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2010年10月23日

幼児虐待が起こるのはなんで?(7) 子育ては充足課題

前回は、親子関係の変遷を踏まえ、現在の密室化した家庭の親子関係を見てきました。

その中では、親が子供の本当の想いに気づかずに、子供を育てていることが一般家庭の中で当たり前になっていることが見えてきました。

しかし、このような状況が家庭の中で蔓延していたのでは、親子の間で不全を溜め込むだけで一向に答えが見えてきません。

今回は、家庭の中に潜む問題を更に踏み込んで追及したいと思います。

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一粒の実様からお借りしました。子供の無邪気に遊ぶ姿は、ほんとかわいいですね。

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まずは、現代の精神破壊と特権階級たちの意識構造を踏まえ、家庭が抱える問題について分析した投稿がありましたので引用します。


Re:精神破壊における、無意識の恐ろしさ

 Uさん、はじめまして。
 現代における「精神破壊」についての投稿を興味深く読ませて頂きました。一言で「精神破壊」といっても様々ですが、文面から察すれば、子供の「イジメ」や「登校拒否」、「引きこもり」や「家庭内暴力」などの特に家庭と密接な関係のある問題を取り上げておられるのだと思います。
 これらの問題に対して
>何故「家庭が悪い」とは糾弾されにくいのか?<を考えられた結果として述べておられる、
>精神破壊を唱える人々(主に学者やマスコミなど)も各々の家庭を持っており、そして自分の家庭は過不足ないものだと過信しているからでしょう。
との観点は見逃せないと思い私も一緒に考えてみました。

 この問題には現代における様々な要素が絡み合っていると思います。

1.都市への急速な人口の流入に伴う核家族化、家庭はお互いに干渉しない、されないという不可侵の聖域と化していること。
2、家庭においても家族はそれぞれの個室を持ち子供達も、「快適な自分の世界は邪魔されたくない」という暗黙の了解のもとに暮らしていること。
3、学校においては「子供達の自主性や個性を尊重する」といった指導方針のもと「男女平等・自由」が大切だと教えられる。
4、一方で子供達の世界は、均一化した仲間収束へ。その流れに乗れない子供ははじき出される。

 このような状況のなかで、子供達の「イジメ」や「登校拒否」が起こっているのです。現代の核家族はすでに教育機能を失ってしまっているのではないでしょうか?勿論、上手に子育てをされておられる方々も多いとは思いますが、「自分の子供」という観点からだけでなく、「次世代を担う子供達」という観点で現代の「精神破壊」を捉えると、「家庭」や「学校」ひいては「社会」の現行の制度は果たしてこのままでよいのか?という疑問の方にゆきつくように思うのですが・・・・・・。

 次にこの「精神破壊」を唱える人々(主に学者やマスコミなど)についてですが、彼らは近代思想に何の疑問も持たない、むしろ自らを近代思想の具現者と自負している人々です。近代思想を絶対視した彼らから、「現代を取り巻く精神破壊はこの近代思想という欺瞞観念がもたらしたもの」との解答をひきだすことは不可能でしょう。Uさんの仰る「彼らが自分の家庭は過不足ないものだと過信しているからでしょう。」ということは、換言すれば「近代思想を盲信し、個人の家庭さえ安泰であればいい」という近代思想の欺瞞観念に毒されており、これこそが現代に蔓延する精神破壊の元凶であるといえるのではないでしょうか?
 近代の思想家の欺瞞性については「実現論」が参考になると思います。

上記の投稿から、江戸時代の村落共同体に存在した充足役割であり、みんなの活力源であった子育てが、核家族化に流れによって家庭を密室化し、周りと干渉しにくい状況をつくりだし、集団を形成しにくい状況を作り出したことが問題として見えてきました。

また、親たちが組み立てる子育て方針の中には、近代思想を美化してマスコミの報道するニュースや今日までの学校教育システムによって、無意識的に近代思想を取り得れてしまう危険性があることも問題のひとつとして見えてきました。

さらに、核家族化によって常態化した親の囲いが子供の成長過程に大きな問題を孕んでいるようです。


親の囲いが、対象を遮断し、活力を衰弱させる

>’90年頃以降完全に対象同一性(規範同一性)を失った若者はやりたいこと=役割探しを始め、私権企業に魅力を感じられず、すぐ辞める若者が増えてきました。一方で、親元に居たいから会社を辞めたり離婚する若者もいるようです。

本来、対象と同化する過程は、まず、赤ん坊が母親に同化し、次に家族や仲間へと同一化の対象を広げ、彼ら=目の前の対象を通じて少しずつ根本規範や社会そのものを獲得していきます。

しかし、仲間やみんな(社会)に収束せず(orできず)に、親(の期待)に収束し続ける若者も増えています。対象同一性を失った多くの若者は適応欠乏⇒潜在思念にしたがって仲間⇒みんなへと同化し、対象の獲得を試みるのですが、乳幼児期に親和不全が生じた場合はひたすら母親に同化収束します。

>乳幼児期の母親との親和充足(笑顔の交信やスキンシップによる安心感)が人格形成上決定的に重要であるにもかかわらず、スキンシップが充分できていない場合、子供は親和不全(怯えに近い不安)に陥る。しかし、赤ん坊にとって母親は絶対存在であるため、親和が得られないのは「自分が悪い」からだと自己攻撃し、己の欲望や期待を封鎖して、母親から与えられる規範観念(「ああしなさい、こうしなさい」「それしちゃダメ」etc)にひたすら収束する。

母親への同化収束力が強すぎるために母親以外は同一化の対象にはなり得ず、仲間圧力=同化圧力も表層的だけでやり過ごしているようです。

しかし、’90年以降、対象を失った彼らの親たちに同化しても当然答えはなく、中身(=対象)のない親の囲いに幽閉されたまま、全く活力の出ない存在となるのは必然です。親以外は表層でやり過ごしてきたが故に、仕事や人間関係といった現実の圧力に耐え切れず(同一化できず)、活力が出ない=(対象のない)親の期待に応えられない自分を攻撃し、鬱やひきこもり、体調不良などの肉体不全で文字通り身動きできなくなる若者も増えています。

「やりたいことが見つからない」若者や、「会社をすぐ辞めてしまう」若者が増えたのも、親へ同化し続けた結果と言える層が少なからずいるようです。

母親と過ごす乳幼児期は、子供の充足体験(コミュニケーション・気持ちのやりとり)を塗り重ねていくための大切な期間です。この充足体験の経験値によって、子供の性格が決まるといっても過言ではありません。

この大切な期間の中で、スキンシップが充分に出来ないと子供は、投稿にも有るように親和不全に陥って、母親だけを同一化の対象として、周りを対象化できない子供に育ててしまいます。

このような環境の中で、現在のお母さんたちは「このままでの子育てでいいのか」と不安を抱えながら子育てを行っているように思います。

しかし、実はこの不安こそこの先の突破口を示しているともいえます。

それは、このような不安を抱えているお母さんたちは一人ではありません。それに気づくことができれば、以前の投稿にもあったようにギャルママさんたちがみんなで子育てする取り組みを実現しているように、みんなで子育てに取り組めば突破口は必ず見つかります。
幼児虐待が起こるのはなんで?(5) 「子ども」ってなに?)

最後に、虐待により情緒障害に至った、児童を支援している情緒障害児短期治療施設の紹介をしたいと思います。

虐待から生還ドキュメントが示してくれている「答え」

虐待により情緒障害に至った、児童を支援している情緒障害児短期治療施設の一つ「大村椿の森学園」を取材したドキュメンタリーを見た。

情緒障害には色々な症例があるようですが、根本的には、親との間での親和不全を原因とする対象同一性障害の一つと考えられます。

だっこやおんぶがベビーカーやベビーベットになり、授乳が哺乳瓶になり、テレビを見させられて放置され、メールに夢中になるあまりに子供に反応しない母親・・・etc、乳幼児期の親和不全は程度の差こそあれ、多くの児童たちが抱えている問題だ。

ここに、親和充足を与えてくれるはずの親(乳幼児期の同化対象)から、虐待という恐怖経験を加えられることで、情緒障害にまで至ってしまう。
対象との同化回路の形成が不完全な上に、恐怖体験の連続によって閉鎖されてしまった状態。

大村椿の森学園のスタッフ達は、児童達と生活を共にしながら、この同化回路を再生している。
方法論は、決して諦めず、否定せず、焦らず、ただひたすら受け入れる事。泣き叫ばれても、殴られても、その姿勢は変えない。
その壮絶な日常をドキュメントしている。
18歳になり施設を巣立つまでのリポートなのですが、久しぶりに感動しました。

このドキュメントは感動の他に幾つかの答えを示してくれている。

・同化回路は再生できる
乳幼児期に未成熟であっても、恐怖体験により閉塞してしまっていても、充足体験を積み重ねる事で、再生できるという事。

・家庭が失った充足空間を家庭以外に構築できるという事。
実際ドキュメントの中心になっている少女は、施設の皆との充足経験を土台にして、不登校を克服し、社会に巣立っている。

そして、虐待とまでは行かなくても多くの児童が同様の不全を抱えている現代社会は大きな過ちを犯しているのかもしれない。
家庭、学校などの上手く言っていない、既存の子育て、教育のフレームから脱却して、この大村椿の森学園で実現している充足空間を、現実社会のフレームの再構築していく事を考えていく必要がある。

上記の投稿にもあるように、子育てを母親だけの課題にするのではなく、みんな課題として取り組む場があれば、子育て課題も充足課題になってみんなも楽しく子育てできそうですね。

徐々に突破口が見えてきました。今後も追及を続けていきます。 :D

投稿者 kaneking : 2010年10月23日 List   

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