| メイン |

2011年04月09日

【男の居場所はどこにある】 ~男と女の対立史~

ここまで、男女関係を中心に人類史を遡ってきました。

交易を始めた遊牧部族が玉突き的に掠奪を拡大する中、男女関係は略奪婚に至っています。
この略奪婚に移行してから、男女関係は充足とはかけ離れて行き、不毛どころか猜疑心の塊のような関係になっていきます。
この結果が、表層的には常に「I LOVE YUO」と語りかける西洋人(白人)の本心に蔓延る「女に対する怯え、良き父親観念、純潔主義と不倫のタブー、貞操帯、魔女裁判、禁欲主義、男女同権」です。

今回は、その後、近代に渡って男女関係がどの様に変遷して行ったかを整理していきます。
その中で、「男の居場所」が見えてくれば良いのですが・・・・・結果は????

oyaji.jpg
写真はコチラからです

いつもの応援もお願いします

 にほんブログ村 子育てブログへ

【ニ.私権の強制圧力と私権統合】(実現論より)

人類は生存圧力に基づく同類闘争をいったん私権統合(国家)によって止揚した。しかし、それによって生存課題の全てが私権課題へと収束し、生存圧力の全てが私権圧力に姿を変えて終う事になる。

~中略~

私権(性権→占有権)の共認によって、社会の全ての財は私権(占有)の対象となり、人々は私権を確保しなければ生きてゆけなくなる。つまり、バラバラにされた個体の性闘争・私権闘争は、私権の共認を媒介として私権の強制圧力(それがないと生きてゆけない、否も応も無い絶対強制力)を作り出す。

~中略~

性闘争は(私権の共認によって)私権闘争へと収束し、更に私権闘争は身分序列へと収束する。従って、身分序列の私権統合が確立したことによって、一対婚も国家統合の基礎を成すものとして、身分序列に連なる家父長権(=占有権)の下に完全に組み込まれてゆく。
そして、家父長によって娘の性の自由や選択権が封鎖された事によって性権力は衰退し、女たちは貞操や献身etc.一対婚規範(私権に基づくものではあるが、国家および家≒氏族の集団規範である)の下に収束して、ようやく集団に適応した存在に戻っていった。
この期間が古代末から中世末まで、概ね二〇〇〇~一〇〇〇年ぐらい続いた。
(注:日本は、概ね八〇〇年ぐらいである。)  

~中略~

集団を破壊した以上、もはや真の共認充足は不可能であり、私権で手に入れられるのは消費充足と遊興充足、そして究極的には支配充足しか無い。
従って、私権社会では、最終目的たる「遊び暮らせる身分」を保障された消費・遊興階級こそが最終的な勝利階級であるが、その様な身分を手に入れる道は二つある。
占有権力に基づく国家共認によって保障された身分(貴族や官吏や僧侶・学者や地主・資産家)と、性権力に基づく男女共認によって保障された身分(女と子供)である。
これら遊興階級=勝利階級は、何れもその身分を権力によって保障されており、従って支配階級である。むしろ支配階級とは、権力に基づく共認によって支配or 遊興or 消費できる身分を保障された勝利階級であると定義した方が、分かり易い。

武力(=力の原理)で統合されている中世末まで、性権力は抑制されている。
つまり男が強い時代。
その後、近代に入り、社会が安定すると、私権獲得の可能性が大衆にまで広がっていきます。
私権の最終目的「遊び暮らせる生活」を獲得した階級が「勝利階級」です。
現代日本でも、資産家、資本家や学者、官僚などの特権階級が当てはまります。

もう一つの勝利階級として、「性権力に基づく男女共認によって保障された身分(女と子供)」が上げられていますが、これは如何に?
本人が自覚している如何にかかわらず、専業主婦はその子供と共に、生涯の生活を保障されています。
最近では、情勢が違ってきていますが、1960~70年代の団地族はこれにぴったり当てはまります。

一般的な民家では、水汲み、竈、で炊事をし、冷蔵庫も無い生活を送っている中で、水道、電気、ガスの完備した団地は憧れでした。
当時は、男女の収入格差も大きく、女性が団地に住むには、エリートサラリーマンの専業主婦になる他、方法は無かったのです。
当時、「男の生涯一番の買い物は奥さん」とまで言われていたとの事。
価値観を挟まずに見れば、的を射た言い方かもしれません。

更に、男と女の力関係に注目してみます。
男の占有権力と女の性権力です。

【ホ.性権力と占有権力のせめぎ合い】(実現論より)

<国家の成立などにより社会が安定してくると・・・・>

課題(≒闘争)捨象して解脱(≒性)収束した以上、闘争過程から生まれた占有権力より解脱過程から生まれる性権力の方が上位になってゆくのは、必然である。
かくして、闘争捨象⇒解脱収束した男(=占有権力)の目的の位置に女(性的商品価値)が鎮座し、占有権力は性権力の下に従属するものとなる。
逆に言えば、女(性権力)にとって男(占有権力)は、どうにでも懐柔できる下僕となる。だから、性権力 > 占有権力というパラダイムは、女の自我を肥大させ、依存収束を依存要求(それは依存捨象の自我収束に他ならない)に換骨奪胎して終う。
そして、半ば無意識に男を懐柔し、操縦し、支配する様になる。
現に5千年前、メソポタミアに初めて都市国家を建設したシュメール人は、その数百年後には早くも「山の神(=女房)」に抑えられてどうすることもできない男たちの嘆きの詩を石碑に刻んでいる。  
占有権力は闘い取って得られる男原理の権力であり、性権力は男を懐柔することによって得られる女原理の権力であるが、両者の力関係は、生存圧力→私権圧力の強さによって大きく入れ替わる。
私権圧力が絶対で私権の確保が困難な時には、女・子供は私権(家父長権)に従わざるを得ず、性の自由と性権力は封鎖される。しかし、身分によって私権の確保が保証された支配階級の内部では、彼らが解脱収束してゆくことによって、しばしば占有権力よりも性権力の方が強くなる。そして、現代の様に貧困が消滅し私権の確保が容易になると、占有力(男原理)よりも性権力(女原理)の方が強くなり、占有権力と男原理は去勢されて終う。

「男と女の対立史の結果=女の勝利」なのです。
%E3%81%B8%E3%81%84%E3%81%B8%E3%81%84.jpg
写真はコチラからです

しかも、この男女の対立史は繰り返されてきました。

事実、掠奪集団も少し安定すると(まして第二世代の息子や娘たちの代になれば)、忽ち男の解脱収束が強まり、女自身の性権力が形成され始める。
そして、それ(性の自由や選択権や商品価値)は、掠奪集団→都市国家(例えばメソポタミアのシュメール人やユダヤ人)→古代帝国(例えばローマ人)を通じて強くなってゆく。封建社会では、規範(or 宗教)の確立etc.によって女自身の性の自由は封鎖されたが、しかし私婚(私的な選択に任された、私的な婚姻関係)の共認は規範の確立によってより強くなっており、従って性権(性的商品価値や選択権)は娘から家父長に移っただけで、性的商品価値や私的な選択権の共認は、むしろ強化されている。従って、これら私権規範によって私的な男女解脱共認はより強化され、それを基盤とする私権(占有権)の共認も、より絶対化されている。要するに、性権力を核とする男女解脱共認と占有権の共認は、掠奪時代・古代・中世を通じて一貫して強化され、絶対化されてきたのである。

そして、外圧が低下し、男たちが闘争捨象⇒解脱収束する度に、性権力が強化され、強化された性権力に基づく女主導の男女解脱共認が、社会の最基底の支配共認としてはびこっていった。それは、貴族をはじめ支配階級全般に及び、更に都市住民全般に及んでゆく。そして、いったん女原理の支配共認が芽生えると、それが一段と闘争捨象⇒解脱収束を強めさせるので、ますます女原理の支配共認が強くなってゆき、その悪循環で(破滅的な闘争圧力でも働かない限り)もはや歯止めが効かなくなる。事実、近世から現代までは一直線に、かつ止まる所を知らず性権力とその支配共認が肥大してゆく過程だったのである。  

~中略~

要するに誰もが当然のことと思い込んでいる好き嫌いや恋愛や男女の私的関係は、私権時代に固有の性的自我が作り出したものであり、そして反集団に根差すこの性的自我こそ、集団や国家を破壊してゆく元凶である。しかもこの悪魔は、常に美しい幻想で身を包み、その正体が極めて見え難い。だが、私権時代の男たちは、そうとも知らずに自らも性的自我(独占欲)の塊りと化して女の尻を追いかけまわしてきた(しかも頭では女を軽視し続けながら)。その結果が、今日の女支配=性権力支配を招いたのである。

~後略~

いかがでしょうか?
これが、「男と女の対立史」です。
生存圧力、貧困圧力が低下して行くに連れ、男は女の支配下におかれ、その居場所を失ってきました。これは、人類の歴史であり、事実です。
ましてや、都市部でバラバラの根無し草状態に置かれた核家族家庭では、男は無力といっても良いかもしれません。
多くのお父さんの実感とも合致するのではないでしょうか?

最近の男女関係は、この流れとは少し違います。
以前話題に上げた「イクメン」も、どうも女支配とは趣が違う。
現代は、男も女も課題に収束しているものの、その課題が見つからない空焚き状態。
そんななんか、核家族家庭での育児の困難さは実感するところでもあり、社会問題化した家庭、育児の問題に向かっていくのは真っ当な志向でしょう。

しかし、そもそも闘争課題を捨象した結果、男は居場所を失ったのであり、闘争課題の無い家庭には居場所は見つからない。
当人達が意識していようがいまいが、女支配からは逃れる事は出来ないのです。
また逆に、女性側から見ても、心底では、男を支配したいのではなく、闘争する男に依存収束する事で充足するわけで、言い方を代えると、家庭を外から守って欲しいのでしょう?

このことから、男の居場所は闘争現場であり、家庭の外にしかないのかもしれません。
大震災、原子力問題始め、様々な社会問題を捨象していては、男の居場所は見つからないのでしょう!!

投稿者 gokuu : 2011年04月09日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2011/04/1185.html/trackback

コメント

「人に上下がある」意識のうちは、男と女に上下がある意識から抜け出せないと思います。

死ぬまでいがみ合いを続けたいならとめませんが、あなたの本当の心は、違うと言っています。

女真族のルーツを引きずって、いまの実質女性上位社会はありますが、やめませんか?
このままではおとなりの金さんの国といっしょです。

人の体に価値があるような、異常な考え方は・・・・

投稿者 armedlovepower : 2011年4月12日 21:59

コメントしてください