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2010年12月18日

近代思想に支えられてきた家庭(1)~プロローグ編~

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こんにちはみっちーです

現在、家庭では親の虐待や育児放棄、子供の短絡殺人など様々な問題 🙁 が起こっていますが、それはある個別の家庭環境における問題として片付けられ(親がそもそもまともな教育を受けてこなかった、子供を過保護に野放しにしていたなど )、家庭(集団)そのものの問題性について指摘されることはほとんどありません。

そもそも集団は、闘争と生殖を包摂した全的な集団として存在しており、全ての生物はその中で進化してきました。

しかし市場拡大によって職場と家庭が分断 され、現代の家庭は消費するだけの絶対不可侵の(=糾弾されることのない)領域となりました。それによって家庭には何の圧力も働かなくなり、教育する資質を全面的に失っています。その家庭における致命的な欠陥が徐々に露呈し始め、さらに近年の人々の精神破壊の進行も相まって、様々な家庭の問題を引き起こしているのです。

ではその根本にある市場社会を拡大し、生産過程と消費家庭を分断した近代思想の問題構造とはいったい何なのか?

これから『近代思想に支えられてきた家庭』では、7回シリーズで共同体企業である類グループ設立当時の募集パンフレット「自主管理への招待」(1979)より、近代思想の問題構造を追求し、今後の家庭とそして社会の在り方を考えていきます。

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【自主管理への招待(1)】

定年まで三〇年間、「花形」であり続けた産業があっただろうか?
その時々の世間の風潮に流されて、一生の職業を選択してしまう若者が増えてきている。だが三〇年前の石炭、二〇年前の繊維、一〇年前の鉄鋼、これらその時々の花形産業は、工業生産の発展の過程で次々と凋落し、その度に〈自前の認識〉を持たなかった者は苦汁を飲まされてきた。

まして今、諸産業を次々と興亡させながら凄じい勢いで発展してきた工業生産は、遂に物の(消費の)飽和限界に行き着き、すべての進路を塞がれようとしている。これは史上、人類が経験したことのない事態である。このような大転換の時代に、あいも変わらず目先の「花形」や「安定」をもてはやす世間の評価ほど、当てにならないものはないだろう。

それどころか今、経済は、あり余る工業製品の山に埋もれたまま、立ち上がる気配もない。すでに数多くの企業が潰れ、残る会社にも人員整理が頻発している。しかもこれまで数世紀にわたって、良くも悪くも社会をリードしてきた経済界の指導者たちは、今では展望を喪い、何の指針も出せないでいる。しかし他方では、物を超えた、いわば〈意識〉を売る教育産業や情報産業あるいはサービス産業が、この不況の中でも着実に生産を伸ばしてきている。

よく見れば、これは過去のいかなる不況期にもなかった、まったく新たな状況である。これまで社会の生産の主力部を構成してきた工業が衰退の度を強め、代わって<意識生産>が社会の生産の主力に成りつつある。すでに第三次産業人口は、全労働者の過半数を超えた。時代は今、工業生産から意識生産への歴史的な生産力の転換を遂げようとしている。

生産力という社会の基底部の転換が、社会全体の根底的な変革と激動を伴うのは当然であろう。しかもこの激動の時に、従来の社会のリーダーは無力状態に陥り、それにとって代るべき新たな生産のリーダーは、未だ力を持つまでには成長していない。状況は、さらに混迷の度を増してゆくだろう。私たちは今、指導者不在の社会の中に置かれているのである。

私たちは、このような時代の到来を、むしろ歓迎している。今ほど社会が自らの停滞を打ち破る、革命的な活力を求めている時はないからである。このような時代には、大樹の下に身を寄せる「お抱え」型の安定など、一時の気休めにしかならない。むしろ、どのような状況にも対処してゆける強靱な思想と能力を獲得してゆくことこそ、本当の安定への道ではないだろうか?

たしかに状況は混沌として、頼るべき思想も今はない。しかし歴史を振り返れば、頼るべき全ての指標が失われた混沌の状況こそ、常に真の創造の土壌であった。そして時代が変る時、常にまず新しい思想が登場してきた。かつそれは、常に既成の思想の批判的超克として現れてきた。そこで私たちも、まず近代の思想から問い直してゆこう。(※本稿では、近代とは現代を含む、工業生産の時代を指す。)

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今、時代は大きく工業生産から意識生産へと歴史的な転換を遂げようとしています。そして歴史を振り返れば、常に時代が変る時には、まず新しい思想が既成の思想の批判的超克として登場しています。

では改めて既成の思想=近代思想の問題構造とは何か?、次回より追求を深めていきたいと思います。

最後まで読んで頂いてありがとうございます☆

投稿者 staff : 2010年12月18日 List   

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