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2011年04月22日
新たな時代の教育制度の提言にむけてシリーズ-3~No.10近代教育の総括~
『新たな時代の教育制度の提言に向けてシリーズ3』も、いよいよ終盤です。このシリーズでは、「公教育は金貸し支配のための洗脳システム」(リンク)という認識を軸に、戦後日本の教育制度を分析し、その洗脳システムとしての実態を明らかにしてきました。前回は、試験制度と留学生制度により、金貸しやアメリカが日本の特権階級層を支配する構造を明らかにしました。
では、なぜ、彼らはなぜこのような洗脳システムを作りだしたのでしょうか?そして、その背後にある意識構造はどのようなものなのでしょうか?
今日は、このなんで?に迫ってみます。
ヨーロッパでは国家が教育への介入を始める以前から、すでに学校は長い歴史を持ち、19世紀には全国規模の民間組織も成立していました。公教育制度を成立させる兆しはずっと以前から存在してたのです。国家はそれを取り込み、法的強制力と財政力で高教育制度を促進していきました。そこで、再び公教育制度の成り立ちに遡り、どのような学校が公教育制度に繋がっていったのか?その背景に迫ります。取り上げる舞台はイギリスです。
◆貧民問題と救済活動
近世になると、主に都市部において貧民や浮浪者が急激に増加し、貧民問題がヨーロッパの多くの地域で深刻な社会問題となります。都市部の住民は、彼らによる犯罪の増加を危惧し、また、疫病の媒介者としても恐れました。つまり、社会的治安・秩序の観点から、貧民や浮浪者は危険な存在だと考えられたのです。
近世のイギリスでは、16世紀半ば以降、浮浪者問題が深刻化し大きな社会問題となり、それに応じて、キリスト教による貧民の救済運動が展開されていきます。
<19世紀のロンドンの貧民街>
写真はコチラから
そこでは、犯罪・貧困・社会秩序の撹乱などの社会問題の原因が、貧民の意識構造に求められました。つまり、貧民には健全な道徳・規範意識が欠如しており、それは頭の中に振る舞いを統御する道徳・規範意識が欠如していることに他ならず、それならば、矯正策として、その欠如を何らかの道徳・規範意識で埋めてやれば良い、と考えられたのです。この矯正策の実施が救済活動として展開されます。
その中で、救貧に頼ることの無い自助の精神を子供のころから植えつけ、犯罪に走ることを予防する道徳・規範意識を埋め込み、それによって、社会問題を解決することを目的とした学校が設立されていきます。
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◆慈善学校(チャリティー・スクール)
貧民の子どもが浮浪者になることを予防する学校として慈善学校が設立されます。この慈善学校の設立の動きは、1698年に設立された「キリスト教知識普及協会(SPCK)」の活動に負うところが大きかったようです。
「3R’s」と呼ばれる、読み書き計算も教えましたが、この学校の目的はあくまで宗教的教意の習得でした。犯罪、貧困によって汚染された子供たちをその環境から引き離し、学校という閉鎖された空間の中で、教師と生徒が対面しながら教育が行われました。
<慈善学校の子供たち>
写真はコチラから
「現世における罪の意識(原罪)」「変わらない現実」等の否定意識が刷り込まれ、その一方で「来世における救済」の可能性が示され、そのためには忍耐強く、勤勉で、忠実であることが説かれたのです。このような迷える子羊としての生徒と、それを導く教師(牧師)という関係の中で、キリスト教の道徳・規範意識が教え込まれました。これは、救済という名の洗脳ともいえるのかも知れません。
◆モニトリアル・システム(助教法)
18世紀に登場したモニトリアル・スクールでは、それまでの学校のように教師が教えるのではなく、代わりにモニターと呼ばれる生徒が、他の生徒を教えました。比較的優秀な生徒がモニターに選ばれ、約10名の生徒のグループを相手に、自分が習った「読み書き算数」を教えました。効率的な教授活動を実現し、伝統的な学校のあり方を一変した、この画期的な教育システムは、瞬く間にヨーロッパ全土に広がり、さらにアメリカ、アフリカ広がります。
この学校では、それまでの慈善学校とは別の形で、貧民の子供たちに道徳・規範意識の形成が試みられます。それは、生徒たちに途切れることなく何らかの作業に従事させることで、考える暇をなくし、知らず知らずの内に学校という枠組みに組み入れられることで、自ずと道徳・規範意識を植えつようとするものでした。
<モニターによる授業の様子>
写真はコチラから
能力による生徒の振り分け~試験による評価競争
あらかじめ難易度ごと細分化・段階化された教育内容レベル分けが先行し、それを基準に読み方と算数の能力ごとに生徒は振り分けられ、試験により上位クラスに進級する「等級制」が取られました。
試験はモニターのもと実施可能なように、二者択一の問題が採用され、15分間隔で何らかの試験が行われたうようです。優秀な成績ならば上位のクラスへと移り、成績が悪ければ席を譲り下位クラスに移る。この “名誉と恥”、“アメとムチ”が原動力となり、子供たちを日々の試験にかき立てました。この相対的競争に巻き込まれた子供たちは、否応なしに“個人”が意識され、同時に、努力し相手を蹴落とすことで自分が報われることを体感することになります
細分化、段階化された授業内容
授業は内容ごとに細分化され、次々と機械的に授業が進行しました。教材は壁に掛けられ、授業ごとにクラスが教材のある場所に移動しする形式だったようです。
どのクラスも同一時間内に終わるように内容が定量化され、また、内容を細分化・段階化することで、時間の経過に従って、業務が着実に遂行できるように配慮されてました。これは、教化教育の走りなのかも知れません。
学校組織の分業化、マニュアル化
教授活動全体の企画・計画しモニターを監視する管理者と、定められた規律に従って単純作業を担うモニターに、学校活動が分業化されました。管理者は企画・計画に携わる一方、モニターには決定権はありませんでした。また、モニターである子供が教えられるように、教授活動が単純化、マニュアル化もされました。
このような、いわば機械化、オートメーション化された教授方法は、生徒を個人へと分解すると同時に、生徒を分類評価し規格化する装置としても機能し、一人一人を成績という数字で管理し制御することを可能にしました。しかし、この方法では生徒の意識の表層しか把握することは出来ず、管理された学校の外では子供たちが望ましい行動すことを保証するものではありませんでした。
◆ギャラリー・システム
1830年代に入ると、モニトリアル・システムの欠陥を補うべく、新たな教育的な試みが展開されます。その一つが、ギャラリー(階段教室)と遊び場で構成される学校でした。
ギャラリーと一斉授業
生徒が教師の方向に顔を向けるようにギャラリー(階段教室)に座り、教師は生徒たちの反対の壁に掛けられた黒板などを使って授業が行われました。ここでは全ての子供たちが、教師の声をはっきりと聞き取ることが出来るのと同時に、教師は生徒たち一人一人の表情を一目で分かる場でもあったのです。
一団の子供たちを教師のまなざしにおくことによって、子供たちの関心をかきたて、集団としての共感を働かせることで、より容易に子供たちを監視し、統制することを可能にしたのです。
<ギャラリー方式の授業の様子>
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遊び場
ギャラリーと対になって設けられたのが遊び場です。遊び場は、子供たちの本来の姿が見られる場であり、彼らの性格や気質を観察できる場として意図されたものでした。この賑やかな場で、子供たちが楽しみ遊ぶ姿は、教師によって注意深く観察され、子供たち一人ひとりの性格や気質が把握されていきます。
こうして、モニトリアル・システムの合理性、効率性から排除された、叙情的な教師と生徒の関係が形成されます。この叙情的な教師と生徒の関係とは、慈善学校での、「迷える子羊としての生徒とそれを導く教師」という関係の現代的な再構築に他ならないものでした。
子供たちに対する徹底した監視により、子供たちの内面までを把握することで、子供たちを制御・統制することを実現しました。同時に、ギャラリー方式の授業は、効率的に一度に大勢の子供達を教えることも可能にしました。
◆「儲けの対象としての貧民」「国富の源として貧民」の発見→公教育の必要へ
このような先行する様々な学校の運営システムや教授技術を取り入れ、国家による近代公教育制度が開始されます。
民間の教育組織がすでに存在していたにも関わらず、国家が教育に介入し公教育制度を開始した理由はなんなのでしょうか? それは、貧民に対する見方が大きく転換したことに要因があります。
それまでの「危険な貧民」は、産業革命の進展や市場拡大に伴って「儲けの対象としての貧民」「国富の源として貧民」として再発見されます。
<産業革命期のロンドン>
写真はコチラから
富国強兵という国家の思惑、市場拡大という金貸しの思惑が相まって、彼らが望む大衆を作り出す必要から、国家自ら教育に介入し始めたのです。この公教育制度は、それまでの貧民を救済する技術=意識を制御・統制を取り入れた、その出発点から「洗脳システム」として構築されたものだったといえるのではないでしょうか
こうして、公教育制度に繋がる学校を見ると、「迷える子羊としての生徒と、それを導く教師」という関係が象徴しているうように、貧困層の子供たちを救済する手法は牧畜の技術に他ならないことに気づきます。
牧畜では家畜を制御・統制する必要があるが、それはアメとムチによって家畜を支配することと同義である。また、去勢をはじめ性を抑制・管理してゆくが、それらは自然の摂理に反する相当残虐な行為である。このような家畜の制御・統制→アメとムチ→去勢という自然の摂理に反する行為を通じて、家畜を管理・支配する部族に残虐性が刻印されていった可能性も考えられる。
家畜を制御・統制する思想を基盤に、子供たちを制御・統制するシステムこそが公教育制度なのです。それは貧困の時代にその効力を発揮し、労働力でもあり消費者である一般大衆を大量生産し、市場拡大を推し進める推進力ともなった。しかし、それが貧困の圧力を前提にしているものである故、貧困の消滅ともに機能不全に陥ったのは必然だったのでしょう。
これからの時代、日本をこのような洗脳システムから守るためには、新たな教育制度のあり方への転換が求められています。これからの社会に必要な教育制度の構築に向けて、次回、現在の金貸し支配から脱却するためにどうる?を追求する予定です。どうぞご期待ください!
(参考資料)
柳治男『〈学級〉の歴史学』
乳原孝著『「怠惰」に対する闘い』
上野耕三朗著『ポリス、牧人司祭的テクノロジーとしての学校』(リンク)
上野耕三朗著『〈個人〉産出の技術としてのモニトリアル・システム』(リンク)
投稿者 sachiare : 2011年04月22日 TweetList
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