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2009年10月29日

どうする?!家庭と未来 ~私権闘争の終焉から本源集団の再生へ

●紹介1:1970年のTVCM:モーレツからビューティフルへ(富士ゼロックス)
1970(昭和45)年のTVCM:モーレツからビューティフルへ(富士ゼロックス)
1970(昭和45)年のTVCM:モーレツからビューティフルへ(富士ゼロックス)/70年は、テレビCMの表現に、大きな変化が見られた年。「モーレツ時代」のツケ、環境問題、公害問題、コンシューマリズム台頭等の世論と共に、「モーレツからビューティフル」が登場する。ヒッピー姿の若者(加藤和彦)が、ただ「ビューテイフル」と書かれたカードを手に、のんびりと街中を歩いていく。その画に合わせて、「ビューティフル~ビューティフル」と奇妙な節まわしの歌がくり返し歌われるだけという、実にシンプルで不思議感いっぱいのフィーリング型の表現。このCM、その風変わりさと、ヒッピーの登場や英語の「ビューティフル」という言葉の響き等、当時の若者達のファッション感覚を強烈に刺激し、世評をさらい、一躍流行語を産んだ。モーレツ時代を生き抜く為に忘れてしまっていた大切なもの「人間らしさ」「人間回復」を教えてくれたCMであった。時代の転換期が見事に表現されていたのである。「モーレツからビューティフルへ」、そしてその後。 – るいネット

大変ご好評をいただいております『どうする?!家庭と未来』実現論の紹介)シリーズの第5回目です

1.どうする?!家庭と未来~徹底した現実直視と事実の共認~
2.どうする?!家庭と未来~肉体破壊・精神破壊と市場の拡大停止~
3.どうする?!家庭と未来 ~人類はどこで道を誤ったのか?~
4.どうする?!家庭と未来 ~起点は、私婚⇒私権の共認と私権闘争~

今回は、私権時代いかにに、本源的な部分が失われてきたのか、再生するにはどうしたらいいのか?という認識をお届けいたします。

最近、企業側も不況だからといって、簡単に首切りの方向に向かうのではなく、収入減を農業などの別業種でまかなったりして、みんなで生き残って行く事を模索する(本源性を持った)企業が増えて来たという話も耳にしますが、まだまだ失業者が多いのが問題となっているのも実態です。何をするにもお金がかかる時代、私達のくらしの未来はどこにあるのでしょうか?

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実現論 序文 ホ.私権闘争の終焉から本源集団の再生へ

ホ.私権闘争の終焉から本源集団の再生へ    

だが、’70年、貧困が消滅してゆく(もちろん先進国の話である)につれて、私権の強制圧力が衰弱してゆく。それにつれて、私権は第一義的な価値ではなくなり、人々はこれ以上、私権を獲得するためにあくせく働こうとはしなくなる。こうして労働活力が急速に衰弱してゆき、企業は私権(地位やお金)によって、人々を統合することが出来なくなってきた。企業だけではない。私権の強制圧力が衰弱したことによって、これまで私権の獲得を最大のエネルギー源にしてきた人々の活力が全面的に衰弱し、国家も、企業も、個人も、およそ全ての存在がもはや自らを私権に収束させることによって統合することが出来なくなってきた。実際、受験も就職も結婚も(これらは全て私権の獲得課題であるが)どれもが既に生命力もリアリティーも失っており、ただ制度的強制だけが残った苦役となりつつある。こうして、個人も企業も国家も、全ての存在が目標を失い、フラフラと迷走し始めた。これは3千年に亙って社会を統合してきた私権原理が、終焉の時を迎えたことを意味する。そして私権原理が終焉の時を迎えたということは、失われた本源性が再生されてゆく大きな可能性が開かれたことを意味する。

 

●紹介2:1960~70年代前半のヒッピーは、否定発の反体制運動⇒自由幻想
ヒッピーファッション:60年代ファッション
Wikipedia:ヒッピー(英: Hippie)は、伝統・制度などの既成の価値観に縛られた社会生活を否定することを信条とし、また、自然への回帰を提唱する人々の総称。1960年代後半に、おもにアメリカの若者の間で生まれたムーブメントで、のちに世界中に広まった。 彼らは自然と愛と平和と芸術と自由を愛している。日本では、フーテンと呼称された時期もある。ヒッピーの登場~ヒッピーファッション~ヒッピーの終焉70年代、サイケ、シンナー、マリファナ、フーテン、ヒッピー、長髪、ゴーゴー、狂気、アリス、カタログ – Form(姿の記憶)マックを売りまくった「フリーセックス」ヒッピー・コミューン(上)(下)

●紹介3:’70年、豊かさの実現と充足志向⇒安定したサラリーマン生活
サザエさん:1969年10月5日放送~平均視聴率が20%前後という非常に高い部類に属する長寿番組
画像は、1969年10月5日放送~平均視聴率が20%前後という非常に高い部類に属する長寿番組『サザエさん』。放送初期は「トムとジェリー」を意識したドタバタ調のギャグアニメ(現代で言えば、ザ・シンプソンズの作風とも良く似ている)であり、それが当時の原作ファンから不評だったため、1975年頃に現在の様なホームドラマ路線に転換した。 – Wikipediaこれを読めば時代がわかる!最新版~潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向 (家庭を聖域にしてはいけない)~この闘争から充足への基底的な価値転換を受けて、’60年安保闘争、’69年全共闘運動と続いた否定発の反体制運動は、’70年以降一気に衰退してゆく。そして、彼らもまた、安定したサラリーマン生活の中へと埋没していった。金貸しは、国家を相手に金を貸す | 経済破局を突き抜けていく道標 ~潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向
   

人類は長い間、私権の強制圧力の中に閉じ込められてきた。本源集団の中で育まれてきたにも拘わらずその本源集団を失った人類は、自分たちの集団(ひいては社会)を自分たちの手で変革し統合してゆくという最も大きな活力源となる場を奪われ、ただ自分の私権の獲得(異性の獲得や、受験や、就職や、地位)に関わることしか考えずに生きてきた。しかも、私権闘争の世界は「自分以外は全て敵」とする世界であり、そこでは人々は心の底に強い警戒心を孕み、互いに本心を隠して生きるしかない。愛情も友情も全てがこの「隙あらば…」の世界では、見せかけだけのものと成ってしまう。要するに、人類の生命源ともいうべき、根源的な親和共認の充足も、仲間共認の充足も、集団を統合する課題共認や規範共認の充足も、全ては私権の強制圧力によって抑圧され、あるいは剥奪されてきた。その私権の強制圧力が衰弱した以上、それによって抑圧され、剥奪されてきた、本源的な共認充足が再生されてゆくのは当然である。事実、貧困が消滅した’70年以降、私権の強制圧力が衰弱してゆく過程は、人々が本源収束を強め、人類本来の本源充足が再生されてゆく過程だったのである。

 

●紹介4:本当に安定?~単身世帯の増加と孤独死~
1世帯当たり平均世帯人員数の推移(普通世帯) - 厚生白書(昭和46年版) 一般世帯数,一人暮らし世帯数及び1世帯当たり人員の推移 - 全国(昭和60年~平成17年)
左図:厚生白書(昭和46年版)1世帯当たり平均世帯人員数の推移(普通世帯)~第1回の国勢調査の行なわれた大正9年から昭和30年までは,50人を前後してほとんど変化しなかった。右図:統計局ホームページ/IV 変化する世帯の姿 全国(昭和60年~平成17年)~平成17年における一般世帯数を家族類型別にみると,「夫婦のみの世帯」は966万世帯(一般世帯数の20.0%),「夫婦と子供から成る世帯」は1464万世帯(同30.4%),「ひとり親と子供から成る世帯」は410万世帯(同8.5%),「その他の世帯」は650万世帯(同13.5%),「単独世帯」(一人暮らし世帯)は1333万世帯(同27.6%)となっている。「ひとり団地の一室」 – るいネット~2005年9月にNHKで放映され話題になった『ひとり団地の一室』という番組の再放送をみた。千葉県松戸市のニュータウンで孤独死があいついでいるという。大阪市でも孤独死は85年から三倍にも増えている。40代50代の働き盛りもふくまれるのである。一人世帯はこの5年で12%増え、高齢者は三割近く増加しており、一人世帯は三割に達している(統計局)。近所に付き合いや話相手もいない老人も増えており、まさにこの社会は「無縁社会」となろうとしているのである。孤独死って問題なの? (家庭を聖域にしてはいけない)~「仲間といっしょだから一人でも元気に生きて行ける。」「(死ぬまで)働けるという環境がある」…上記の島のような環境さえあれば、死ぬまでピンピン生きてコロリと往けるのです。…地域の仲間空間を奪い、生産の場を奪い、お金だけ渡して家の中に閉じ込めてしまったことが一番問題なのだと思います。

●紹介5:権力体の行き詰まり~若者の雇用問題~
フリーターとニート 正社員と非正社員
若年者の完全失業率の推移をみると、2004年では20代で7.5%、30~34歳で5.0%となっている。昭和57年(1982年)に50万人程だったフリーター数は、2003年に217万人にも達した。正社員の割合が減少する一方、非正社員の割合が増えている。雇用形態が安定している者とそうでない者の間には、所得に明確な差が出ている。

可能性は、既に開かれた。まずは生産体(企業)を、『自分たちで動かすことのできる共同体』に変えればいい。企業を権力体から共同体に変えるのは簡単で、企業を全員参加の合議制で運営すれば良いだけである。’70年、貧困が消滅した時点から既にその可能性が開かれていたことは、我々が実証してきた通りであり、(経験に即して云えば)企業を事実の共認によって統合された合議体に変革しさえすれば3年以内に『自分たちの生きる場を、自分たちの手で創ってゆく』ことの大切さを、皆が体感してゆくだろう。それは、長い間権力によって封鎖されてきた、人類本来の豊かな共認充足を再生してゆくに違いない。

●紹介6:生産体(企業)を権力体から共同体(全員参加の合議制)へ
類グループ(企業哲学と共同体制)
(1972年創設の)類は、全員参加の会議体制で運営される 428名の共同体。その中核をなす劇場会議は、各事業部門ごとに毎週一度開催されています。経営上の実践問題にとどまらず、その問題の背後にある、より根底的な問題の分析と解明に取り組んでいます。劇場会議の精髄は、全員が問題を共有し、あらゆる事象を360゜の視点で検討すること。これが共同体・類だけが持つ強みです。共同体企業ってなに? -次代の活力源はみんな期待に応えること--共同体の経営手法とは--新しい会議の形態-

引用は以上です

🙂 ’70年の貧困が消滅して以降、私権獲得に遮二無二なれなくなってきたほとんどの人は、目標を失って迷走している時代でしたが、本当は、本源性が再生される可能性に向かっていたということが事実なんですね☆

:confused: 今まで「家庭」や「現実から離れている集団(=ヒッピー・反体制運動や新興宗教や脱都会など)」に共認充足の可能性を求めていましたが、それらが私権原理(序列)に対する否定をエネルギーとしたもので、今では収束力を失ってしまっています。

🙄 私権時代『自分たちの集団を自分たちの手で変革し統合していくという最も大きな活力源』であり充足部分を失ってきてしまったように思います。その原因は、会社にこそ、集団を統合するための課題があるのだから、一番共認充足があるはずなのに、親和充足や仲間充足って会社の外、アフターファイブでしか得られないって思い込まされてきたんですね~☆『実現論・序文「ホ」を読んで~「いかに充足できるか」が、これからの企業に最も求められるもの』って気づかされました。

今回は以上です。次週に、次章『ヘ.集団を超えた社会をどう統合し直すか?』を、つまり今回は本源集団再生の話でしたが、次回は「集団を越えた社会の行き詰まりどうする?」をお届けします お楽しみに~

投稿者 shijimi : 2009年10月29日 List   

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コメント

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投稿者 yoshi : 2009年10月29日 07:18

世の中、色んなところにガタがきているけど(私権闘争の終焉)、その背後には大いなる可能性が潜んでいたんですね(本源集団の再生)。

私権時代3000年だけを見ていたら、見えなかった可能性ですね(人類500万年の総括に可能性あり!)☆

投稿者 ( ̄▽+ ̄) : 2009年10月29日 14:29

本源充足の可能性が生まれたとき、人々は新たな集団に可能性を求めていったんですね!

現代は、「自分たちが生きる企業(=生産体)」そのものに、本源充足の可能性を求め始めたといったところでしょうか。

これから、人々はどんな集団を形成していくのか気になります!

投稿者 かおり♪ : 2009年10月31日 22:33

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