【コラム☆感謝の杜】 西洋式育児から日本式育児へ |
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2013年06月20日
これからの充足のカタチ(13)~医療におけるこれからの充足のカタチ~
前回の「これからの充足のカタチ(12)」で紹介したように、日本の高齢化率は2013年で25%に、2030年には30%を超えると予想され急速に日本は高齢化社会を迎えます。
高齢化に伴い医療費も増え続け国民全体の医療費は2010年の37兆円に対し、2025年には50兆円を越えると予測されています。そのうち高齢者の医療費は3割を越えており、高齢者の医療費を賄うための財政支出や現役世代の保険料負担は今後も増すばかりです。高齢者の自己負担額引き上げなど目先の対策も考えられてますが、政府自民党は選挙で不利になるので実施しない方針のようです。
少子高齢化社会を目の前にし、医療分野においてもなんらかのパラダイム転換が必要なのかもしれません。
社会はこのような状況ですが、新しい可能性を探り続けている医療現場もあります。
今回は、この医療現場の事例を紹介し、医療における「これからの充足のカタチ」を探っていくことにします。
1.予防医療が生んだ“夕張モデル”
5年前、夕張市は財政破綻に伴い、171床の総合病院を19床の診療所に縮小しました。救急機能の維持には、医師や看護師を24時間配置し、検査体制も整備しなければならず、予算も人員もない市は救急指定を外さざるを得ませんでした。
閉鎖された病院の後を受けた「夕張希望の杜」は限られた資源を最大限に生かすため、病気の予防と、生活を「支える医療」に特化。ワクチンや早期発見で予防を進め、総合病院から退院した身体の不自由な患者や、糖尿病などの慢性期医療の患者へのケアを主体にしました。急性期医療は近隣の総合病院に頼らざるを得ないので、患者が急性期に移行するのを未然に防ごうとしたのです。
そして市民の健康はどう変わったのでしょうか。私たちがこのほどまとめた、5年前と現在を比較したデータから見えてきたのは財政破綻の危機から生まれた“夕張モデル”が持つ可能性です。
この5年で死因の第1位であるがんの死亡率(SMR、標準化死亡比)は低下していました。なかでも胃がんの死亡率は3割以上の低下でした。これは「ピロリ除菌での胃がん予防」や「がん検診を通じたがん全般の早期発見」など、市民の努力の成果です。
死因第3位の脳血管疾患こそ横ばいでしたが、第2位の心疾患、第4位の肺炎の死亡率も大きく低下しました。これも、肺炎ワクチン接種や口腔(こうくう)ケアでの肺炎予防、さらに禁煙や生活習慣の改善で病気全般の予防という、市民の地道な努力が実を結んだといえます。
S&Pが警告した高齢者医療費はどうでしょうか? 日本の1人あたりの高齢者医療費は上昇を続ける一方で、もちろん夕張の高齢者にかかる医療費も以前は右肩上がりに上昇していました。しかし5年前を境に徐々に低下し、現在では当時より1人当たり約10万円も安くなっています。
予防で病気にならず、支える医療でできるだけ入院しない。市民一人ひとりの努力が、全体の死亡率を下げ、最後まで自宅で生活できる環境を作りあげ、さらに医療費を減らした。努力の成果が表れたデータを見た時、私はとても感激しました。
総合病院までなくなった悪条件の中でも、夕張市民はみんなの努力で元気になりました。高齢化率世界一の日本ですが「みんなが元気になり、医療費も減る」という希望もまだ残されているはずです。
発端は財政破綻という重たい内容ですが、結果的には「医療費は上がっていないのにみんなが元気になっている」という想像を覆す結果を生み出しているようです。
2.地域に根ざす医療が生んだ長野モデル
「低医療費で長寿」。医療関係者の間で「長野モデル」と呼ばれるその特徴を、一言で表すとこうなる。長野県は高齢者1人当たりの老人医療費は全国で最も低く、平均在院日数も最短。他方で平均寿命は男性1位、女性5位と長い。
ローカル色豊かなJR小海線・臼田駅から歩くこと10分。千曲川に架かる臼田橋を前にすると、のどかな風景から突如、異様な光景へと切り替わる。河川敷を埋め尽くすほどの自動車。そして老朽化した建物の屋上にはおよそ似つかぬ、県内唯一のドクターヘリが出動を待つ。
そんな佐久病院が創立されたのは1944年。当初は実態は診療所だったが、今や臼田の本院だけで821床、1日当たりの外来患者数は約1800人の基幹病院だ。外来入り口には27診療科の約200人の医師名が並ぶ。各地の医師不足とはまるで異なる充実ぶりだ。
背景には創立翌年に佐久病院に赴任し、以来50年にわたり院長、総長として農村医学を実践し続けてきた、故若月俊一氏の存在が大きい。若月氏は「農民とともに」を旗印に、高度先進医療から診療所医療・在宅ケア、保健・福祉まで、地域のあらゆるニーズに応え続けてきた。こうした理念や実績に引かれて集まった研修医を、自前の研修で診療の中核へと育て上げてきた。
高度医療対応と並び、同院の特徴が訪問診療の充実だ。若月氏が就任早々、無医村への出張診療を始めるなど歴史も古い。94年には訪問診療を担う「地域ケア科」が設立され、今では17人の医師がチームを組み実施している。
佐久病院の訪問診療は病院ならではのもの」と、地域医療部長の朔哲洋医師は語る。佐久病院は本院だけで寝たきりの人など350人前後の訪問診療の患者を抱える。月1回のペースで担当医が訪問するほか、必要に応じて、眼科、皮膚科、形成外科などの専門科による訪問診療も実施している。「5人の看護師がつねに患者の状態を管理しており、ペースメーカーの交換からレントゲンの撮影まで在宅でできる」(朔医師)充実ぶりだ。
2013年に公表された都道府県別平均寿命ランキングでは、長野県は男女共に一位となっています(リンク)。これも地域に密着した医療の成果なのかもしれません。
3.2つの事例から見える「これからの充足のカタチ」
現状の日本の医療業界は、病人が増えることで潤う構造になっています。
また、医療行為自体もお金を稼げるかどうかが最優先となっています。
例えば、現在の医療制度では全ての医療行為に点数が決められており、健康保険から医療機関にその点数に応じたお金が診療報酬として支払われる仕組みとなっていますが、医療行為自体がその点数により大きく左右されるようになっています。例えば、薬を処方すればするほど点数を稼げるのでやたらと薬を処方したり、診療報酬の点数により看護士さんの配置人数が決められるなどです。驚くことに、老人が長期入院すると経営上割に合わなくなるので、老人の入院はお断りするといった病院もあるようです。
このような現状に対し上記2つの事例は明らかにベクトルが逆向きです。
医師は予防医療を行えば行うほど病人が減るので収入も減ります。患者のところに出向く訪問診療は非効率で決められた診療報酬の点数では割りに合いません。なのに、なぜ夕張の医師も長野の医師もそんな医療を続けるのか?それは、その医療行為の中にお金に勝る充足があるからなのでしょう。医師を志す子供たちが感じるような「病気を治すことで相手が喜んでくれる」といった純粋な期待と応望の充足なのかもしれません。
また、患者側も「自らも学び病気を予防していく」という主体的な行動からの充足や、訪問診療で得られる医師や看護士との対面による共認充足などを得ているのでしょう。そしてそれは、生きることの喜びや医師に対する本源的な感謝の気持ちを生み出し、「頑張って病気を治し元気で生きていこう」とする活力が生まれているのでしょう。
夕張モデルは財政破綻、長野モデルは過疎化という目に見える外圧が生み出したものといえますが、外圧だらけの日本の医療における「これから充足のカタチ」を生み出すヒントが隠されていると思います。市場優先というフレームさえ外せば、新しい可能性、これからの充足を見つけることができるのかもしれません。
今回はここまでです。
次回は、寿命まで元気に働き続ける人達に焦点を当て、「これからの充足のカタチ」を探っていくことにします。
投稿者 ともひろ : 2013年06月20日 TweetList
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