子育てを家庭に任せてはおけない!-3~@闘争と生殖の場の分断がなんで問題なの?なんで分断されたの? |
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2009年12月24日
「いい女って、何?いい男って、何?」~女の共認域からの期待発信は、男の共認域を広げる
男の子と女の子が協力して活き活きと野菜販売
画像はこちらからお借りしました
「結婚は個人の自由だからしなくても良い」・・・・・・・・・・・・・・70.0%
「結婚しても相手に満足できないときは離婚すればよい」・・・50.1%
「結婚しても必ずしも子供を持つ必要はない」・・・・・・・・・・・・42.8%
(男性38.7、女性46.5、持つ必要がある・・・52.9%)
これは、最近内閣府が全国の成人5000人に行なった調査結果ですが、特に20~30代の若い世代において、従来の男女関係や結婚制度がもはや十分機能しておらず、大きな転換点を迎えていることをはっきりと示していると思います。
そこで、今回以降は、前回までの「いい女って何?」「いい男って何?」からの流れを引き継ぎつつ、これからの男女の役割はどのように変化していくのか?新たな男女共認再生の可能性はどこにあるのか?について考えてみたいと思います。
いつも応援ありがとうございます 😀
まずは、 「るいネット」 より・・・
女の共認域からの期待発信は、男の闘争共認域を広げる
考えてみれば、女だっておしゃべり(発信)ができるのも受け止めてくれる女の共認域の安心感があるからだろう。
そして、みんな課題を何であれ発信すれば男が受け止めて答えを追及してくれるという安心基盤を感じているからだろう。つまり、「応望してくれる存在」に対する安心感。
では、男が発信できないのは?
やはり、男は答えを出さないと発信できないところがあるのではないだろうか。
つまり、女と同じように男もみんな頭には残っているが、答を出せないと発信できないから発信力が低下する。しかし考えてみれば(経験的にも)、課題圧力が高まれば、答えを出せてないからという意識は消え、答えを出すために発信していく(まっすぐに答えを追及する)。
つまり、相手の期待(→課題圧力)を感じるのが薄いから、答えを追及するのも薄くなるし、発信するのも弱くなるのではないか。
だとしたら、女と逆の発想で、 「期待してくれている存在」に対する安心感が不可欠で、今はそこが弱いのではないか。
>男の人には別の場や手段が必要なのか。
そもそも、場はあるけど発信できない何かがあるのか。
それとも、これこそ女の出番なのか。>(同)だとしたら、『潜在思念豊かな女からの期待』が強まれば、男の課題圧力も高まり、発信も高まる。
★女の期待発の発信が男の活力源であり、男の共認域を広げる
昔は闘争場面に女は不要だという規範らしきものがあったが、それは旧く、私権原理が衰弱し共認原理に転換した現代ではまったく通用しない。
今や闘争場面の状況認識や課題共認そして評価(圧力)においても、潜在思念豊かな女たちは強力な羅針盤である。
★今、男が潜在思念で期待していることは、
『いい女たちの共認域からの期待発信(共認圧力)』
(女の出番です!)
これは、私権原理の時代と共認原理の社会では、男女の役割共認の在り様が既に大きく転換していることを意味していると思います。
■私権原理の時代
・“闘争”や“仕事”と言えば、私権闘争=身分やお金の獲得闘争と決まっており、基本的に男の世界。(よって、「闘争場面に女は不要」「男は答えを出さないと発信できない」)
ここでは、「自分以外は敵」の熾烈な争いが展開されるが、一緒に闘う男同士の間など、一部には課題共認や役割共認や、それらに伴う共認充足も存在しただろう。
・しかし、女との関係はと言えば、「私権(男)と性(女)の取引関係」であり、自分発の独占契約関係ゆえに充足感は乏しかった。
■共認原理の時代
・共認原理の社会は、 「人々の意識こそが現実(外圧)」であり、それゆえ日々移り変わる現実を捉える上でも、方針や答えを評価する上でも、いい女の“潜在思念”は不可欠となる。(=羅針盤)
・また、共認原理の社会では、みんなの期待こそが圧力源=活力源=充足源。
⇒これらの結果、女達の(共認域発の)期待圧力を受けて、男達がそれに応える形で闘争共認域が形成される。
⇒そして、闘争の結果導き出された「答え」を羅針盤たる女達が行なう・・・つまり、“闘争”“仕事”は、男女の協働作業となる。
⇒女達は「応望してくれる存在」に対する安心感を、男達は「期待してくれる存在」に対する安心感を拠り所とする。
「結婚は個人の自由だからしなくても良い」「結婚しても相手に満足できないときは離婚すればよい」「結婚しても必ずしも子供を持つ必要はない」・・・こういった「自分」を基点とする感覚から脱却し、互いの期待を意識し受け止めていくことが、新たな男女役割共認再生の第一歩となるのではないかと思います。
次回は、再び『実現論』を紐解きつつ、より本質的に男女の役割について追求してみたいと思います。
<参考投稿>
闘争場面での女の役割①~どれだけ充足を“相手に伝わるように”表現できるか?~
投稿者 kota : 2009年12月24日 TweetList
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