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2009年12月29日

子育てを家庭に任せてはおけない!-4~@本来どうあるべき?子育って、なに?(1)

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みなさん、こんにちは。子育てを家庭に任せておけない!第4弾です!!

ここで改めて、問題意識の整理を行います。
プロローグ~@人類滅亡に繋がる精神破壊の元凶~では、

市場拡大によって職場と家庭が分断され、かつ家庭が絶対不可侵の聖域となった(例えば、よく「企業が悪い」「学校が悪い」と糾弾されるが、「家庭が悪い」と糾弾されることは殆どない)ことによって、家庭には何の圧力も働かなくなり、その結果、家庭は子供を教育する資質をほぼ全面的に喪ってしまった。

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サラリーマン家庭が孕む教育不能という問題の深刻さは、当分の間は、まだ農家育ちの祖父母や両親が居たお陰で、顕在化してこなかった。しかし、農村から都市への大移動がほぼ終わった’70年以降、その致命的な欠陥が徐々に露呈され始め、とりわけ老人と共に農家時代の諸規範が家庭から消え去った’90年以降、若者たちの間に心の欠陥児が急増し、子供の精神破壊が恐ろしいスピードで進行中である。

『実現論:序文 ロ.肉体破壊・精神破壊と市場の拡大停止』

ということから、職場と家庭の分断により、「家庭は子供を教育する資質をほぼ全面的に喪ってしまった。」こと、そればかりか、「若者たちの間に心の欠陥児が急増し、子供の精神破壊が恐ろしいスピードで進行中」であり、この精神破壊こそ、人類滅亡に繋がる最も恐ろしい社会的な問題である。という提起を行いました。

その後、第1弾:『そもそも精神破壊って何?』では、精神破壊とは何も特殊な環境だけでなく、普通の人にも起こりうる、身近にある問題であることをおさえました。

第2弾:『共同体では、子供はみんなで育てる』では、このような精神破壊とは無縁で、子供が健全に育っていた村落共同体はどんなものであったかお伝えしました。

そして、第3弾:『闘争と生殖の場の分断がなんで問題なの?なんで分断されたの?』では、闘争と生殖、つまり職場と家庭の分断がなんで問題なのかということと、分断された原因を押え、現在の家庭では到底この精神破壊という問題は解決できない構造的な欠陥を孕んでいることを押えました。

因みに、この第3弾ではるいネットのトラックバックでな、なんと!!秀作 :shock: になり⇒リンク、現在るいネットの表紙でも紹介されています。

今回:第4段では、『本来どうあるべき?子育って、なに?』と題して、社会的な問題として、現在の家庭には子育てを任せてはおけない!という事実に基づき、「本来はどうあるべきか?」という子育ての本質に迫ってみたいと思います。

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『本来どうあるべき?子育って、なに?』、この問いに対しては、すでに前回扱った『闘争と生殖の場の分断がなんで問題なの?なんで分断されたの?』の中で紹介した事例からも伺われるように、嘗ての共同体の中にそのヒントがあります。「闘争と生殖を包摂した全的な集団」としての共同体の特徴を押えておきます。

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①生産課題=集団課題と個人の課題がイコールで結ばれる→目的意識の形成
②常に外圧=自然圧力やみんなの期待を対象化する→同化能力が高まる
③規範がしっかりと根付く→安心基盤となる
④子供の教育は、「生産者として育てていく」という意識で貫徹されている→課題共認△
⑤学び⇒成長することが、集団みんなのためになる→活力源
⑥出産⇒子育て課題は集団みんなの期待課題となる→出産⇒子育てが充足課題

ざっと挙げただけでも、これだけの効用が期待できます。
これらのことからも、本来の子育てとは“共同体の中で行われる”ということを固定し、そこで行われる子育てのあり方を紹介していきます。

その前に、そうはいっても、現在の結婚制度は今でも人々の間に強力に根付いており、当然、「血は水よりも濃い」など親子関係が何よりも大切と思われている方々はとても多いのも事実です。
また、「共同体での子育て」といっても、今一つリアリティに欠けるということもあります。
そこで、ちょっと長いですが、以下の記事を読んでみてください。

生物にはもともと親子関係など存在しなかったのです。例えば単細胞生物は、どんどん分裂して新個体が環境の中へと拡散してゆくだけです(彼らは互いに仲間であることを認識する機能は持っていますが、親子であることを認識する機能など、持っていません)。それは魚類や両生類でも同じです。つまり新個体は放っておけば新世界(環境)へと泳ぎ出してゆくのが、当然なのです。なぜなら、それこそが生命の根本的な適応原理たる個体(同類他者)の多様化原理に適った在り方(補:同類他者の変異が多様なほど、種としての適応が有利)だからです。

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従って、「放逐」や「移籍」の理由が必要なのではなく、もし親子が一緒に居るとしたらその「同棲」の理由こそが必要なのです。実際、生命体が複雑化≒高度化してゆくにつれて、保育の必要が高まってゆき、親に保育本能がセットされてゆきます。この保育本能が親子をつなぎ留める訳ですが、この本能は保育必要期のみ作動する時限本能であり、保育本能が作動しなくなれば、新個体がさっさと新世界へ出てゆくという基本形は変わりません。

それに対して胎内保育機能を形成した哺乳類は、産後保育の強化(保育本能の強化)と性闘争本能の強化によって、環境(主に種間)適応度を上昇させてゆきますが、原モグラの場合、成体になると保育本能<性闘争本能に成る事によって、子(娘も息子も)は放逐されます。しかし、その後哺乳類は胎内保育機能を源流とする親和本能を発達させてゆきます。そうなると、親和本能によって子がそのまま居残ることになり、それでは多様化という適応原理が損われるので、巣離れor親離れ本能がセットされたと考えられます。

親和本能の発達した哺乳類の場合(雌雄分化に基く内雌外雄の集団編成も相まって)、雄の性闘争本能は強化されてゆきますが、雌の性闘争本能は衰弱してゆきます。その結果、若雄では巣離れ本能+性闘争本能>親和本能となって若雄は群れから出てゆく事になります。他方、若雌は巣離れ本能+性闘争本能≦親和本能となると共に、首雄の性的期待も相まって群れに残り、かくして娘残留の母系集団が形成されることに成る訳です。(なお、真猿も親和本能を更に発達させた哺乳類であり、一般には娘残留の母系集団を形成しています。また、首雄=父と娘の間には親子の認識は在りません。

『もともと、生物には親子関係など無かった』

生物の長い歴史を見ると、少なくとも真猿集団までは、親子関係などなかったという事実です。では、人間は?というと、このシリーズの第2弾で紹介した

日本の農村の半分以上は親類のことをオヤコと呼んでいた。オヤコやイトコのコは家の子のコである。家の子は労働単位であり、これを指揮するのがオヤであった。そのオヤは共同体の作業の頭であった。本物の親よりも長男のことをオヤカタと呼ぶ方言が広く知られているが、それは総領が労働の頭としての機能をもつ名残りであった。親類をオヤコと呼ぶのは、労働のための共同体が今日よりはるかに強大であったことを示している。現在のように家族の父母に限ってオヤと呼ぶことは、かなり新しい現象である。

『オヤとコ(柳田民俗学から)』
のように、明治時代、地域によっては戦後というつい最近の農村の事例のように、親子関係は希薄、というより多様なものだったということがわかります。

現代社会ではよく、家族第一ということはごく当たり前、或いは、友達親子や子育てパパなど、子離れ⇔親離れできない親子が多く見受けられ、それが好ましいこと、人間の本質のように伝えられていますが、生物の摂理や人間の本質からすると、それは異常なこととも言えるのです。そのように、家族収束させているのは、実は、本来の人間関係の充足が得られないが為の、或いは、社会不安故の歪な安定⇒収束構造にあるのです。

次回は、やっと本題の子育ての中味に入りたいと思います。

投稿者 sashow : 2009年12月29日 List   

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コメント

「闘争と生殖を包摂した全的な集団」としての共同体の特徴①~⑥を読んですごくイメージが湧きました☆
まとめてくださtってありがとうございます♪

>従って、「放逐」や「移籍」の理由が必要なのではなく、もし親子が一緒に居るとしたらその「同棲」の理由こそが必要なのです。<

これも、なるほど~とうなっちゃいました。
現代の家庭の姿ありきで考えてくると、ゆきづまってしまいますね。

そのために、事実はどう?ほんとにそう?って考えていくことって大切だな~と改めて思いました☆

投稿者 マリー : 2009年12月30日 17:24

>家族収束させているのは、…社会不安故の歪な安定⇒収束構造

言い得て妙ですね。でもきっと、一過性のものなのなんでしょうね。

家族は、社会の中にある集団。その社会が「不安」な状態のままで、家族が安定し続けられる…。なんて事は、考えられないですよね。今の家族形態は、今までの私権社会の中ではうまくいく形態だった。単に、そういうことかな?とも感じます。

今や私権社会→共認社会への大転換期。社会の構造が変わるのと同時に、家族の有り様も変わっていくのだと思います。そして、子育ての有り様も…。

投稿者 hajime : 2010年1月4日 14:30

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