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2010年08月09日

旦那さんがイクメンでいいですか?

サロンで“メディアと教育”のテーマを話し合いました

そこで話題にのぼったのは、子育てパパ(つるの剛士、東京都文京区の区長)の育休取得報道、厚生労働省が掲げるイクメンプロジェクト、父親向けの育児用品(ベビーカー・抱っこひもなど)市場の存在など、父親が積極的に育児参加し、世論がそれを推進させているという現状です

それを聞いて、先日出席した友人の結婚式で不可解に思った、新郎の「結婚したら僕は家事・育児を全面的に手伝います!」宣言が腑に落ちました
おまけに就職試験の面接官をしているサロンメンバーによると、まだ社会人になってもいないのに面接の段階で「家庭をもちたい 」と話す男子学生が増えているそうです。

ところで、イクメンプロジェクトのことをご存知ですか?
2010年6月に発表された厚生労働省の報道発表資料によると(以下抜粋)、

>「イクメンプロジェクト」とは、働く男性が、育児をより積極的にすることや、育児休業を取得することができるよう、社会の気運を高めることを目的としたプロジェクトです。昨今は育児を積極的にする男性「イクメン」が話題となっておりますが、まだまだ一般的でないのが現状です。改正育児・介護休業法(2010年6月30日施行)の趣旨も踏まえ、育児をすることが、自分自身だけでなく、家族、会社、社会に対しても良い影響を与えるというメッセージを発信しつつ、「イクメンとは、子育てを楽しみ、自分自身も成長する男のこと」をコンセプトに、社会にその意義を訴えてまいります。

とあります。

イクメンプロジェクトより、サイトの中身を一部紹介します。
イクメン宣言
・定時に帰って子供と遊ぶぞ!(20代、一児の父)
・育児レベルで奥さんの一歩先を行き、我が家の育児を引っ張っていくことをここに宣言します!(30代、一児の父)
・趣味は家族、特技は育児・家事 仕事は子育て支援(30代、二児の父)

サロンメンバー一同衝撃 でした。
ワーキングマザーを支えたい、子供との時間を増やしたい、仕事と家事・育児を両立したい…一見よくできた素晴らしい父親なんですが、どうも違和感を感じました。

なぜ父親が“家庭”・“育児”に収束しようとするの?
女(母親)が男(父親)に期待していることと“イクメン”ってなんかずれていない?

もう少し掘り下げて考えてみようと思います

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いつもありがとうございます さらに精進します

まず、父親が子育て(家庭)に収束する構造についてるいネットから引用します。

『子育てパパの共通構造』

1.「女(母親)の子育て不安が強い」
 子育てに対して不安が少ない家庭に、子育てパパは少ない。特に近所に母親の姉妹や母、祖母など女の家族がいる場合、または信頼できる(≒充足できる)子育てサークルに属している場合など、女同士の子育て繋がりがしっかりある場合は、子育てパパになる確立は低い様子。

2.「男(父親)の評価不安→評価欠乏が強い」
 子育てパパブログには「子供に嫌われたくない」「好かれていたい」「評価され続けたい」などの言葉が少なくない。 「子供の為・子供第一」と言う言葉の裏に、父親自身の強い評価不安→評価欠乏がある。会社など社会空間での評価不安+家庭内での役割欠損が背後にある様子。

3.「性捨象=女の囲い込みから子供の囲い込みへ」
 子育てパパな友人達は、セックスレスであるケースが多い。子育てパパブログなどを見ていても、子供については腐るほど書いてあるが、女(母親)の話しは殆どない。
 性捨象の結果、囲い込みの対象が女から子供へと移っている様子。

この3つの共通構造は、序列規範・私権統合が崩壊→統合不全へと陥った現在では、簡単に起こりえることであり、統合不全が強まるにつれ、益々悪化していく。このことから、子育てパパが今後(恐らく3~5年の内に)急増し、男の多数を占めるのは想像に難くない。(既に世論的にはその土壌が形成されている)
上記の3構造から考えるに、「子育てパパ」とは詰まるところ、父系一対婚の行き詰まりが生み出した、目先の収束先と言える。

父系一対婚が完全に行き詰まっているからこそ、その制度の中で、最も目先の評価を得やすく、共認充足・解脱充足を得られ、更に社会的に最も正当化し易い「子育て」に全面収束した。(それも、都合の良い部分だけをつまみ食いしているだけで、労力の要る部分には目を伏せているケースが多い)

これこそが「子育てパパ」の正体である。あらゆる問題に目を伏せ、自らに都合の良い”子育て”に収束する姿は、まさに「自己中」そのものと言っても過言ではない。

当然、そこに収束したところで、根本構造(子育て不安・評価不安・性捨象)は全く解決しないし、国債800兆を始めとする社会問題も何も解決しない。それどころか、ますます目先収束の度合いを強め、問題を悪化させていくだけである。

このまま子育てパパが増えていくとどうなるのでしょうか?

るいネット『「父親の育児参加」により闘争課題が親和課題に劣化している』より引用します。

本来父親に求められる育児の役割は、「規範教育」だと思う。これ以上やったら「危険」とか、それ以上求めることは「わがまま」と言うことに対して圧力存在となり「叱る」と言うのが最も重要な父親の役割だと思う。

 しかし育児参加する以上「規範教育」以外の役割を担わなければならない。「遊び相手」をするときもあれば「オムツ交換」をするときもある。むしろそちらの役割のほうがメインになっていく。

 その結果、子供に気に入られることを重視して圧力存在足りえることを放棄し、「規範教育」がどんどんと失われていく。これは家庭が子供にとって無圧力空間になっていくことを意味する。

>闘争共認(真猿段階)から親和共認(原猿段階)へと後退してしまった状態。(101806)

まさにここでも闘争課題が親和課題に劣化しているのだ。

そしてそんな家庭から「自己中な子供」が生み出されていくように感じるのだがどうだろうか。

上記投稿を読んで違和感の中身がスッキリしました
ママ目線で考えても、核家族が多い中ひとりじゃ大変な家事・育児を手伝ってくれるに越したことはないけど、母親が2人いて父親の役割は誰が担うの?とイクメンプロジェクトが感応観念にすぎない感じがしたのです

ガタガタの社会の中、女の人の『もっと安心して子育てしたい』という想いは共通です。しかし、男の人に求める安心の中身はいち家庭における家事・育児の補助ではありません。(特に家庭に基盤を置いている女の人にはつかみづらい)社会をとりまく状況を対象化して方針(答え)を出してほしいのです :tikara:

“社会を対象化する”とはどういうことか押さえておきます。

同じくるいネット『目先の子育てが短絡脳を作り出す』より引用します。

子育てパパ、教育パパの心底に適応種を育てる意識はあるのだろうか?

「子は親の背中を見て育つ。」と古くから言われているが、それは課題に向かう親の姿を見ることが前提にある。
その親に同化=真似し、大量の失敗経験から自ら工夫思考を育みながら成長するのである。

課題とは言うまでもなく闘争課題であり、かつては生産課題が中心であった。しかし、市場社会は生産の場を家庭から分離し親の姿を見えなくした。さらに貧困が消滅してからは生産圧力すら二義的なものとなり、親自身が課題に向かう気力を失ってしまった。

親が子育てを課題化することは決して誤りとは言えない。しかし、子育てを課題化すれば、それは必然的に子どもを取り巻く社会状況を対象化しなければ方針は出せない。そして、それは親自身にも取り巻く閉塞状況でもある。

社会閉塞の答えが見つからないといって、安易に捨象し受験や子どもと遊ぶことだけを課題化する目先思考の短絡脳では、子どもも短絡脳にしかならない。
>人類がほぼ克服し得たのは動物的(本能を直撃する様)な自然圧力・外敵圧力だけであって、本能では感取できない、しかし観念機能では認識or 予測できる人間的(超動物的)、かつ全人類的な自然課題・外敵課題は、未来永劫生まれ続ける。しかも、人類がそれらの課題の中の何をどれだけ重視するかは、人類の共認に委ねられている。つまり、全人類的生存課題→期待と応望(=追求・創造)→評価闘争=共認闘争→社会共認の形成、そしてその社会共認にとって重要な新たな人類的生存課題が更に追求され、その環が塗り重ねられてゆく。これが、同類圧力社会=共認社会の基本パラダイムである。 実現論4_2_03

親がどこまで観念を使い社会を対象化し同類圧力を形成できるか、その姿を子どもたちは見ているのだ。

私権が崩壊して判断軸・収束先がグラグラな社会の中、子育ては人間にとって重要な未明課題のひとつですが、密室家庭の中で父親と母親が“自分の子”に収束したところで突破口は開けません

子育てパパがダメなのではなく、男の人には目先の家事・育児にとどまらず女が安心して子育てできる社会を作ってほしいと期待しています
そして女たちは、男の人を子育てパパにしてしまわないために、 女同士での子育て繋がり=課題共認ができる基盤作り が必要だと感じました。世の中のママたちみんなが安心して子育てするために、サロンや感トレの場にもっともっと巻き込んでいきたいです

投稿者 imamura : 2010年08月09日 List   

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コメント

 うーん、イクメンですか・・・はじめて聞きました。
 
>男の人には目先の家事・育児にとどまらず女が安心して子育てできる社会を作ってほしいと期待しています。

 これ本当に真っ当な期待だと思います。

 生物の進化のベクトルは、生殖存在たる女と、闘争存在たる男、この二つの差異を促進する形で塗り重ねられてきました。

 イクメンプロジェクトは、このベクトルを真っ向から否定し、男女の性差を中性化する方向に促がす流れです。
 これこそが私たち自身が違和感を感じる中身なのではないかと思います。

投稿者 だいち : 2010年8月26日 19:49

たしかに、子どもを育てるのって安心基盤が無ければ本当に大変で、つい一緒にいる旦那さんに頼ってしまうのかもしれないですね…

>そして女たちは、男の人を子育てパパにしてしまわないために、 女同士での子育て繋がり=課題共認ができる基盤作り が必要だと感じました。

まさしくここが重要なんですね!!
私の職場でも、女の人が安心できる基盤ができてきて、女の人同士で違和感をすり合わせて解決まで向えるようになってきたので、最近は男の人がまっすぐ闘争に向えるようになった♪という話を聞きました☆
家庭でも同じことが言えるんでしょうね♪♪

「家庭を聖域にしてはいけない」さんの記事をいつも楽しみにしています☆
これからもがんばってください♪

投稿者 みか : 2010年8月29日 07:23

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