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2011年02月05日

近代思想に支えられてきた家庭(7)~労働の解放のために:自主管理の原則~

みなさん、こんにちは
「自主管理への招待」シリーズも最終回となりました。

今回の記事では、これからの労働のあり方と自主管理の原則 を明らかにしていきます。またこれまでの記事を振り返りながら、このシリーズ投稿のまとめをどーん :tikara: とお送りしますので、ぜひお楽しみ下さい。

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【自主管理への招待(7)】
私たちは、疎外された労働を克服し、より人間的な労働を実現してゆく基盤を、以上のような意識生産の必然性の認識において獲得し、ひき続いて実践的に労働の解放をめざす新しい生産体を創ってきた。それが、類設計室である。

私たちは何よりもまず、自らの生きる場を自らの手で築いてゆきたいと願う。そして新しい歴史時代を、自らの力の及ぶ地点まで実現してみたいと願う。だがそこで何よりも問われるのは、私たちが永い間奪われてきた、総体的な関係能力(組織能力)の獲得である。現実に、生産体の内部から権力体制を廃棄してゆくためには、技術者が自らの手で組織を管理し、経営などの活動を担い続けてゆかなければならない。ところがそこで求められているものこそ、意識生産に要求される関係能力の真髄なのである。技術力だけでなく組織能力をも獲得してゆく事、そのようにして狭い専門領域に閉ざされてきた自分自身を広大な類的対象に向けて開き出す事、そこにこそ意識生産者に委ねられた本来の人間労働の世界がある。今なお多くの技術者は、そのような活動に背を向けている。だが新しい時代は、既に始動している。その実現は、現代に生きる人間に与えられた、わけても意識生産者に委ねられた最大の課題ではないだろうか。

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これからの労働のあり方は、技術力だけでなく総体的な関係能力(組織能力)を獲得していくこと。それは今までのように単に商品を作っていれば良いというわけでなく、類的な地平で潜在的な意識や期待を掴みとり、それに応えるものを生産していくことです。そこにこそ意識生産者に委ねられた本来の人間労働の世界があります。

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私たちは、以上の認識に基いて自主管理の原則を確立してきた。すなわち、第一に、それを通じて第二に、それを前提として第三に、これがその原則である。

類設計室は、現実に徹底した参加の体制で運営されている。その全体は、採算を含めて自主管理してゆく一〇人前後の室単位によって構成され、全社の代表をはじめとする活動のリーダーは投票で選出されている。そこで全員参加の軸と成っているのは各種の会議である。誰もが活動の全体を把むための日々の営業情報や設計分担は、毎朝の業務会議で報告され決定されてゆく。さらに、経営や営業の方針、その他の基本的な全ての問題は、週一回の密度で行われる単位会議で検討され決定されている。全員参加を保障するのは会議の密度だけではない。会社の全ての基本的な情報は資料化され、全員に把握されてゆく。もちろん会社の経理は全員に公開され、その全ての利益は能力に応じて全員に分配されている。

要するに、類設計室は共同体である。しかしそれは、決して甘い幻想の上に成り立っているのではない。自己の全意識を最も根底的な歴史認識に収束させてきた成果が、その実現を可能にし、自己の全能力を最も現実的な生産活動に投入してきた成果が、その発展を可能にしたのである。先に挙げた自主管理の原則も、つまり常に組織の立場で問題を考える事であって、単に個人の立場で考える事ではなく、まして自分の好き勝手にやる事ではない。類設計室という一つの生産体を、誰か他人のものではなく自分のものとして捉える事ができるかどうか、それは会議をはじめ様々の類的な活動を、強制されたものではなく目的的な活動として獲得してゆくか否かに、かかっている。さらにそれは、最終的には自己の近代意識からの認識の転換にかかっているのである。狭い私益と職能の檻に留るか、自らの意識を解き放ち、全力を傾けて『類』の地平を獲得してゆくか、それを選択するのは、一生をかけた君自身の判断である。

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自主管理の原則は、大きく3つあります。

①誰もが生産の主体となるために、技術活動と共に組織活動をも担い切る事
②それを通じて誰もが組織の主体となるために、多様な関係能力を獲得してゆく事
③それを前提として会社のあらゆる活動を、誰もが自由に提起し、決定し、担当してゆく事

最後にこれまでの「自主管理への招待」シリーズを振り返ると、

近代思想に支えられてきた家庭(1)~プロローグ編~

まずシリーズの目的は、近代思想の問題構造を追求し、今後の家庭とそして社会の在り方を考えるからスタートしました。

近代思想に支えられてきた家庭(2)~社会は、生産力の転換によってしか根底的な変革を遂げることはできない~

近代思想が実現したものは何も無く、ただ意識と断絶した「マイホーム主義」や「親方日の丸」、「事なかれ主義」を増殖させただけであり、その最たるものが「家庭」だったのです。

近代思想に支えられてきた家庭(3)~生産から離脱させ、消費へと逃避させるだけの近代思想~

こうして社会がガタガタになってくると、社会の根底部分の生産を切り離そうとする、近代思想は現実を見えなくさせるだけで、なんの役にも立たないって事が露呈してきています。近代思想の問題は、『生産から離脱させ消費へと逃避させるだけ』であることです。

近代思想に支えられてきた家庭(4)~「頭の中だけの自己」から「実現対象」への追求ベクトルの転換~

近代思想は常に対象から目を背け、現実から逃避して頭の中でだけ「現実」を否定し「自己」を美化しているので、何も実現出来ない構造となっています。実現するために必要なことは、 <自己から対象へ>の認識ベクトルの転換にあります。

近代思想に支えられてきた家庭(5)~否定し要求するだけの「閉塞の哲学」から、実現対象を獲得した「開放の哲学」へ

現実を否定してても生きていける人(それを飯の種にしている人、例えば学者)からは現実を解決できるような新しい認識は生まれて来てません。新しい認識は本当に新しい認識を必要としている人からしか生まれてきません。

自主管理への招待(6) 実現思考とは何か

「意識生産(類的価値の生産)の時代」において、対象は「類(人間またはその関係=社会)」となります。またその対象を掴むために必要な能力は、「同化能力(類総体を対象化する能力)」であり、その能力を身に付ける実践方針が「自主管理」なのです。

近代思想の問題構造は、現実を否定しているため何も実現出来ず、生産から離脱させ消費へと逃避させているだけなのです。また今後の家庭とそして社会の在り方は、その時代における生産と労働によって決まってきます。

では今後の意識生産の時代に求められる労働とは何か?

現実否定から現実の類(人間またはその関係=社会)を対象とし、技術力だけでなく総体的な関係能力(組織能力)を獲得していくこと。自らの手で生産を管理し、組織を管理する自主管理の共同体をつくっていくことです。

つまり家庭や社会などの今後の集団の在り方は、どのように自主管理の集団に包摂されていく(or新たに作り出されていく)かを追求していけばいいのです。

最後まで読んで頂いてありがとうございました :D

投稿者 mitty : 2011年02月05日 List   

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コメント

自主管理への招待、毎回ウンウン唸りながら読んでいましたが今回の記事でシンプルにまとめてくださってスッキリしました!
とはいっても全部消化できたわけではないですが。笑

ここに書かれているように人間本来の労働が行われるようになったら、家庭はどのように変わっていくのでしょうか。
なかなかまだ想像はつきませんが、自分が家庭に入る時にその(よい)変化が実感できればいいなあなんて思っています。

ということで、今回のシリーズとても勉強になりました!
ありがとうございました☆

投稿者 bambina : 2011年2月7日 01:44

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