つなぐ社会∞紡ぎ合う次代6~見知らぬ人々との認識交流の場=原初の社会~ |
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2010年07月31日
「言い方」の問題?いいえ、その「心のあり様」が問題です。
みなさんは、日常場面で、
「自分はそんなつもりは無かったのに、相手を怒らせちゃった ギクシャクしちゃった 」
なんて経験ありませんか??
例えば、、
子供が、学校の宿題で出された読み聞かせを、お母さんに聞いてもらおうとしています。
「ねぇねぇ、お母さん!聞いて聞いて 」「はいはい、聞いてるわよ・・」
とお母さんは返事をしたものの背中を向けて洗い物
「もう、ちゃんと聞いててよー (お母さんったら、返事ばっかり・・)」
と子供は寂しい気持ちになって――
この2人のやり取りが上手くいかなかったのは、返事をしたお母さんの言葉が悪かったというわけではないんです。
それは、「心のあり様」が関係しているのです。
写真はこちらからお借りしました
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るいネット「言い方」の問題?いいえ、その「心のあり様」が問題です。 からの引用
お客さんとの電話対応等で、本来ならクレームにならないやりとりなのに、なぜかクレームになる。
本人は、いたって普通に対応しているつもりなのに、(相手に不快な感じを与え)人間関係がギクシャクしていくetcという人、周りにいませんか?
こういった場合、大抵は「あの言い方がまずかった」etcの総括がされますが、それは違うんです。
「言い方」の問題ではなく、その人の「心のあり様」が問題なんです。共認動物である人類は、言葉になってない(言葉として発せられていない)想いを感じとっています。(実はこれで感じる部分が大半を占めていて、言葉って補助でしかないかも。)
だから、「あ~この人嫌だな。この対応面倒くさいなあ。」って相手を否定視してたら、全てそれが伝わっていきます。(言葉(上辺)で、いくらキレイごとを並べていても(><))だから、根本からこの問題を解決していくには、心あり様を、「否定」から「肯定」に転換してくしかありません。
人類には、46億年の進化で塗り重ねてきた潜在思念(or内部意識)があります。そこには、「全ての存在にたいする肯定感」、「感謝の心」が備わっています。
それらを蓋している観念を取っ払って、どれだけ潜在思念(or内部意識)を生起させることができるのか?
これが、解決への根本の道のりです。
普段の生活の中でのコミュニケーションだけでなく、何か現実の課題を解決するときも「否定から肯定」へ転換が必要になります
それには、余計な観念を使って頭で考えていてはだめで、実際に充足体験を積むことで肯定的に捉えられるようになるのです。
そのための事例をいくつか紹介します
子供は文章力のなさや語彙の少なさから言いたいことがうまく伝えられずかんしゃくを起こすことも多々ありますが、「ちゃんと話しなさい」と否定すれば伝えたい気持ちがしぼんでしまいます。
伝えようとしてくれたことを喜んで、代弁してやり(子供をじっくりみつめていないとなかなか代弁できない)次からこう言えば伝わるよと導いていけば『うまく言えなかったこと』も次は『うまく言えた!』充足体験に変わります。言葉に限らず育児書にある発達の目安やまわりの子供と比べて遅いとつい心配してしまいますが、生まれてたった数年しかたっていない子供の“できないこと”に目を向けてイライラしたり不安になったりするよりも、ひとつひとつの小さな“できたこと”をともに喜び合って、子供の『もっとできるようになりたい!』という欠乏を充足に変えていきたいです。
観念機能は、充足するためにある。より引用
否定的になっている部分、そこを注視していくことが必要なんだろう。うまくいかないなら何がダメなのか、何でダメなのか、それがわかればこれからどうしていけばいいのかと、問題を注視して考えつづければ、必然的に問題は具体的になっていく。そうやってどんどん考えていき、本質をつかんでいこうとすれば、単なる「うまくいかない」から「こうすればいい」と、結果的に問題を肯定的に捉える視点にまで行き着く。それこそ、肯定視なのではないか。「肯定視しなくちゃ!」と考えてしまうと、やっぱりズレる感じ。うまくいかないことに対して、その問題を見続けることが肯定視の原点なんだと思う。
肯定視再考 より引用
投稿者 mame : 2010年07月31日 TweetList
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