても、契約社会である欧米人にとっては、何をお願いされたのか肝心な中身がないから、「よろしく」って言われても、「用件をはっきり言え」と言いたくなるでしょうね。
「日本人の心を伝える 思いやりの日本語」山下景子著より
よろしく
おさまりのいい締めの言葉として、つい使ってしまう言葉ですね。
「よろしく」は、「よろし」の連用形。その「よろし」の語源は、「寄る」から派生した「寄らし」だといいます。近寄りたい気持ちをあらわす言葉だったのですね。それでも、中世の評価基準では、「よし」「よろし」「わろし」「あし」という順だったそうです。悪くはないけど、格別よいというほどのこともないといったところでしょうか。そんな幅広い範囲を受け持つ言葉として、今日まで受け継がれてきました。
たしかに、私たちが「よろしく」というとき、何がなんでもという気持ちではなく、「できる範囲で結構ですから……」というニュアンスが含まれているような気がします。「よろしくお願いします」「よろしくお伝えください」「よろしく頼みます」……。どれも、相手の好意にゆだねた表現です。
心地よい暮らしは、お互いの好意の上に成り立つもの。それは、強要するものでも、されるものでもありません。そう思うからこそ、日本人は、「よろしく」といってきたのではないでしょうか。
日本人らしいあいまいな表現ですね(笑)
そのあいまいさは、相手の好意にゆだねながら、それでいて無責任になるでもなく、自他の区別なく一番可能性を感じる方向に舵を取っていくための智恵を感じます。
それは、人類が持っている共認回路が作り出す意識であり、言葉なのです。
「共認機能」
相手に同化する、サル・人類に固有の機能。元々は、サル時代に形成された不全から解脱する為に形成された機能で、相手の不全(期待)と自分の不全(期待)を同一視する共感回路を原点としている。そこで相手と同化することによって充足(安心感等)を得ることができる。この機能を土台にして、相手の課題=期待と自分の課題=期待を重ね合わせて、課題や役割や規範や方針を共認する(共に認める)ことが可能となる。
相手と自分を同一視し、相手の喜びが自らの喜びともなる「共認機能」が生み出す意識は、思いやりに満ち溢れると同時に、始原人類が極限時代を生き抜いた原動力でもあるのです。
極東の辺鄙な離島に住みついた日本人は、それ故に始原人類の意識をより濃厚に残した民族であり、日本語の中にはどんな状況でも充足して生き抜く智恵が込められています。
次回以降も、子どもたちに伝えたい「日本人の奥底に流れているこころ」を、日本語を通じて紹介していきます。
よろしくお願いします
投稿者 watami : 2013年08月17日 TweetList
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