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2010年01月30日

官僚は優秀ではなく、運が良かっただけ

kensatu01.jpg最近は連日のように小沢政治資金問題関連の報道を目にします。

しかし、日々捜査側に都合良く、あからさまに流されるリーク情報や、国会での野党の追及の様子を見ていると、小沢問題以上に、検察の私怨とも思えるような捜査の強引さや、政治家の国会での子供じみた質疑応答の方が目に付き、危惧を覚えます。 

政治家には選挙の当落があるが、それが無い官僚には一応優秀な人達が選ばれてなっているはず。或いは、日本の官僚は優秀だと聞くから、国もそこそこには運営されるだろう、といったいい加減な思い込みは、早々に塗り替える必要がありそうです。

そもそも官僚は本当に優秀なのか?優秀とは一体どういう事なのか?

今回は、そのあたりについて書かれている、るいネットの秀作記事を紹介します。
 
写真:全国ロケ地ガイド:ドラマ・映画・特撮の撮影場所案内から引用                                       

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るいネット:『官僚は優秀ではなく、運が良かっただけ その2』より引用

その1に続き、川村渇真氏の「知性の泉」から、官僚とは元々優秀でもなんでもない、運がよかっただけ、という記事を紹介します。

(引用続き)リンク

学校の勉強ができても能力が高いとは言えない 

edc0901171042002-p6.jpg 目標の明らかな問題とは、別な言い方をするなら、正解の存在する問題である。これこそ、日本の学校教育が何年もかけて教えている内容に等しい。つまり、学校の勉強ができることは、目標の明らかな問題を解決するのに適しているわけだ。
 東大は、日本の学校教育の頂点である。その意味で、正解の存在する問題を解くのには最適な人材を数多く輩出している。日本の官僚には東大卒の比率が高く、高度成長の時代には、このような人材が適していたのであり、だからこそ成功したのだ。
 ところが、時代は大きく変わった。目標が明らかでない問題を解決する能力が求められる時代にだ。この種の問題は、正解の存在しない問題であり、学校の勉強とは根本的に異なるだけでなく、何十倍も何百倍も難しい。それを解決するためには、本当に優秀な能力が求められる。ハッキリ言うなら、学校の勉強が得意であっても、問題解決能力の高さには関係ない。
 おかしなことだが、世の中の多くの人は、学校の勉強ができれば優秀だと思っている。これは大きな誤解である。正解の存在する問題をどんなに解けたとしても、正解のない問題を解く能力とは関係ない。正解のない問題を解く能力には、創造的な能力が大きく関係するからだ。東大卒は、「学校の勉強ができる」のであって、問題解決能力が高いこととは関係ない。その点を理解しておく必要がある。
 極度に優秀な人材は、学校の勉強の無意味さに、早い時期から気付く。そうなると「アホらしくて、やってられない」と思い、熱心には勉強しない。価値のない勉強を何年も続けるのは大きな苦痛だからだ。学校の勉強は暗記が求められるので、ある程度の時間をかけて勉強しなければ、成績が上がらない。その結果、極度に優秀な人材は成績が伸びず、東大には入れない。逆に、そこそこの優秀さなら、将来のためだと我慢して勉強することができる。これも現実の面白いところだ。
 もう1つ重要な点は、大学入試までの時間の使い方である。暗記中心の勉強ばかり続けると、創造的能力が伸びないばかりか、創造的に考える癖が消えてしまう。結果として、創造的能力が、何もしない場合よりも低下する。俗に言う「頭が固い」状態になるのだ。

本当の能力は現実の社会で身に付く

 学校で頭が固くなったとしても、社会に出てから様々なことを経験し、創造的に考える癖を取り戻せれば、優秀な人材になれる可能性がある。もちろん、創造的な能力が本来高い人材に限られるが。そんな人は、学校の勉強によって低下した能力を、社会に出て取り戻していることに等しい。冷静に見つめれば無駄な遠回りだが、現在の学校教育が変わりそうもないので、回避するのは難しい。
 
 ここで問題となるのは、どれだけ復帰できるかだ。復帰する程度は、社会に出てから入った組織の体質によって大きな差がある。実力主義で仕事を任され、失敗したら責任を取らされる組織ほど、創造的な能力は高まる。この種の組織では、仕事の範囲は明確であり、情報の公開度も高い。こんな組織に入って、責任ある仕事を任され、修羅場などを何度か経験することで、真の実力が身に付く。高い能力は、社会へ出てから身に付くものなのだ。
 それと逆の組織では、年功序列、集団主義、密室での意思決定、責任範囲が不明確、失敗しても責任を取らないなどの特徴を持つ。この種の組織に入ったら、創造的な能力は伸びない。伸びている人との差は、どんどんと開く。こんな特徴を持つのは安定した組織に多く、官僚の属する役所が代表的な例だ。

(後略)

写真:産経ニュースより引用

 紹介記事の中の引用記事が書かれて12年。その間に経済危機も起こり、既存の枠組では対応できない状況が一層進んで、日々の生活の中で様々な問題が社会構造の問題として顕在化しています。

前述の引用記事では、社会を統合する役割を担う官僚などが、問いも答えもある学校の勉強ばかりを頑張った「固い頭」のまま、入れば無圧力な組織の中、与えられた既存の枠組に留まった思考で無能化していることが明らかにされています。

一般の人々も近年の政治家や官僚の体たらくから、その無能さは実感し始めています。現実の圧力を受けている誰もが、現代はどんな時代なのか、次代はどこに可能性があるのかを既存の枠組に囚われずに考え、捉えなおし、可能性に向って新しい仕組みを創り出す事が急がれます。 

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投稿者 willow : 2010年01月30日 List   

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コメント

無能になってしまう教育が、よいとされてしまっている社会に危機感を覚えました!

ここから脱却するためには、気付いた人から
みんなで“どこに可能性があり、どうすれば実現できるのか?”を考えていくことが必要ですね!

気付かせて下さって、ありがとうございます!

投稿者 ☆tink☆ : 2010年2月3日 19:28

官僚は数値、データ上大変優秀だと思います
しかし官僚にはデータではあらわせない
不得意な分野があるようにおもいます、
それを補うための人材がいない為
今のような状態になっているのではないでしょうか

同質の優秀な人材の中にいるとそれが当然のように思い
同じ価値観、優越感などがあるのかもしれません。
しかしそういうことはサークルや部活のような域を
脱してないのではないでしょうか?

職種により多少偏りはあるもののいろいろな人材を
揃えることで間違いを正したり気付かなかったことに
気付けるのではないでしょうか

投稿者 小走 : 2010年2月9日 17:01

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