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2010年11月22日

家庭の教育と社員(共同体)教育は同じ?!(8) ~“子育てパパ”って何?!

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家庭の教育と社員(共同体)教育は同じ?!シリーズ8回目です。

前回までの記事

家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!(1)プロローグ~子育て=人を育てるということ
家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!(2)同化して充足する
家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!(3)子供の「なんで?」を喜び続けたい
家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!(4)成長する=同化能力を向上させる!
家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!(5)
家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!(6)
家庭の教育と社員(共同体)教育は同じ?!(7) ~“ごっこ遊び”が世界共通なのはなんで?!

 前回までは家庭の教育と社員(共同体)教育は同じかどうか、その構造を中心に扱ってきました。
 人を育てるという本質的な意味では、家庭教育も社員教育も全く同じである事が解ってきましたが、現在の家庭教育、社員教育の実態はどうなっているのでしょうか?

今回は、会社では上司、家庭では父親という立場にある男性に焦点を当ててみようと思います。

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 最近では、家庭の子育てに積極的に参加する父親が増えているようです。元々は1999年に厚生労働省がキャンペーンを行ったのが切っ掛けのようですが、その後も男性用の育児雑誌が相次いで創刊されたり(子育てパパ急増中?~父親向け子育て雑誌が相次いで創刊)、最近のアンケートでも父親の意識は「子育て」に向いている様子がわかります。

パパジャングル「あらじん」日記より抜粋引用

父親の子育てアンケート結果
8/7、8に生協ふれあい祭りにて父親100名・母親100名を対象に子育てアンケート調査を実施いたしました。

その結果を簡単にご報告させていただきます。

イクメンブームをどう感じているか?
父 勇気づけられている・いいこと 91%  責められている・どうでもいい 9% 
母                97%                 3%

双方ともに高い数値になっていてイクメンブームは歓迎されているようです。

子育ての楽しさと大変さの割合
回答の平均値
父  楽しい 66.8%  大変 33.2%  
母      72.7%     27.3%

双方ともに子育てが楽しいと答えた割合が多かった。
父親の場合、楽しい割合の方が高かった人数68人 同じもしくは低かった29人
楽しいと感じれていない数が3割。
まだまだ父親の子育ては義務的なのだろう。

母親は楽しい割合の方が高かった人数80人 同じもしくは低かった16人
母親の方が育児を楽しんでいるという結果だった

育児時間
回答の平均値
父 平日  現実 2.4時間  理想 3時間
  土日     10.2時間     11.2時間  

何をもって育児時間というかという定義がなされていないため、全国平均1日30分という数字からはかなり乖離した結果となった。意識の高い父親は寝ている時間も育児時間に入れていた。平均値を大きく上げている。
ここから読み取れるのは、理想の時間の方が大きいので、今以上に子どもと関わりたいと望んでいる父親が多いということだ。

母 平日  現実 15.3時間  理想 14.5時間
  土日     19.7時間     18.6時間 

母親の回答からは24時間という記載が最も多かった。
母親の方が育児に対する意識が高い現れだろう。
理想時間の方が少なく、父親とは反対の結果となった。
母親のSOSともとれる。

育児自己採点・パートナー採点
回答平均値
楽しいと感じた親とそうでない親で分けてみた

父親
楽しいと答えた層 自分 62点 母85点
大変だと答えた層 自分 47点 母84点
合      計 自分 57点 母85点

パートナー(母親)に対する評価は高く差はないが、子育てを大変だと感じている父親は自己評価も低い結果となった。

母親
楽しいと答えた層 自分 63点 父73点
大変だと答えた層 自分 54点 父66点
合      計 自分 62点 父72点

父親の場合と同じような結果となったが、大変だと答えた層では父親の評価も低い結果となった。総合的にも父親とくらべてパートナーに対する評価が低かった。
その結果、合計で
父親の採点では父親と母親に約30点の差があるが、
母親の採点では10点にとどまっている。

母からみた父の方がその評価ははるかに低い。

~以下省略~

社会的にも個人の意識上も、父親の子育ては当たり前になっているようですが、そもそもこのブームはどのような要因で起こってきたのでしょうか?

るいネットからの引用です。

「子育てパパ」の共通構造


>それにしても99年の政府キャンペーンで子育てパパが推奨されていたとは・・・これを知っている人は多くないように思いますが、その後の社会現象はまさにそれをトレースしたように世の男たちが子育てに向かっているようにも思えます。(安心基盤は男女で子育て??

友人・知人に聞いた話では、男同士の同窓会や会社の飲み会で話題になるのは、かつてのように仕事の話し(グチ)でも女の話しでもなく、常に子供の話し(クリスマスに何を買ったかなど)だそうだ。
子育てブログを検索しても、かなりの確立で父親の子供自慢ブログにヒットする。マスコミも、男性誌で子供の教育特集を組んだり、子育てに熱心なタレントを殊更に取り上げたりと、子育てパパ推進に余念がない。
街中でも、子供を抱っこする父親、ひたすら子供にべったりな父親が少なくなく、確かに子育てパパは急増している。

この子育てパパ、どういう環境・どういう人物がなりやすいか事例やブログをもとに仮説立てしてみた。どうも3つの共通構造があるようだ。

1.「女(母親)の子育て不安が強い」
 子育てに対して不安が少ない家庭に、子育てパパは少ない。
 特に近所に母親の姉妹や母、祖母など女の家族がいる場合、または
 信頼できる(≒充足できる)子育てサークルに属している場合など、
 女同士の子育て繋がりがしっかりある場合は、子育てパパになる
 確立は低い様子。

2.「男(父親)の評価不安→評価欠乏が強い」
 子育てパパブログには「子供に嫌われたくない」「好かれていたい」
 「評価され続けたい」などの言葉が少なくない。
 「子供の為・子供第一」と言う言葉の裏に、父親自身の強い評価不安
 →評価欠乏がある。
 会社など社会空間での評価不安+家庭内での役割欠損が背後にある
 様子。

3.「性捨象=女の囲い込みから子供の囲い込みへ」
 子育てパパな友人達は、セックスレスであるケースが多い。
 子育てパパブログなどを見ていても、子供については腐るほど書いて
 あるが、女(母親)の話しは殆どない。
 性捨象の結果、囲い込みの対象が女から子供へと移っている様子。

この3つの共通構造は、序列規範・私権統合が崩壊→統合不全へと陥った現在では、簡単に起こりえることであり、統合不全が強まるにつれ、益々悪化していく。このことから、子育てパパが今後(恐らく3~5年の内に)急増し、男の多数を占めるのは想像に難くない。(既に世論的にはその土壌が形成されている)
上記の3構造から考えるに、「子育てパパ」とは詰まるところ、父系一対婚の行き詰まりが生み出した、目先の収束先と言える。
父系一対婚が完全に行き詰まっているからこそ、その制度の中で、最も目先の評価を得やすく、共認充足・解脱充足を得られ、更に社会的に最も正当化し易い「子育て」に全面収束した。(それも、都合の良い部分だけをつまみ食いしているだけで、労力の要る部分には目を伏せているケースが多い)
これこそが「子育てパパ」の正体である。あらゆる問題に目を伏せ、自らに都合の良い”子育て”に収束する姿は、まさに「自己中」そのものと言っても過言ではない。

当然、そこに収束したところで、根本構造(子育て不安・評価不安・性捨象)は全く解決しないし、国債800兆を始めとする社会問題も何も解決しない。それどころか、ますます目先収束の度合いを強め、問題を悪化させていくだけである。

 序列規範・私権統合が崩壊した故の家庭子育て収束。
今の父親の子育て収束は、会社や社会の中に課題が見いだせず、とりあえず身近な家庭の中に課題を見つけて飛びついたように思えます。
 
 再び、るいネットからの紹介です。

目先の子育てが短絡脳を作り出す

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子育てパパ、教育パパの心底に適応種を育てる意識はあるのだろうか?

「子は親の背中を見て育つ。」と古くから言われているが、それは課題に向かう親の姿を見ることが前提にある。
その親に同化=真似し、大量の失敗経験から自ら工夫思考を育みながら成長するのである。

課題とは言うまでもなく闘争課題であり、かつては生産課題が中心であった。しかし、市場社会は生産の場を家庭から分離し親の姿を見えなくした。さらに貧困が消滅してからは生産圧力すら二義的なものとなり、親自身が課題に向かう気力を失ってしまった。

親が子育てを課題化することは決して誤りとは言えない。しかし、子育てを課題化すれば、それは必然的に子どもを取り巻く社会状況を対象化しなければ方針は出せない。そして、それは親自身にも取り巻く閉塞状況でもある。

社会閉塞の答えが見つからないといって、安易に捨象し受験や子どもと遊ぶことだけを課題化する目先思考の短絡脳では、子どもも短絡脳にしかならない。
>人類がほぼ克服し得たのは動物的(本能を直撃する様)な自然圧力・外敵圧力だけであって、本能では感取できない、しかし観念機能では認識or 予測できる人間的(超動物的)、かつ全人類的な自然課題・外敵課題は、未来永劫生まれ続ける。しかも、人類がそれらの課題の中の何をどれだけ重視するかは、人類の共認に委ねられている。つまり、全人類的生存課題→期待と応望(=追求・創造)→評価闘争=共認闘争→社会共認の形成、そしてその社会共認にとって重要な新たな人類的生存課題が更に追求され、その環が塗り重ねられてゆく。これが、同類圧力社会=共認社会の基本パラダイムである。 実現論4_2_03
親がどこまで観念を使い社会を対象化し同類圧力を形成できるか、その姿を子どもたちは見ているのだ。

「子は親の背中を見て育つ。」本来、父親(男)の役割はその背中を通して「集団規範」や「社会規範」を子供達に教える事だったのではないでしょうか。

 現在の家庭収束は、社会課題ではなく個人の課題に過ぎず、父親が子育て収束すればするほど社会とのつながりを遮断し、本当に教えなければいけない集団性、社会性をを破棄しているように感じます。

 それは会社と家庭が分断したサラリーマン家庭だけでなく、生産と生殖・消費(家庭)が一体化していると思われている農業・自営業の家庭でも同じ傾向にあると思われます。

 以前は、村全体で共同作業を行っていた農業や、地域の共同体と共にあった自営業が個人単位でやるようになり、生産と生殖が一体となった家庭でもすべて個人課題に矮小化しています。
 
 子育て課題も生産課題もすべて個人課題になってしまえば、父親の子育て収束も社会とのつながりを分断する害しか及ぼさないのではないでしょうか。

 今や個人課題しかない家庭からは突破口はなかなか見えて来ないように思えます。次回以降は生産の場(会社や集団)から教育をどのように取り組んでいるか、違うアプローチで考えて行きたいと思います。

投稿者 ginyu : 2010年11月22日 List   

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