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2011年11月05日

今後の日本をどうする!?-5・・・新理論の構築をどう進めていくか

さて、「今後の日本をどうする!?」シリーズ、最終回です。

今までは共同体企業およびそのネットワーク化による可能性を提示してきましたが、今回は、その活動を導く根本となるもの、人類が迷ったときに寄って立つものとしての新理論、その構築をどうすすめていくか?について提起します。

引用元はすべて、るいネット、行動方針5 新理論の構築をどう進めてゆくかです。

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デフォルトが起きるまでに準備しておくべき課題は、共同体企業のネットワーク作りと、それを導く新理論の構築の、二つある。
とりわけ、近代思想に代わる新理論の構築は、不可能に近い超難課題であるが、はたして経済破局までに間に合うのだろうか?

バブルが崩壊した’90年以降、見通し不良と先行き不安から、意識が「どうなる?」という方向へ向かい、滅亡論や陰謀論が登場したが、’11年原発災害以降は、「どうなる?」の答えを求める情報探索が一気に加速し、予言・予知に対する関心が急浮上してきた。
この先行き不安発の情報探索は、1~2年後には「放射能はなくならない」「日本経済の没落も避けられない」etc、『もう元には戻れない』という状況判断に収束してゆく。
この『もう元には戻れない』という判断は、状況認識の大きな転換であり、それは脱市場社会への価値観の転換を引き起こす。従って、おそらく数年後には、脱市場≒自然循環型社会への変革気運が高まってゆくだろう。
この社会的な統合気運の高まりを受けて、脱市場社会に向けての理論追求が始まり、その中から新たな認識勢力が登場してくるはずである。

状況認識として、ひとびとの意識が上のような推移をたどっていることは、ほとんどのひとが実感していると思います。問題は、その突破口として、「新理論」の必要性が強く生起していないこと。おそらく「理論」という言葉を聞いただけで、なにやらあやしい空理空論をイメージするひとも多いのではないでしょうか。

そのことは、とりもなおさず、「近代思想」に対する人々の疑義、最終審判にほかならないのだと思います。

hanfeizi.jpgsunzi.jpg画像はこちらからお借りしました。

現在、社会はガタガタで、政府は機能を失いつつあるが、この状況は、人々の統合期待に応えて諸子百家が次々と登場した春秋時代に近いとも言える。
おそらく、あと10年あれば、新理論家が次々と登場してくるだろう。
しかし、経済破局までに残された時間は1~2年(運が良ければ3~4年)しかない。
いったんデフォルト→リセットに突入すれば、一気に現実が緊迫し、状況は日々刻々と動いてゆく。そうなれば、人々の意識は目先の「どうなる?」「どうする?」に収束し、理論追求どころではなくなってしまう。しかし同時に、米・中・欧が次々と秩序崩壊してゆくのを見て、根本的な転換の必要が共認されてゆき、それを実現してくれそうな新勢力に対する期待が高まってゆく。

この文章を読んだとき、今の状況は「春秋時代」?いくらなんでも、そこまでは行ってないっしょ、とタカをくくっていたのですが、ギリシャ問題ひとつ解決できないヨーロッパの元首たちが右往左往する姿を見ていると、こりゃもう、「政治家」という存在に取って代わる「何か新しい別の一群」が必要なところまで来ているな、と思いました。そのとき感じた「何か新しい別の一群」というのは、ここで言う諸子百家のような、理論でひとびとを導くひとたちなのだと、今、思い当ります。

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はたして、その期待に応えられるか?
既にこれまでに、新理論がある程度構築されていれば良いが、現在までのところ、そのような新理論は『実現論』以外には見つかっていない。
従って、残された時間の中で、可能な限り、実現論の改稿を進めるしかない。しかし、私自身は、実現論を改稿するためのまとまった時間が、取れそうにない。私に出来るのは、せいぜい、実現論の章立て(全体構成)を考えることくらいだろう。
従って、これまでるいネットに蓄積された秀作群を、その章立てに応じて再編成し、実現論の塗り重ね板を作るしか、手はない。
この塗り重ね板があれば、デフォルト後の大混乱期でも、最低限の認識の組み替えは可能になる。そして、それはそのまま、共認社会を統合する統合理論サイトの原型となる。

『実現論』、というシンプルで潔いタイトルを耳にしたとき、「えっ、何?」と、思わず聞き返したくなる新鮮な響きに感じました。今までありそうでなかったタイトル。しかし、中身はもっとずっとスゴイ。言われてみればそうかも、といった類のことが普通の日本語で、これでもか、これでもか、とばかりグイグイ書き進められていました。それをさらに塗り重ねていくと言う。

本来、理論は、まわりの状況を受け入れて進化しつづける-。
長年、自らの主義主張から頑として動こうとしない近代思想に慣れ親しんだわたしには、180度の認識転換。うちのめされました。

pic_geki_090324.jpgみんなの眼前で新理論がつむぎ出されるなんでや劇場

デフォルト後の大混乱期から新政権樹立後の大転換期を貫いて、人々の意識は「どうする?」に強く収束し、社会統合期待は最高潮に達する。
従って、新政権が樹立され共認社会が建設されてゆく頃には、認識収束が高まり、理論追求の時代が始まるだろう。

どうやら、人々が本格的に認識収束し始めるのはリセット以降となり、本格的な理論追求が始まるのは、新政権が樹立され共認社会に転換した後となりそうである。

時間はかかります。けれど、新理論は、どんどん塗り重ねて次代に継承してゆくことができます。
みんなといっしょに進んでいくことができます。
とってもタノシミです

うらら

投稿者 urara : 2011年11月05日 List   

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