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2010年09月17日

幼児虐待が起こるのはなんで?(3) 幼児虐待の実態(虐待に至る親の意識構造)

シリーズ(2)幼児虐待の実態では、様々な幼児虐待の分析データの調査によって少しずつ虐待の実態が見えてきました。

今回はそこからさらに一歩踏み込んで、虐待に至る親の意識構造に迫ってみたいと思います。

前回の調査でわかったように、虐待の原因としてよく言われる内容はあまり実態とは合っていません。

●虐待は継父母や養父母などが育てるケースに多い
⇒実父母による割合が8割以上を占めている。

●虐待は連鎖する(虐待する親は被虐待児であるケースが多い)
⇒虐待を受けていた親の割合は1割未満でしかない。

●虐待を受ける側の子供にも原因がある
⇒特に原因がない割合が4割以上もいる。

つまり現代の虐待は、ごく普通の家庭で起こり得ることであることがわかりました。

だとすれば原因はどこにあるのか?

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子育ては大変!

という言葉をよく耳にします。我が家には4人の子供がいますが、これまで家内に対していろんな人から「大変でしょう?」とか「すごいね~」という言葉を掛けられることが本当に多かったです。今や世間では「子育ては大変なこと」という意識が当たり前になっているようなのですが、そもそも、

子育てって大変なこと?
子育ては苦行なの?

という疑問が出てきます。この意識は虐待につながる要因の一つと考えられますが、子育てが大変になった原因は何でしょうか?まずは時代背景と人々の意識潮流を構造化してみます。

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このように、’70の貧困消滅以降「自分第一」の価値観に染まった親に育てられた世代(現在の親世代)は、虐待を行ってしまう母親に限らず、少なからず親和欠損を抱えたまま育ってきています。その結果本来母親が持つ充足性(共認回路)が貧弱になっていると考えられます。よく「母性の喪失」と言われたりしますが、これは男性も含めた社会全体の意識潮流です。

また親世代の親=団塊の世代においては、マイホームブームに象徴されるように一気に核家族化が進行しました。現在の親世代のほとんどが核家族の中で育てられてきたことを考えると、子育てに関する知識は自分の親のやり方(自分の育てられ方)しか得ることができなかったと言うこともできます。

母親が潜在的に充足性が貧弱な状態で、核家族の密室空間の中で子育てに向かうとどうなるでしょうか?

Book2.jpg
       

私権意識と家庭の密室化によって、自分で産んだ子は、社会や集団に関係なく「自分の子」という意識が高まり、今や当然の認識となっています。また同じく、自分の子は自分で育てるという認識も当たり前になったこととは裏腹に、一人で育てることに対する不安を抱きます。育て方もわからないのに助けてくれる人が近くに誰もいないからです。

また、家庭の密室化は社会からの断絶につながります。社会の期待や圧力が遮断されることで家庭は無圧力空間となり、母親の自我が肥大していきます。子供に対して自分の都合を優先してしまったり、社会における役割不全によって代償充足を求めたいという欠乏も生起(でも子供がいるから我慢)します。

このような意識で子育てが上手くいくはずがなく、しんどくつらい(でも仕方がない)という意識になっていったのだと考えられます。こうして「子育ては大変なこと」というのが、今や誰もが当たり前に感じる意識として定着してしまったのではないでしょうか。

「いや、そんなことはない。子供は可愛いし子育ては楽しい!」

という反論はあると思います。家に閉じこもってないで外に出ればママ友もできるし、不安や上手くいかないことも共有して楽しく子育てすることだってできる。という方は沢山いると思います。ですが一方で、充足性の貧弱さによって家庭の外になかなか出られない、外に出たとしても上手く人間関係ができないという人が多いことも確かです。

ある新聞記事によれば、アンケート調査で「加減しないで子供を叩いたことがある母親が70%」という実態が報告されています。これは、最近新聞紙上を賑わしている幼児虐待の特殊な事件だけでなく、ごく普通の家庭内にもその芽があるということを示しているのではないでしょうか。

一方で、「子育てが上手くいかない、大変」という意識から虐待行為には直接はつながりません。そこに至るには相応の正当化観念が必要だと考えられます。そしてそこには「躾」という観念が強く関わっているような気がしています。よく「躾と虐待の違い」について話題に上げられますが、実は躾と虐待は表裏一体ではないのか?という疑問があります。

次回以降、その部分を含めてさらに追求していきます!

投稿者 hiroaki : 2010年09月17日 List   

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コメント

先日、「社会人」ってどんな人達だろう?という議論をしていた時に、家事・子育てを頑張ってる方々だって本当は「社会人」のはずだよね、という話になりました。社会的には、本当に大切な課題であり、みんなにとっての充足役割なのに、家庭内という閉じた世界は周りから評価し難い空間になってますよね。

ここら辺が、一つの解決の糸口にならないかな、と想っているところです。

投稿者 かわい : 2010年9月22日 16:16

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