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2011年12月01日
『生きる力を育てる教育』~農民のための寺子屋での実学教育~
学校で学んだことが、どれだけ実社会に出てから役に立っているのだろうか
誰でも一度は疑問を抱いたことがあると思います。
9年間の義務教育があり、その上ほとんどの人がさらに3年間高校に通い、大学進学率が50%を超えた現在、多くの人が16年間も学校に通うことになります。
現在につながる教育制度は明治5年に作られましたが、学校教育に対する違和感は、教育制度導入当時の大衆も強く感じており、制度導入に対して、「学校一揆」や「学校焼き討ち」まで起きました。
その一つの理由が、学校教育は実用にならないからなのです。
「今は青年学校に男女とも入るが、特に教へる人がないから今の若者は草履も草鞋もつくれず、着物一枚ぬへないと言つてゐる。今の学校は実用にならぬ、理屈のみ教へるとは、現代教育に対する古老感である。」
これは、昭和・敗戦前後の民俗学者・山口彌一郎の言葉だが、この時代以上に、明治の始めころは、「学校の教育内容」と「村で必要とされたもの」が、かけ離れたものだったに違いない。
その「実用にならない学校」に無理やり通わされ、しかも、授業料までも徴収された。
(『明治時代初期:なぜ、学校一揆や学校焼き討ちが起こったのか?』より)
そこで今回は、義務教育ではないのに高い就学率を誇っていた江戸時代の寺子屋では、いったいどのような内容を扱っていたのか、その「実学」の中身を農民向けのテキストを紹介しながら見ていきます。
いつも応援ありがとうございます。
寺子屋で使う実学のテキストは「往来物」と呼ばれていますが、農民の向けのテキストとして有名な物に「田舎往来」「百姓往来」などがあります。どのような内容なのか、一部を紹介します。
○百姓往来絵抄
「絵抄」というだけあって、挿絵がとてもきれいです。
まず、巻頭に学ぶ意義が書かれています。挿絵は寺子屋の様子ですが、楽しそうですね
次に、熊手、天秤、つき臼など、農作業だけでなく、日常的に使う道具が載っています。これで、道具名を覚えていったのでしょう。
「百姓往来」は「田舎往来」に影響をうけて明和3年(1768)に発刊されました。「田舎往来」が農民の労働や生活に関するあらゆる語彙を集約して編集された140ページの厚手の本であるのに大して、「百姓往来」は中本で小冊子の体裁にして、庄屋・名主・組頭などの村方役人層のみならず、実際に農業労働を担う小農民のおこなう労働内容や道具など必要な語彙を中心として編纂されたものであったので広く流布しました。(奈良教育大学教育資料館所蔵 往来物の解説より)
語彙を覚えたら、次は百姓の心得です。
○百姓掟
「百姓掟」は嘉永2年(1849)に発行されました。遠州恒武村(現・浜松市)で使用された手習本で、百姓の心得を略述したものです。「百姓に生れたるも天命、貧福も天命なりとおとし付なば、悔も頑もなかるべし…」から始まって、まず、百姓の身分では諸礼・諸芸は無知でも恥にならないが、百姓も天子同様の明徳を備えているため不仁・不義こそが恥となること、また、当代の奢りの世相を反映して百姓でも諸芸を習いたがり、家業が疎かになって種々の不都合が生じがちなため、早く「奢りの病」を見付けて五常・倹約を仕込むべきこと、町人や富貴を羨んだり、分不相応の遊芸に耽るべきでないことなどを説いています。
(新発見の往来物より)
そして、田植え、田畑の管理や種まきの時期など、農業の実学を学びます。
○田夫耕作状
「田夫耕作状」は安永4年(1775)に発行されました。正月から年貢納米までの月々の農事耕作や関連の年中行事に沿って農業関連の語彙を列挙した往来物です。農家正月の行事(十六夜の祝言田植え歌、二十日の幣打等)や彼岸・弥生頃の農作業、五月女の田植え、夏場の田畑の管理や種蒔きの時期、穀物の種類、収穫と納米の手順などが書かれています。
(新発見の往来物より)
☆写真の本は、作者の直筆本のようです。時代とともに文字を書く農民は珍しくなくなり、このような往来物を子孫に残したケースが無数に出てきます。文字を獲得した農民は独自の往来を次々に著していった様子を垣間見ることができます。
○寺子屋で、百姓として必要な学問を積み重ねた結果、よく言われるように、江戸時代は徹底的なリサイクル都市、循環型社会になりました。
一般に、都市化は自然環境にダメージを与えます。そのような意味では、物質循環における負の要因となりかねません。ところが、江戸時代は豊かな循環社会を可能にしました。
そのキーワードは、1.都市部の糞尿・草木灰、2.干鰯(ホシカ)、3.鳥です。
1. 都市部の糞尿・草木灰は買い取られて肥料として近郊農地に投入された。それらの有機物質は、河川を経て海に至り海を豊かにした。
2. 干鰯(ホシカ)は鰯から灯明用の油を絞った後のカスだが、それを肥料として農地に投入する流れが出来た。それが重力で海底に滞りがちな栄養素を物質循環にのせることになった。また、干鰯が刈敷に取って代わる事で里山のダメージは減った。
3. 鳥は海や里の水田の小動物や植物の種を食べて奥山で糞をする。これが貧栄養化しがちな奥山に栄養素をもたらし、同時に植物の進出をうながした。(*中国の朱鷺保護センターの事例では、1羽を飼育するために1日当たり約500g、年間約181kgの水性生物や昆虫が必要だそうです。鳥は、意外と大食漢です。)
こうした森林と土壌と川や沿岸の魚貝類の成育との関係も寺子屋でも教えたのです。
(「江戸時代に豊かな循環社会が形成されたのは、寺子屋での実学教育によるところが大きい。」より)
寺子屋での教育は徹底した実学であり、そうであるからこそ、生きる場=社会にとって何が一番適しているのかを学び、実践していくことができたのです。
現在の義務教育から高等教育の結果が、経済破綻であり、地球汚染である以上、どちらの教育が優れていたかは、疑問の余地はありません。
もう一度、何のための教育なのか、教育の基本に立ち返る時期が来ているようです。
そこで、次回以降は、農作業を教育に取り入れている実践活動を紹介しながら、「農」が持つ教育力について考えていきます。
お楽しみに
投稿者 watami : 2011年12月01日 TweetList
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コメント
投稿者 さかい
こんにちは、42歳になるバブル世代です。今の小中学生は、自分が小中学生だった30年前と比べると大人びていて、大人しい子が増えている感じがします。自分たちは、親や先生から勉強勉強とうるさく言われ、理不尽な押し付け教育を受け、イライラモヤモヤした毎日を送っていました。家庭内暴力や校内暴力を起こした奴らの気持ちがよくわかります。親や先生は「甘えだ!わがままだ!幼児性だ!」と責任を取ろうとせず決めつけました。
30年たった今でも辛いです。