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2010年11月30日

『新たな時代の教育制度の提言にむけてシリーズ2~9.明治のベストセラー、福沢諭吉 学問のすすめ』

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福沢諭吉 学問のすすめ こちらからお借りしました。

みなさん、こんにちは。本シリーズもいよいよ本格的に明治時代に突入します。開国政策をとる明治新政府は、教育においても欧米の学制を取り入れていきます。今回扱う福沢諭吉は学制の制定にも影響を与え、「文部省は竹橋にあり、文部卿は三田(慶応義塾の所在地)にあり」の声が上がるほどで、国民思想、教育への影響力が高かった人物です。その主著「学問のすすめ」を扱って行きます。

「学問のすすめ」は17編あわせてなんと驚くべく、340万部、当時日本人10人に1人が読んだと言われている大ベストセラーでした。これほど多くの日本人に受け入れられていれたのはなぜか、当時の人々に意識、教育に対する意識を探っていたいと思います。

引用は全て斉藤孝による「学問のすすめ」現代語訳からです。福沢諭吉と言えば以下のフレーズからですね。

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「人権の平等と学問の意義」

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言われている。
つまり、天が人を生み出すにあたっては、人は皆同じ権理(権利)を持ち、生まれによる身分の上下は無く、万物の霊長たる人としての身体と心を働かせて、この世界のいろいろのものを利用し、衣食住の必要を満たし、自由自在に、また互いに人の邪魔をしないで、それぞれが安楽にこの世をすごしていけるようにしてくれているということだ。(中略)

西洋のことわざにも「天は冨貴を人に与えるのではなく、人の働きに与える」という言葉がある。つまり、人は生まれたときには、貴賎や貧富の区別はない。ただ、しっかり学問をして物事をよく知っているものは、社会的地位が高く、豊かな人になり、学ばない人は貧乏で地位の低い人になる、ということだ。

このブログの読者の方なら、このフレーズは、微妙に感じてしまう方が多いと思います。現在につながる平等思想がここまではっきり説かれているとは!!福沢は下級武士の出身で、身分制度を親の敵と考えており、「平等」には一般の庶民以上に拘っているふしがある。この点では、江戸→明治の普通の人々の欠乏を捕らえていたかは疑問だと私は感じています。(現在でも普通の日本人は「自由」「平等」とか言われてもぴんと来ない。)

しかし、福沢は第2編以降ただちに、明治の新しい時代の社会はどのようにあるべきか、どのように統合されるかと言う課題へと進めています。第3編愛国心のあり方、第4編国民の気風が国を作る、第5編国をリードする人材とは、第6編文明社会と法の精神、第7編国民の2つの役目。

当たり前ですが、この新しい時代、どのように社会を統合していくのか、そのための「学問」が必要だったのだ。(ちなみに学問のススメが出版されたの明治5年1872年)もちろん、全体が西洋近代思想の借り物であるという限界はあるが、大転換が必要とされているという生々しさが溢れているように思います。以下、、、、、、。

「新しい時代の新しい義務」

王政復古・明治維新以来、この日本の政治スタイルは大きく改まった。国際法をもって外国に交わり、国内では人々に自由独立と言う方針を示した。具体的には、平民へ苗字を持つことを許し、馬に乗ることを許したようなことは、日本始まって以来のすばらしいことだ。士農工商の位を同等にする基礎がここにできた。

これからは、日本中ひとりひとりに生まれつきの身分などといったものはない。ただその人の才能や人間性や社会的役割によって、その位というものが決まるのだ。たとえば、政府の高官を軽んじないのは当然だが、それはその人の身分が尊いからではない。その人が才能や人間性でその役割をつとめ、国民のために尊い国の法律を扱っているからこそ敬意を払うのだ。個人が尊いのではなく、国の法律が尊いのである。(中略)

今日に至っては、全国的にこうしたあさましい制度や社会的な空気というのはないはずである。したがって、みな安心して、仮に政府に対して不平があったら、それを抑えて政府をうらむより、それに対する抗議の手段をきちんととって遠慮なく議論をするのが筋である。天の道理や人の当たりまえの情にきちんと合っていることだったら、自分の一命をかけて争うのが当然だ。これが国民のなすべき義務と言うものである。

そして、このような新社会の構想の根底には、「列強圧力に対応していく」という強烈な課題意識がありました。福沢は「西洋事情」を著わし欧米の状況を紹介(政治、税制、国債、紙幣、会社、外交、軍事、科学技術、学校、新聞、病院、蒸気機関、電信、ガス灯などについて)紹介しているが、「学問のススメ」にも、そのような文明をもつ列強と互角に渡りあうという課題意識が張りつめていると感じます。以下のように、インドやトルコの衰退に言及し危機感をもつよう警鐘を鳴らしています。

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    「アヘン戦争」

「日本の独立とは何か」

たとえば、インドという国は古い。その文化が興ったのは、紀元前数千年前であり、そこで生まれた理論の精密で奥深いことは、おそらく今の西洋諸国の哲学と比べても恥じることのないものが多いだろう。

また、むかしのトルコも、非常に強い国であって、政治・文化・軍事など全てが見事に整っていた。君主は賢明で、役人は公正だった。人口が多いことと、兵士が強いことは周りの国で並ぶものがなく、一時はその名誉を四方に輝かせたのだった。したがって、インドとトルコを評すれば、一方は名のある文化国で、一方は武勇の大国であった言わざるをえない。

しかし、いま、この2大国のようすをみれば、インドはすでにイギリスの所領となって、インドの人民はイギリス政府の奴隷同然である。今のインド人の仕事と言ったら、ただアヘンをつくって中国人を殺し、イギリス商人のみを毒薬商売で儲けさせることだけである。

トルコの政府も、名目上は独立しているものの、商売上の利権はイギリス人・フランス人に独占されている。自由貿易の下で自国の産業は衰え、機を織るものもなく、機械を製造するものもなく、額に汗して土地を耕すか、ふところに手をしてただ無意味に日を送るかで、一切の工業品はイギリス・フランスの輸入に頼っている。また、自国の経済をコントロールする手段もなく、武勇の兵士も、貧乏のせいでさすがに役に立たないということだ。

以上のように、インドの文化もトルコの武威も、その国の近代文明にちっとも貢献しないのはなぜだろうか。それぞれの国の人民の視野が、ただその国内だけに限定されていたからだ。自国の状態に満足しきって他国との比較は部分的なところだけにして、そこで優劣なしと思って判断を誤ったからだ。

議論もここで止まり、仲間をつくるのもここで止まった。勝ちも負けも、栄誉も恥辱も、他国の様子の全体を相手に比較することなく、人民が一国内で太平を楽しんだり、兄弟喧嘩をしているうちに、西洋諸国の経済力に圧倒されて国を失ってしまったのだ。

西洋諸国の商人は、アジアで向かうところ敵無しである。恐れないわけにはいかない。もし、この強敵を恐れることに加えて、その国の文明を目標にするのであれば、きちんと内外の様子を比較して、その上で努力しなければならないのだ。

当時の列強圧力の緊迫感が伝わってきます。中国の状況にも言及しており、かつてのアジアの3大国が列強の前にガタガタであることを書いています。「学問のすすめ」が単なる平等思想のすすめや自己実現のすすめでなく、人々に広く読まれた理由、時代状況が分ってきますね。そして、その学問の中身は当然、漢学者や国学者のように「難しい」本を読むことではありません。

「役に立つ学問とは何か」

ここでいう学問というのは、ただ難しい字を知って、分りにくい昔の文章を読み、また和歌を楽しみ、詩を作る、といったような世の中の実用性のない学問を言っているのではない。確かにこうしたものも人の心を楽しませ、便利なものではあるが、むかしから漢学者や国学者のいうことは、それほどありがたがるほどのことでもない。(中略)

そうだとすれば、いま、こうした実用性のない学問は後回しにし、一生懸命にやるべきは、普通の生活の役立つ実学である。たとえば、いろは47文字を習って、手紙の言葉や帳簿のつけ方、そろばんの稽古や天秤の取り扱い方などを身につけることをはじめとして、学ぶべきことは非常に多い。(中略)

こういった学問は、人間にとって当たり前の実学であり、身分の上下なく、みなが身につけけるべきものである。この心得があった上で、士農工商それぞれの自分の責務を尽くしていくというのが大事だ。そのようにしてこそ、それぞれの家業を営んで、個人的に独立し、家も独立し、国家も独立することができるだろう。

以前の記事で紹介された、寺子屋の精神が見事に引き継がれているように感じますがどうでしょう。列強が現れる前に1800年ごろ既に日本人は、社会の大変動(市場の大波)を受けて、だれもが読み書きそろばんに励んでいました。それが列強圧力を前に生かされていくことになるのですね。(というか、社会の市場化に対応することと、列強圧力に対応することは本質的に同じこと。)

「学問のすすめ」が340万部も売れた背景、人々の意識を感じていただけたでしょうか?最後まで読んでいただき有難うございます。次回は、明治、学制の確立期について扱う予定です。

投稿者 fwz2 : 2010年11月30日 List   

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