| メイン |

2012年04月19日

『生きる力を育くむ教育』~日本語の力(2)「いただきます」に込められた日本人の想い~

こんにちは~^^*
今日のお昼ごはん は何を食べましたか?

いただきます」「ごちそうさま」って言いましたか :nihi:

日本では、子供がいただきますも言わずにご飯を食べ始めたら、
『ほら、“いただきます”は?』
なんて注意したりしますよね^^

でも、世界では、ご飯前にお祈りする国はあっても、
「いただきます」を言う国は、日本だけだそうです。

いきなり食べ始めてもOKとか^^;

%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%A0%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99%EF%BC%92.jpg

文化の違いと言えばそれまでですが、今日は「いただきます」に込められた日本人の想い について、深めていきたいと想います♪

(応援クリックありがとうございます

 にほんブログ村 子育てブログへ

◆ 「いただきます」は日本の文化

 ここでは「いただきます」についてその本来の意味を考えてみたい。
 まず「いただきます」とは何をいただくのか。食事をいただく、と多くの人は考えているが、それだけでは十分な説明にはなっていない。正しくは動植物の生命(いのち)をいただくのであり、それに感謝する言葉である。
 さらにもう一つ、折角いただいたいのちを大切にして、生かしていくという意味も込められている。できることなら「世のため人のためにお役に立ちたい」と考えることである。利他主義の実践ともいえよう。

 「いただきます」に相当する英語は何だろうか。正解は、そういう英語はない、である。あえていえば、Everything looks so delicious.であろうか。しかしこの表現では日本語の「いただきます」に本来込められているいのちの尊重、感謝の心は浮かび上がって来ない。そういう意味でも「いただきます」は日本人の心であり、文化であると再評価し、大いに広めていく必要がある。

◆ いのちを尊重し、感謝すること

 このような「いただきます」の深い意味を理解することは、次のような認識と実践につながっていく。
(1)人間だけでなく、この地球上の動植物も含めた「生きとし生けるものすべてのいのち」を認識し、尊重すること。
(2)人間は動植物など他のいのちあるものとの相互依存関係の中で生かされていることを理解し、他者への感謝のこころが芽生えてくること

 仏教に不殺生戒、つまりいのちあるもののいのちを奪ってはならないという戒めがある。しかしそのいのちをいただかなければ、人間は自らのいのちをつないでいくことができない。これは大きな自己矛盾である。どうしたらいいのか。
 まず必要以上のいのちの殺生をしないことである。むさぼる貪欲(どんよく)を否定し、「これで十分」と心得る知足(足るを知ること)に徹する必要がある。もう一つ、だからこそ感謝のこころを抱いて食べ物のいのちをいただくという姿勢が大切となる

参考:「もったいないだけではない」!命をいただくという認識=「いただきます」も世界に広めたい日本語 より

日本で暮らしていると、「いただきます」はみんなの当たり前の言動になっています。
その意味を改めて捉えることで、さらに感謝の心も深まってゆきますね

また、「ごちそうさま」も他の国の言葉に置き換えるのが難しい言葉です。
あえて英語にするならThank you for delightful dinner(楽しい食事をありがとう)でしょうか
「ごちそうさま」の語源は、本来「走り回ること」から生まれたそうです。

ご馳走の「馳走」は、本来、「走り回ること」「奔走すること」を意味する。
昔は客の食事を用意するために馬を走らせ、食材を集めたことから「馳走」が用いられ、さらに走り回って用意するところから、もてなしの意味が含まれるようになった。
感謝の意味で「御(ご)」と「様(さま)」が付いた「御馳走様(ごちそうさま)」は、江戸時代後半から、食後の挨拶語として使われるようになった。

参考:語源由来辞典 より

 
食事の準備をしてくれた人への感謝の気持ちで締めくくられているのですね。

このように、「いただきます」「ごちそうさま」には、すべてに感謝する日本人の心 が込められているのです。

「日々の食事の挨拶とともに、自然と感謝の心が育まれる」

日本語は素晴らしい言葉ですね 😉

日本でも外食化が進み、「いただきます」「ごちそうさま」を言う機会が減っているとも言われますが、改めて日常を振り返り、心のこもった「いただきます」「ごちそうさま」を意識していこうと想いました^^*

(最後まで読んでくださって、ありがとうございますv)

投稿者 chiue : 2012年04月19日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2012/04/1273.html/trackback

コメント

一神教の国では食事の前に「神の恵みに感謝します。」などと言うことがあるみたいです。 これらが日本語の「いただきます」に相当するのでは無いのでしょうか。 彼らは”食物”ではなく”すべてをお創りになった創造主”への感謝の言葉を述べるのでしょうね。

投稿者 タルタル : 2012年8月5日 21:56

>タルタルさん☆+゜

コメントありがとうございます^^

そうですね。神様に感謝する国は多いですよねw

日本と違うところは、『いただきます』には
(1)人間だけでなく、この地球上の動植物も含めた「生きとし生けるものすべてのいのち」を認識し、尊重すること。
(2)人間は動植物など他のいのちあるものとの相互依存関係の中で生かされていることを理解し、他者への感謝のこころが芽生えてくること。
といった意味も込められているところでしょうか^-^*

日本には万の神様がいらっしゃいますからねv
神様という特別な存在だけでなく、すべてに感謝する心のあり様が現れているのでしょうね☆+゜

投稿者 chiue : 2012年8月10日 20:58

いただきますのいみがわかってよかったしべんきょうになった。

投稿者 ほっぺちゃん : 2012年11月28日 18:46

>ほっぺちゃん☆+゜

べんきょうになってうれしいです^^*
いただきますのいみ、おともだちにもぜひ伝えてくださいね♪

コメントありがとう☆+゜

投稿者 chiue : 2012年11月30日 17:24

キリスト教の感謝もすべてのいのちを頂き、自分が生かされていることへの感謝が含まれています。頂きますは、素晴らしい言葉ですが、国粋主義的に、だから日本は他国民より優れていると考えるようでは、いただきますの精神に叶っていないと思います。

投稿者 pooh : 2013年4月6日 23:47

コメントしてください