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2010年09月18日

修行型教育から充足型教育へ~修行回路の特捜などいらない。~

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(画像は、cnet JPANさんからお借りしました)

 去る9月10日、村木厚子さんの無罪が確定しました。

 この事件により、特捜部の取り調べは、はじめに筋書きが決められており、それにあわせた調書が作られていく。といったことが、世間に知られることとなりました。

 このやり方で、今まで数々の冤罪事件を作り上げてきた特捜部。
 本来ならば、事実を追及するべきはずが、なぜ、そのような体質となってしまったのでしょうか?

 その一つの原因に、彼らの受けてきた教育に問題があるのではないか?とのるいネットの記事(「修行回路の特捜などいらない。」)がありましたので、今回は、その記事を紹介しながら、今後はどのような教育が良いのか?に追っていきたいと思います。

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 先ずは引用から、

現代国語は「書いた人間」と、「出題した人間」と、「解く人間」の三人いるわけです。ターゲットはここ、「出題者」なんです。「書いた人間」のことなんか考えちゃいけないんです。「出題した人間」の頭に同調するんです。

>何ら問題の本質に迫ろうとせずに、予め用意された答えに沿って問題を解決しようとする姿は、「書いた人間」より「出題した人間」の頭に同調する回路ばかり鍛えられた受験優等生の姿そのものだ。この、修行回路のみが異様に発達した人間は、出題者にとって、さぞ操りやすい、使いやすい人間だろう。

>受験勉強では「シンプルな頭のつくりの出題者」≒大学教授に同調すればいいだけなので、本人の脳回路はイカれたとしても、他者への被害は少ない。しかし、この、幼い頃から受験勉強に明け暮れ、完全に潜在思念がイカれてしまった連中が特捜という権力を手に入れたら、どういうことになるか。

彼らは一旦「答え」を示されたら、途中でつじつまの合わないことが出てきても、軌道修正など一切せずに(思いつかずに)、何が何でも、突っ切ってしまおうとする。そして、ひとひとりの人生を簡単に奪おうとする。

 村木厚子さんが、偽造証明書作成に関与しているとの「答え」があらかじめ決まっており、それを証明するための調書作り。
 それはまるで、数学の証明問題さながら。

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(画像は中京テレビさんからお借りしました)

 幼い頃から、同世代の子達との充足体験もなく、孤独な受験勉強に明け暮れてきた彼らは、他人を蹴落として、自分だけが得をする方法を覚え、そのために決まった「答え」に向かって、修行僧のように突き進むようになってしまったのでしょう。
そして、上から言われたことだけやるような人間になってしまい、そんな人間が大量生産されてきました。

 証明が目的になるから、本来の事実を追求するという役割を見失い、問題を解けば解くほどに、本質からはズレていく。問題を解くこと自体が、目的になってしまった。そして、そのようなことが、当たり前になってしまったのでしょう。

 このことは何も、特捜部あるいは、官僚だけの問題ではありません。
 我々にも、そして、今まさに学校で勉強している子ども達にも関わる問題なのです。

 では、このような体質から抜け出す、あるいは、ならないためには、どうしたらよいのでしょうか?

 その「答え」の一端となるのが、このブログでも紹介してきた

集団の再生どうする?~再生への取組み事例:大地の学校~
教育の再生どうする?~再生への取り組み事例:森のようちえん~
これからの子育てどうする?~共同体の事例:木の花ファミリー
遊びの再生=学びの再生 ~田んぼの学校~
幼少期の子育てどうする?~朝霞どろんこ保育園の取り組み~
教育の再生どうする?~農業体験を通して次世代教育:ウェルチ~

 などの取り組みに見られる、自然体験や、農業体験を通して、幼い頃から、課題に対して協同することの大切さ、共に充足することの大切さを実感していくことです。

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(画像は類塾さんからお借りしました)

 そこでの協同体験、充足体験を通して、社会に出てから、周りが充足するには?から社会全体が充足するには?という風に考えて行動していける人材が育てば、現在の特捜部のように、人の気持ちが分からず、平気でひと一人の人生を潰すようなことはできなくなるはずです。

 また、もう社会に出てしまったよ~とか、今すぐにでも改善していきたいという人もいらっしゃると思います。
 そんな人にお勧めなのが、“斉唱”です。

 ここで言う斉唱というのは、みんなで歌を歌うことではなくて、何人かで集まって、一冊の本あるいは一連の文章を、声を合わせて一緒に暗誦することです。
 詳しくは、文章上手になるには?~相手に響くレポート、スピーチがスラスラ書けるようになるを参照。

 この斉唱の効果が、るいネットに紹介されています。

 先ずは安心感と充足感に包まれた事例です(みんなと繋がる斉唱)。

ただただ、周りの声を聞きながら、それに合わせて文章を読んでいく。
何も余計なことを考えずに、隣の人の声に乗り、周りの声に乗り。
なんだか心地よくて、温かくて、涙が出てきて。

>何も考えなくて良い。
心に蓋をして、隠すための取り繕った言葉なら、なくてもいい。
ただそこにいるだけで、受け入れて見守ってもらっていて。
追いかける必要はない。
場は(みんなは)いつもそこに存在する。
なんだかホッとした。
終わる頃には身体が熱くなっていた。

次は、仕事場面での事例(斉唱会に参加してからの変化~共認回路と繋がった観念の再生~)。

>元々人が好きで、客先も社内も含めて周りと共認形成をはかっていくのは得意でしたが、それでも相手に同化しきれない事やついつい目先の言葉に振り回されることは今でもあります。ただ、斉唱会を始めてからは、まず真正面にこちらの思惑抜きに受け入れる余裕ができてきたように思います。相手が話している時に、どう返答しようか、それをどう翻訳するか等、それまでは色んな事を考えていましたが、今はあまり急いで考えるよりも、まず受け止めさえすれば自ずと発すべき言葉がでてくるような感覚があります。

 また、共認と繋がった観念を強く意識するようになり、言葉への拘りが強くなってきたようにも思います。回りくどくなく単刀直入に言いたい。もっと皆に響く言葉でいいたい。そんな気持ちも強くなりました。

 以上、二つの事例を紹介しましたが、“斉唱”により、より周りを肯定視することができるようになり、充足感、安心感も得られ、さらには観念力(文章力等)も鍛えられるといった、一石二鳥どころか三鳥・四鳥wくらいの効用があることが分かります。

 是非とも職場やご家庭で試してみてください。
 家でやる場合は、近所の人や知り合いを呼んでやってみてはいかがでしょう。もちろん、子ども達も一緒に!
 ポイントは、周りのみんなの顔を見ながら、声を合わせて発声することです。

 修行型の教育から、充足型の教育に転換していきましょう

投稿者 ford : 2010年09月18日 List   

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コメント

素敵な記事をありがとうございます~☆

マスコミ報道などで村木さんの事件は知っていましたが、その裏にはこんな深い構造があったなんてビックリです!!
やっぱり改めて”事実を知る”ことの大事さを感じました。

それに、この先の可能性まで・・・♪
さっそく”斉唱”実践してゆきたいです(*^_^*)
でも、どんな文章を斉唱すれば一番いいのでしょうか??
また教えてもらえたら嬉しいです☆

投稿者 12960 : 2010年9月21日 22:31

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