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2011年10月06日

どうなる?私たちの生活(1)~私権収束から共認収束への大転換~

みなさん、こんにちは

高校1年生の娘が、いま定期テスト直前なのですが、今回のテストで事前に問題が発表になったものがありました。

問い:この夏に起こった経済問題を挙げて、それによって今後私たちの生活がどうなるのかを書きなさい。

むっちゃ難しくないですか ・・・でも、確かに気になりますよね

米国債はいつデフォルトしてもおかしくないし、ギリシャはすっかり欧州から見放されているし、その欧州自体ユーロ崩壊の危機に直面しています。日本は大丈夫かというと、900兆を超える国の借金に加えて福島原発事故と、どう見ても円売りの状況なのに異常な円高 になっています。これは、米国債暴落 に合わせて日本国債を売り浴びせる 準備をしている疑いが濃厚です

世界経済は世界同時大暴落に向かって転がり始めており、米欧日のどこかがデフォルトを起こせば、連鎖的に世界中の国債が暴落し、貨幣価値が崩壊していく可能性が高いです。
そうなれば私たちの生活を直撃することになります

「今後の社会はどうなる!」シリーズでは、米国債デフォルト後、世界中の国債が暴落していく中で、世界の経済がどうなっていくのかを見てきましたが、今回からの新シリーズ「どうなる?私たちの生活」では、現在起こりつつある経済破局に対して、今後どういう社会を作っていけばよいのか、私たちの生活がどのように変わっていくのか、より身近な問題として取り上げます。

シリーズは以下のテーマを予定しています。
(1)私権収束から共認収束への大転換
(2)国家紙幣によるゼロ成長の経済運営
(3)企業の共同体化と統合機関の交代担当制
(4)農(漁)村共同体の建設

さっそく今回は
(1)私権収束から共認収束への大転換を扱っていきます。

ところで、「大転換」って、どのくらいのスパンでの転換だと思いますか
バブル崩壊 、敗戦 、明治維新
今回の経済破綻は歴史的な大転換点に生じている現象であり、実は、明治維新よりももっともっと深い地平にあります。

どのくらいのスパンでの転換点かというと・・・
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るいネット潮流予測1 私権収束から共認収束への大転換」からの引用です。

■5000年に亙る私権時代は、力の原理によって社会が統合されていた

米・欧・中の崩壊を以って、近代社会は終焉する。だがこれは、単に近代300年の終焉ではなく、古代以来5000年に亙る私権社会の終焉である。言い換えれば、力の原理の終焉である。
なぜそう言えるのか?

私有制度に基づく社会では、誰もが、私権(地位や財産)の獲得を目指して争う。教科書に載っているいわゆる文明社会とは、誰もが私権(の獲得)に収束することによって統合された、私権統合の社会に他ならない。当然、そこでは私権の獲得に必要な力(武力や資力)がものを言うことになり、力の弱い者は力の強いものに従うしかなくなる。力の原理である。
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(ヤルタ会談:戦勝国である米英ソによって、戦後の体制が決められた。)

しかし力の原理が働くには、一つの大きな前提条件がある。それは貧困(飢餓)の圧力である。貧困の圧力が働いているからこそ、誰もが私権に収束し、力の原理が貫徹される。実際、古代~近代を貫いて、紛れも無く人類は常に貧困の圧力に晒されてきた。だからこそ、力の原理が支配する私権社会になったのである。

「‘70年までは、貧困の圧力が働いていたため、力の弱い者が力の強い者に従うしかなかった。」この力の原理は、大は「敗戦国が戦勝国に従うしかないという国家間の力関係」から、「国家における政治家」、「企業のおける指揮系統」、「学校内での先生」、小は「家庭内での父権」まで、あらゆる集団に貫徹される原理で、それによって社会が統合(秩序化)されていました。
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(むかしは家庭で、お父さんの威厳があった。)

■’70年、先進国は大きな転換点を迎えていた

ところが’70年頃、先進国では豊かさがほぼ実現され、貧困の圧力が消滅してゆく。その先頭に立つことになったのが、日本である。
貧困が消滅すると、私権を獲得しようとする欲求=私権欠乏が衰弱してゆく。従って、物的欠乏も衰弱し、市場は縮小せざるを得なくなる。また、貧困が消滅すると、誰も私権獲得のためにあくせく働こうとはしなくなる。従って、活力が衰弱し、指揮系統も次第に機能しなくなってゆく。
つまり、’70年、先進国は大きな転換点を迎えていたのである。

‘60年代の高度成長期に、白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫(いわゆる3種の神器)がほぼ全ての家庭に普及し(図中①)、’70年に豊かさが実現しました。必要な物をほぼ手に入れたことにより需要は縮小、その結果GDPがマイナス成長になるのが当然なのですが、実際にはGDPは成長し続けました(図中②)。それを可能にしたのが、‘70年以降急速に膨らんだ国の借金なのです(図中③)。

■社会統合を担う受験エリートは、実は”無能”だった

しかし、社会の統合を担う学者や官僚やマスコミや政治家etcの旧勢力は、この新しい状況をまったく把握できず、「市場拡大は絶対」というイデオロギーに凝り固まって暴走してゆく。彼らは、不足する需要を補うべく大量の国債を発行して、見せかけの市場拡大に血道をあげてきた(実際、元々ゼロだった国の借金は、’70年代から急速に増大していき、今では900兆円にも達している)。
その結果がバブル経済であり、その果てが今回の国債経済の破綻であり、迫りくる米・欧・中の壊滅である。
まさに無能の極みであるが、ここで、社会の統合を担う受験エリートたちの無能さを、従って「もはや彼らには任せておけない。自分たちで統合課題を担うしかない。」ということを、大衆はしっかりと頭に刻みつけておく必要があるだろう。

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いわゆる“受験エリート”が得意とするのは、あらかじめ答えがある問題をいかに早く解くかということであり、答えがない課題に対して大胆な発想を提示する能力はむしろ貧弱です。現在のような時代の大転換期に求められる能力は、受験勉強では身に付かないのです。

基本的な能力は学童期に育まれますが、自然の中で遊ぶことによって“自然の摂理”を体感し、仲間たちと一緒に遊ぶ中で“相手の期待に応えることの充足”を覚え、“仲間を統率する経験を積む”ことによって、本物の能力=“新しい可能性を発掘し、それを実現していく行動力”が身に付きます。

一番大切な学童期に勉強漬けになった“受験エリート”たちは、学童期に必要なこうした経験が決定的に不足しているのです。

■普通の人々にとって、最大の活力源は”人の期待に応えること”

他方、それほど旧観念に毒されていない普通の人々は、’70年以降、私権収束から脱して共認収束を強めていったが、それは貧困の消滅に伴う必然的な帰結である。なぜなら、貧困の圧力に基づく私権の強制圧力が衰弱してゆく以上、人々が人類本来の共認原理に回帰してゆくのは必然だからである。
現に、大多数の普通の人々にとって、人々の期待に応える充足こそが最大の活力源になっており、今やこの期応収束⇒課題収束こそが、中心的な意識潮流となって健在化してきている。
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さらには、このような潮流の中から、共認原理に則った共同体を志向する企業が次々と生まれてきている。
つまり人々は、この40年の間に、旧勢力(受験エリート)の暴走を横目で見ながら、彼らとは別のもっと深い潜在思念の地平で、見事に私権収束から共認収束への大転換を成し遂げたのである。

物的な豊かさが実現された以上、私権収束⇒私権統合の社会が終焉し、共認収束⇒共認統合の社会(人々が、状況を共認し、課題を共認し、規範を共認し、それらの共認内容に収束することによって統合される社会)に移行してゆくのは必然である。現在の、意識潮流の先に人々が求めているものも、間違いなく共認社会(古い言葉で言えば、共同体社会)であると言えるだろう。

力の原理が支配する私権社会が終焉し、これからは“人々の期待に応える充足”を最大の活力源とする共認社会へと移行していく、という方向性が明らかになりました。

しかし、国家の体制は旧態依然としていますし、大量の国の借金をどうするのかという差し迫った現実問題が横たわっています。
そこで次回は、“市場拡大は絶対”の固定観念から脱却し、国民が活力を持った社会を作るにはどうすればよいのか。「国家紙幣によるゼロ成長の経済運営」について扱います。

お楽しみに

投稿者 watami : 2011年10月06日 List   

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