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2011年10月08日

今後の日本をどうする!?‐1‥共認社会を実現してゆくのは、共同体企業のネットワーク

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経済予測シリーズ「今後の社会はどうなる!?」では、世界中の国債暴落の引き金が引かれた後、今後の経済がどうなっていくのか?を見てきました。

まさに、現代は「市場社会の終焉」という大転換期に直面しています。

『今後の社会はどうなる!?-1‥米国債デフォルト→世界中の国債暴落』
『今後の社会はどうなる!?-2‥超インフレと預金封鎖で旧紙幣は紙屑に。狙いは新紙幣配給による経済のリセット』
『今後の社会はどうなる!?-3‥リセット後も中央銀行存続なら、暴動→略奪で、米・中は崩壊する』
『今後の社会はどうなる!?-4‥秩序崩壊の一歩手前での、旧勢力と新勢力の戦い』

これは、古代以来5000年にわたって社会を統合してきた「私権原理=力の原理の終焉」そのものであり、日本では豊かさを実現して貧困(飢餓)の圧力が消滅した1970年以降、人々の意識は、既に「私権収束から共認収束への大転換」を遂げています。

したがって、私権社会の崩壊という危機の唯一の突破口となり、かつ人々の意識が最も強く求めているものこそ、「共認社会=共同体社会の実現」なのです。

私権社会とは、誰もが私権(地位や財産)の獲得に収束することによって統合された社会のことです。そこでは、私権の獲得に必要な力(武力や資力)がものを言うことになり、力の弱い者は力の強いものに従う(力の原理)しかなくなります。

共認社会とは、人々が状況を共認し、課題を共認し、規範を共認し、それらの共認内容に収束することによって統合される社会のことです。

詳しくは、下記のリンクを参照してください。
『潮流予測1 私権収束から共認収束への大転換』

では、共認社会を実現するためには、どうすればいいのでしょうか?

これから5回シリーズで、「今後の日本をどうする!?」と銘打って、次代の社会をどのようにしてつくっていくのか?の行動方針を扱っていきます。

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『行動方針1 共認社会を実現してゆくのは、共同体企業のネットワーク』からの引用です。

ここまで見てきたように、目指すべきは共認社会であり、その基礎単位は、農村共同体と企業共同体である。

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従って、それを実現するのにもっとも適した運動体は、共同体として先行する企業群の何らかのネットワーク以外にはない。

この企業ネットワークは、リセット後の大混乱のなかで、一気に勢力を拡大して新政権を樹立する運動の中核勢力となるが、そのためには、この新勢力がリセット前に登場し、ある程度まで次の共認社会を導く理論面および組織面の準備を整えておく必要がある。

果たして可能なのか?
まだ、一定の時間が残されているとして、その実現基盤を考えてみよう。

現代社会を形作っている制度が、全て旧い私権社会のものである以上、経済破局→リセットを迎える前に、新しい社会を実現する一定の基盤を整えておかなければなりません。その新しい共認社会の基礎となるのが、「農村共同体と企業共同体」です。

その根拠となる状況認識については、下記のリンクを参照してください。
潮流予測3 企業の共同体化と統合機関の交代担当制
潮流予測4 農(漁)村共同体の建設

たとえば、現在の商法・会社法では、企業は株主(=金貸し)の所有物であり、その決定権(議決権)は株主にあります。企業を、そこで働く従業員のものにすることが共同体化の第一歩であり、そのためには企業の決定権=議決権を株主から剥奪し、従業員に与えることが不可欠になります。

★参考:
『「社員出資制度」のススメ☆ 出資者=経営者=生産者の仕組みが、自分達の生きる場を自分達で作ることを可能にする』

また、農村共同体の実現は、食糧生産を確保するための農業振興に留まらず、「子ども達の教育」という最重要課題に応えていくためにも必要となります。市場拡大によって生殖と生産が分断され、教育機能をほぼ全面的に失った現在の密室家庭→子ども達の精神破壊の進行という問題を突破する唯一の根本的な解決策ともいえます。

★参考:
農村の本質・全寮制学校の本質
全寮制の農業学校の可能性☆+゜タキイ研究農場付属専門学校

では、これらを実現するための基盤は、どこにあるのでしょうか?

もっとも根底的な実現基盤は、潮流予測1で示した私権収束から共認収束への人々の意識潮流の大転換である。

それに伴って、人々の活力源も、私権欠乏(自分の地位や財産の欠乏)から共認欠乏(人々の期待に応えて得られる充足の欠乏)に大転換した。

%E9%A1%9E%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97.jpgいまや大半の経営者が、これまでの私権圧力では社員の活力を引き出せなくなったことを、肌で感じている。

さらに過半の経営者にとって、これからは「社員の活力の高い会社が勝つ」「女が元気な会社が勝つ」という状況認識は常識となっており、従って、社員の活力の上昇が中心的な戦略目標となっている。

このような意識潮流or土壌のなかから、共同体志向の企業も次々と生まれてきている。
しかし共同体志向の企業は決して多くはない。まして、明確に共同体を目指す企業は、ごく少数である。

それは何故か?
時代が未だその段階まで来ていないからか?それとも、単に古い認識から脱却できずに、認識転換が遅れているだけなのか?
共同体企業として先行する類グループの実感のなかから、その答えを導き出してみよう。

社内は勿論のこと、取引先やお客さん、地域の人々との共認充足(人々の期待に応えて得られる充足)を得られる関係を築いている共同体企業には、それを実現する上でどんなポイントがあるのでしょうか?

★参考:
共同体企業紹介⑦【まとめ1】【まとめ2】
類グループが、共同体企業として成長してきたワケ

私権収束から共認収束への人々の意識潮流の大転換が、企業共同体を実現する基盤になっています。しかし、まだまだ共同体企業への転換は進んでいないのが現状です。

企業の共同体化を阻害しているものは、何なのでしょうか?
さらに、先を読み進めていきましょう。

我々は、’72年、類設計室を設立し、これまで水準以上の利益率を維持しながら、いくつかの新事業を加えて拡大してきた。

そのことが実証しているように、貧困が消滅し私権が衰弱し始めた’70年の段階で、すでに共同体を建設することは可能だったのである。
追随する企業がほとんどいなかったのは、共同体を導く新理論が存在しなかったからだろう。

しかし、実は私は、この40年近い期間、「共同体の時代である」と感じたことは一度もない。ようやく「共同体の時代がきた」と実感できるようになったのは、’10年である

それは、潮流が変わったからであるが、おそらくそれは、’02年、私権収束を導いてきた私権観念(私権を正当化してきた観念群)が瓦解し、人々が収束先を見失って収束不全に陥ったところが起点になっている。

それ以降、一気に期応収束と課題収束が強まると共に、近代を貫いてきた否定(意識)と要求(意識)も息の根を止められて終息した

このとき共同体は、本当の実現過程に入ったと言えるだろう。
ただ、それが、会議体制に代わる社内ネットの活性化として開花するのに、さらに10年近くを要したということだろう。
実際、共同体志向の企業が目に見えて増えてきたのは、’02年以降である。

以上から判断して、共認収束を強める人々の潜在思念に蓋をし、その前進を妨げているのが古い観念であることは明らかであり、従って、各企業が一直線に共同体に向かえないのも、認識転換が遅れているからに過ぎないと見ていいだろう。

従って、旧観念に代わる新しい認識さえ与えられれば、中小企業を中心に多くの企業が共同体への転換を模索し始めるだろう。
すでに共同体の時代に入ったのである。

それだけではない。
原発災害を契機に、多くの経営者が守りに入ったが、危機対応策の一つとして、そろそろ共同体企業のネットワーク化を考えるべき時期にきている。
これは、動機としてまだ弱いが、先行グループぐらいは構築できる段階に来ているように思う。

現代は、既に共同体の時代に入っており、多くの経営者が意識的にせよ、無意識的にせよ、共同体への転換を模索しています。しかし、一方でなかなか上手くいかない現実もあります。

次回は、それをどう突破し、共同体企業のネットワーク化を進めていくのか?について見ていきます。

(続く)

投稿者 daiken : 2011年10月08日 List   

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