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2012年04月21日
『安心基盤を作っていくには?』医療制度はどうなる!?―7~アメリカ医療事情・後編(市場化の起源)
前々回と前回の記事で扱ったように、アメリカ医療は、保険会社や製薬会社といった巨大資本が支配していると言えます。
今回は、世界でも特異な市場原理に基づいたアメリカの医療制度が、どのようにして形作られてきたのか、その成り立ち・起源がどこにあるのかを見ていきます。
1910年から1930年代までの史料を調べ、アメリカの市場原理に基づく近代的医学を確立してきた歴史を紐解いたリチャード・ブラウンの『ロックフェラーのメディシン・マン:アメリカにおける医療と資本主義』には、
今日の市場原理で動くアメリカ医療の原型は、19世紀末からの科学的医療を支持したロックフェラー財団やカーネギー財団が、アメリカ医師会(American Medical Association: AMA)を牛耳る形で、1930年代までに作り上げてきた
科学的医療の正統化と医師の専門職化そのものが、巨大資本家の財団の目論見だった
と書かれています。
これは、何を意味するのでしょうか?
■アメリカ医療の近代化:多様な療法の排除と医師の組織化
アメリカにおける近代医療の制度化は、様々な流派が存在し、それぞれが多様な医療を行なっていた医師たちを、組織化することから始まりました。
19世紀末、医師は力もなく富もなく、地位も低かったといいます。それは、当時の医療というのが、完全に患者中心であったからです。
当時は、薬草療法、温水療法、信仰療法などさまざまな治療方法があり、患者は、自分の症状と経済状況にあわせて、治療を受けるか受けないか、受けようとする場合にはどんな治療がいいのか、自分で選んでいたのです。
そして医師は、患者の希望にあわせて、患者にとって適当な方法と価格の治療を提供していたのです。この頃からも、医師による組織団体はいくつかあったらしいですが、誰が医師として業界に参入できるか、誰ができないかというコントロールは全くされておらず、医師になりたい人は、自分で名乗れば勝手に治療行為を行うことができたということです。
ところが、1930年代ごろまでにこの状況は一変します。医師集団が、医学校や教育病院を運営することで、医師になるためのライセンス付与のコントロールを始めたからです。また、医師は、地元の医学会を通して、診療内容や料金を決めたりするようになりました。
ジョン・D・ロックフェラーとも関係の深い、カーネギー財団から資金の提供を得たエイブラハム・フレクスナーは、アメリカ中の医療学校やその他の治療施設を回って、そこで教えられている治療法の効果を評価しました。そして、1910年に医療のあり方に関する報告書、『フレクスナー・レポート』を出しました。
フレクスナーは薬を使わずに患者の治癒を促す治療法をいんちき療法とみなした。
生物電気医療、ホームセラピー、東洋医学などのコースを設置する学校はこうしたコースをカリキュラムからはずすように命令され、従わなければ、認可と援助をうけられなくなると言われた。
その結果、アメリカの医学校の数は、フレクスナー・レポートが出される以前の1906年には160だったのが、1920年には85になり、1944年には69までに減少していきます。それは、医療教育からホメオパシー(同種療法)や民間療法などが排除され、症状を薬で抑える対処療法(アロパシー)だけが正統であると認められたことを意味します。
そこには、「医療は、科学的で臨床的で研究志向の大学院教育に基づいた臨床実践を意味するようになるべき」ことが示されていました。
この任をまかされたのが、アメリカ医師会に他ならず、以後、アメリカ医師会は大きな権限を持って、新規参入する医師たちを厳しくコントロールするようになりました。
同時に、「正統な科学的医療」を行なう医師の地位が向上し、その資格の認可をアメリカ医師会が担う体制が確立したのです。
■製薬会社と保険会社が興り、お金がかかる医療へ
1860年代にアメリカ国内で起こった南北戦争では、感染症が流行し、病死者が戦死者を上回るほどでした。これを契機に、公衆衛生が重要視されるようになりました。また、1870年代後半からフランスのパスツールや、ドイツのコッホらによって細菌学が確立されます。
こうして19世紀末には、それまで治らないとされてきた病気を治癒可能なものにする近代医療が確立されていきます。時期を同じくして、医薬品を大量生産するための製薬会社が興り始め、高価な「近代的な医薬品」による治療が、一般的な治療法として広まっていきます。
そして、医薬品市場で大きな利益を生み出すことが可能になったのです。
こうした中で、1929年に世界大恐慌が始まります。1929年から1930年にかけて、患者1人あたりの病院収入は200ドルから60ドル以下に激減。同様に、医師の診察料も激減します。そこで、病院と医師は、経済負担を少なくすることで患者を確保しようと、医療保険に目を向け始めます。
さらに第二次世界大戦が始まり、政府は、戦時中のインフレーションを避けるために、戦前の実質賃金を維持するという方針を立てました。労働組合はその代償として、医療保険を含む労働者の福利厚生の充実を要求し、組織拡大を図っていきます。その結果、企業労働者の多くが民間医療保険に加入するようになりました。
戦後も、大企業は福利厚生の充実を図る一環として、医療保険の負担額を大きくしていきます。その結果、保険会社が利益を拡大する一方で、GMやクライスラーの経営が傾いたとまで言われています。
■巨大資本家の狙いは
私達が病気のときに使う薬の大半が有機化合物であり、さらにその大部分が化学合成によって作られたものです。つまり、医薬品の原材料は石油ということになります。石油業界を独占していれば、原油から作られる薬品の業界をも支配できることになり、莫大な利益を上げることができます。
また、アメリカでも何度か国民皆保険制度を導入しようという動きがありましたが、その度にアメリカ医師会などの利益団体の猛反発を受け、挫折してきました。民間医療保険を主流とし続けることで、保険会社が医療を支配する現在の構造を作り上げたとも言えます。
こうして、現在でもアメリカ医療は、保険会社・製薬会社などの利益団体、その背後にいる巨大資本家の手中にあるのです。
投稿者 daiken : 2012年04月21日 TweetList
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