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2009年11月03日
経済破局間近・・・家庭という枠組を超えた問題をどう突破する!?‐5~企業私権の衰弱(1995年)と家族私権の時代(1995~2003年or2008年)
みなさんこんにちは
待ってました!!シリーズ第5弾は、家庭についての研究を進めている、かがのん博士 🙂 とみゆこ助手 が企業私権の衰弱から家庭私権の時代への流れを対話形式でご説明していきたいと思います
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🙂 さっそくだが、みゆこ君、前回の内容は覚えてるかい?
うーーんと…☆ ビンボーだった日本が、経済成長によって生活が豊かになって~☆ そうすると外国に対する対抗心みたいなものが無くなっちゃったって話でしたよね?? えっと、それで~…☆ 豊かになっちゃたら、みんなそこまで物が欲しいとか思わないし、物が売れないから今度は企業間で対抗心を燃やすようになるんでしたよね??
😉 おっ☆いいねぇ~~みゆこ君 素晴らしい
前回は、遊牧民族起源の「集団自我」が→国家私権→企業私権と推移していく様子を見てきたね。その中で「相対意識」という概念が提起されたが、今回も引き続き、10/18「なんでや劇場」で提起された「国家私権」→「企業私権」→「家族私権」と、その「相対意識」という概念が鍵となってくるんだ。
みゆこ君のいう「対抗心みたいなもの」って「相対意識」のことなんだね。
😛 よし、みゆこ君! 今回の企業私権の衰弱に話を進める前に、どのように企業私権に突入したのかを復習しておこう!!
は~~~ぃ
国家私権は、貧困が消滅し、同時に日本が世界第2位の経済大国(1968年)となり欧米に肩を並べたころから衰弱していきます。実際、自家用車、家電を手にいれ、紛いなりにも目標であったアメリカンライフを実現したわけですから、(欧米を意識→)国家私権は衰弱して当然です。国のこと、社会のことは意識から薄れていきます。(学生運動も衰退、自分の就職先が関心事へ。)
一方、この時期1970年頃は、貧困の消滅→序列規範の衰弱が、新しい私権闘争の可能性を開いた時期でもありました。加えて、貧困の消滅→モノが売れず一段と企業競争が激化して企業間の「相対意識(競争意識)」が上昇した時期でもあり、両者が相まって国家私権に変わって、「企業私権」の時代となりました。(引用-経済破局間近・・・家庭という枠組を超えた問題をどう突破する!?-4~国家私権の時代(明治~1970年)とは何か?、企業私権の時代(1970~1995年)とは何か?-)
🙂 企業私権の時代は、一般の人達は、「心の豊かさ」を求めて、アフターファイブや余暇の過し方を「いかに楽しく≒人間らしく」過すかに 一生懸命になっていた時代なんだ。働く目的は「遊ぶ」ためのお金を稼ぐこと、そして遊ぶ時間をしっかりと確保すること。そのため、 給料が高く、福利厚生がしっかりしている大企業志向が高まった時代なんだ。
え~~ 遊びのために働くんですか …なんだか、仕事が片手間になりそう
😮そういう側面も確かにあるが、高い給与をもらうためには、出世しなければならず、そのためには会社側から認められないとだめなので、仕事も頑張ってる人はまだまだ多かったんだ。それら企業と庶民の思惑が一致し、利益優先の企業私権の意識に大きくシフトしていったんだね。企業の利益第一主義の時代だったんだ。
はっ そういうことか 庶民も、より豊かな生活のために、いい企業で働いてお金が欲しいし、利益優先だったんですね
😛 そう、それが高じて、いかに楽して儲けるか という志向へ向い、その象徴がバブルだったんだ。ほとんどの企業が値上りし続ける土地 を買い漁り、開発や転売で得た利益を積上げていった。 庶民も、余った時間とお金を旅行や遊びに使っていったんだね。海外旅行ブームやレジャーランド、ジュリアナフィーバーなど記憶に 新しいところです。
へぇ~~~~ 私は生まれたばっかりだったので、その時代のことは、はっきりとはわかりませんが、なんだかお祭り騒ぎのような感じだったんですねぇ~~☆
😀 よし みゆこ君、それでは本題に入るとしよう
企業私権の衰弱、そして家族私権の時代について追求していこう!!
はいっ かがのん博士っっ
応援宜しくお願いします ポチっ
企業私権の衰弱
🙂 まず、企業私権がどのように衰退していったか見てみよう。
さっきの復習で、
貧困の消滅→モノが売れない→工業生産から意識生産へ大転換→企業間の相対意識の上昇によって、企業私権が強まっていった、と説明したね。
しかし、‘90年にバブルが崩壊すると状況は一変してしまったんだ 。
多くの企業が倒産、合併、統廃合に追い込まれ、各企業の存続が危ぶまれる状態 となっていったんだ。
そうなると、企業はどうなると思う
おそらく企業内では「他社よりも高い売り上げを 😈 」 なんてことよりも生き残りをかけて「なんとか今月の売り上げを確保しろ 」 というように他の企業のことなんて考えてられない状況になっていったんじゃないかな。
確かに… 自分の会社がヤバかったら、更なる利益を とか言ってられないです 生き残っていくためならより多くの利益を得るために争って「競争」するんじゃなくてみんなで「協力」するかも…。
😮 また山一證券の倒産をはじめ、大企業ならば安心という意識も薄れ、どこも大変という意識になってきたんだ。 つまり、企業間の相対意識(競争意識)が低下 してきたということだね。
なるほど~~~
:confused: こんな風にさ、「会社のために」と必死 で頑張ってきたのに、自社がなくなってしまったり、なくならないまでも、十分な賃金が得られない っていう事態が生じたら、みゆこ君ならどうする
え~~~。せっかく頑張ってきたのに会社がつぶれちゃったりするんですか
そんなことならもう最初っから、いつ潰れるかも分からないなら、「短期間働けるならいいや 」とか☆「もし潰れそうになったらすぐ転職しちゃお 」って思うと思います。
🙂 そうだよね。そんな風にみんな、企業には頼っていられなくなり、企業に対する依存意識も低下 していったんだ。
結果、小泉政治の改正労働者派遣法の影響もあったと思うけど、正規社員ではない派遣社員やフリーターが増加 していくことになったんだ。
こうした企業間の相対意識の低下と企業に対する依存意識の低下から、企業私権がどんどん衰弱していったんだ。
なっ なるほど~~~ 企業私権衰弱の原因はやっぱり「企業間の相対意識の低下」にあったんですね スッキリ~
かがのん博士すごぃです~~~~~~~
:tikara: :nihi:
よし みゆこ君、次は家庭私権の時代を見ていこう
家族私権時代への突入
🙂 こうしてバブル崩壊を契機に企業私権が衰弱していくと、庶民は、私権崩壊の危機の予感(るいネット 潮流6:’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束)から、みんなが収束不全に陥り、安定志向⇒秩序収束⇒制度収束を強めていったんだ。また企業がバタバタと倒産していく中、生活防衛を考え、目先収束したのが最小集団である家族だったというわけなんだ。
それってつまり…
企業が倒産していくっていう危機の中で、安定や、生活防衛を考えるとき、一番身近な「家族」に向かっていったということなんですね
:confused: 一方、1998年頃から「格差社会 」という言葉がマスコミを通じて報道されるようになってきた。当時、貧困の消滅により、「一億総中流」と呼ばれるようになって、「みんな一緒」という横並び意識がみんなの頭の中にあった。
そんな状況下で「格差社会」という言葉を聞いた人々は、「負け組みにはなりたくない 」、「あわよくば勝ち組に… 8) 」という気持ちへと変わっていったのは想像できるね。
ゆとり教育によって教育水準が低下した公立学校よりも私立学校に子供を通わそうと、小学受験 をさせたり…。「○○さんとこのお子さん塾に通わしてるんだって」「じゃあうちの子も通わそうかしら」なんて会話も沢山あっただろうね。
こうやって、弱いながらも家族間の相対意識が上昇 していったんだ。
その結果、今まで家庭を顧みず、仕事第一で働いてきた父親が、 家庭の唯一の課題である子育てに熱心に取り組むようになり、教育パパが登場したんだ。
こうしてついに時代は家族私権へと突入していった。
博士!そういえば私も幼稚園の頃からいっぱい習い事してたかも~~
親が将来のためにって…☆ お父さんも熱心に私の勉強 教えてくれたりしたなぁ…。それって、家族間の相対意識の高まりによるものだったんですね
でも確かに、 テレビや新聞で「格差社会」の貧困層とよばれている人の特集なんかされたりしちゃうと、見てる方はみんな不安 になっちゃいますよ。自分の子がこんな風にならないように… って思うのは自然ですね…
😀 みゆこ君、ごらん☆
今話してきた内容をわかりやすく図解化してみたよ (るいネット 企業私権の衰弱から家族私権の高まりまで【図解】95年以降)
かがのん博士 この図解すごぃです~~~~~~
博士やっぱり天才~~
:tikara: 😉
余談なんだがね、貧困が消滅し、「勝ち組」になる必要はないのに、人々に「ちょっとでも上に…」と思わせた「格差社会」騒動は、偽ニッチによる市場拡大の画策とも考えられるんだ。
(るいネット 格差社会は市場原理にとって理想の社会)
えっ 市場拡大の画策 つまり、私たち庶民が利益追求に向かうように仕向けて、市場を拡大しようとした…ってこと
え~~~~~っ
庶民に「格差社会」イメージを植え付けたのには、そういう意図があったの~~ 知らなかった~~~ すごくショッキングです~~
家族私権の衰弱
🙂 しかしね、財政危機・環境危機・教育危機を背景とした‘03年「もったいない」 (るいネット「もったいない」は本源的な価値を再生させていく言葉) 、市場経済に崩壊による‘08年「節約」にみられるように、家族が消費しないようになってきたんだ。
必要か否かの判断で物を買うようになり、他の家族に対する見栄を張らないようになったんだ。
このように家族間の相対意識が低下し、家族私権が衰弱しつつあるのが今の現状なんだ。更には「教育費だけは削らない」と、教育に熱心だった親も、「必要最低限の教育を子供に受けさせておけばいい」と、教育熱さえも冷めつつあるんだ。
えぇっ! そうなんですか~!!
でも、子育てという課題もなくなって、消費もしなくなったら、家族でいる理由みたいなものがなくなってしまいますね。
😉 そうなんだよ、みゆこ君。じゃぁ一体家庭はどうなるんだと思う
えぇっ うーん…
わかりません 一体家庭はどうなっちゃうんですか 教えてください博士~
😉 ふふふ 気になってるみたいだね、みゆこ君。
さて、教育に熱心でなくなった親達は、さらに、子育てを放棄しつつあります。家庭唯一の子育てという課題がなくなってしまった家庭は一体全体どうなってしまうのか
それは次回のお楽しみ~~~~~ :nihi:
えぇ~~~~~ っ そんなぁっ 気になる~~~~ っ
😀 ではでは、みなさん☆気になる続きは、また来週の第6弾で…
投稿者 kaganon : 2009年11月03日 TweetList
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コメント
投稿者 tukkomi&boke
るいネットにこんな記事があります。
最近は、父親の子育て参加なんかが、マスコミでももてはやされ、子育て参加しない父親は、何か時代遅れのような雰囲気すら、感じられてしまいます。
しかし、これからは変っていくでしょう。この間顕在化してきている、様々な危機。これからは、家族自体存続の危機になっていく可能性もあります。そこでは、子育てに参加する父親ではなく、家庭を守ることの出来る父親へ。きっと、父親への期待も、変わってくるのだと思います。
投稿者 hajime
かがのん博士&みゆこ助手、すごい分かりやすいです☆
かがのん博士の鋭い解説と、みゆこ助手の実感が重なって、すんごく状況がイメージできました!!!
当時の人たちの気持ちになって、こういう状況だったら、確かにこうなる!って思いながら、読んじゃいました☆
そして、自覚は、なかったけど、マスコミの「格差社会」って言葉に、みんなが踊らされてきたんだと、危機感を感じました。
唯一の課題がなくなってしまったら家庭はどうなる・・・?
めちゃくちゃ気になります!
投稿者 たてこ
すごく面白い記事でいいですね!!
ちなみに新聞にも紹介されていたのですが、教育格差が顕著になっいているデータの報告がありました。
●習い事をしている子どもの割合
父母とも大卒の場合が特に高い
親の年収が800万円以上の子どもは約8割がスポーツをしている
親の年収が200万円未満では約4割。
●子ども1人当たりの教育費
≪世帯年収割合≫
400万~600万円未満が3割、
600万~800万円未満が2割、
800万円以上が2割。
≪平均月額教育費≫
小学生:平均月額2万7100円、
中学生:平均月額3万9800円、
高校生:平均月額4万6800円、
学校が上がるにつれて増える傾向。
また高校では、教育費が1カ月1万~4万円の家庭が全体の約43%
5万円以上の家庭も4割近くあり、10万円以上の家庭が14%
世帯によるばらつきが大きくなる。
≪学校の授業料以外のクラブ活動や習い事、学習にかける費用≫
家庭の収入によって大きな差がある。
年収400万円未満:平均月額8700円
年収800万円以上:平均月額2万6700円
と約3倍の差。
また、
年収400万円未満で
スポーツの習い事をしている子ども:47%
芸術系の習い事をしている子ども :24%
年収800万円以上
スポーツの習い事をしている子ども:65%
芸術系の習い事をしている子ども :41%
と、収入が高い家庭の方が習い事をしている割合も高い。
習い事について親は経済的負担を感じており、年収800万円以上の家庭でも約半数が「費用の負担が重い」と答えている。
投稿者 さみだれスカンク
博士と助手の掛け合い・・・むっちゃ面白いですね!
ついつい、読み込んでしまう・・・・
しかも、中味が深い!!
次も気になります。どうなるんでしょう?