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2009年10月11日

性的自我だけが暴走した時代、そしてセックスレスへ

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男と女の引力が衰弱してきた
象徴的な現象として、1991年に提起、1992年流行語にもなった『セックスレス』があります。(参照: リンク  )

当時、マスコミで騒がれはしたものの、カップルに対する街角インタービューでは、「セックスレスではあるが特に問題にはならない。他に楽しめる事がたくさんあるし・・・」etc当の本人たちは、全然問題視していない。バブルは崩壊したものの余韻はまだ残っており趣味や遊びに興じている時期だったのかも知れません。完全にその余韻もなくなった1997年の山一證券の倒産に代表される金融破たんの頃には、セックスレスが少子化問題とセットで社会問題化しだしました。
男は、私権(金、身分)による力の基盤を失い、(あんなに渇望していた)セックスどころではなくなり、性の充足が得られない女性の深刻なメンタル面が浮上してきました。
この『セックスレス』の原因構造を端的に述べている記事を元に掘り下げてみたいと思います。

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セックスレスの原因構造~大転換期1970年頃になにが起こったか?~

1970年頃に大転換がおこりました。70年ごろ貧乏人がいなくなった。
要するに飢えの圧力=生存圧力が働かなくなった と言う事です。生存圧力が働かなくなると、性闘争本能も次第に作動しなくなってしまいます
その上さらに私権闘争が衰弱して私権の圧力も低下してしまうので私権獲得の活力さえも出なくなってしまいます

そうして飢えの圧力がなくなったことにより、男が遊びに収束してしまったので女の性的商品価値が沸騰し、男女同権論も相まって女の力が強くなり過ぎてしまいました。
それに対して衰弱してしまった私権(活力)の力ではもはや女に対する独占欲や支配欲(自我)を充たす事さえ出来なくなってしまいました

要するに、生存圧力が働かなくなってしまった事により、これまで男の性欲を生み出してきた性闘争本能も、私権闘争の活力、独占欲(自我)も全て作動しなくなってしまって、さっぱり性欲が湧かないというニッチもサッチもいかなくなってしまったのです。

これがセックスレスの原因構造だと思います。

2段階若しくは、2重構造になっていることがポイントです。

生存圧力が弱まった1970年以降には、セックスレスになることは、必然だったのです。
生物学的に、哺乳類は生存圧力が高ければメスを獲得しようとする性闘争本能が激化します。緩まれば働かなくなります。

一方で、生存圧力が高くても、可能性が無ければ、性闘争本能は封鎖されてしまいます。
例えば、集団を維持する為に、ボス集中婚といった婚姻形態をとった場合や、私権(お金、身分に基づく)原理が働いている時代で、私権が獲得できない場合etc。

では、1970年以降は、どういった時代であったかと言うと、
性闘争本能は衰弱へと向かっている(いつでもセックスレス化する状態)。一方で、万民に私権獲得の可能性が開かれた(1987年の調査には、75%の国民が中流と答えている。 参照 リンク)。

1970年以降は、性的自我(独占欲や支配欲)だけが、暴走した時代と言えよう。
典型的なのが、バブル期。剥き出しの性。それに群がる男たち。
(どんな手を使おうが)お金さえあれば、女(メス)が手に入る生物学上異常な時期
それほど、性を剥き出しにしないと男が振り向かない時代でもあった。

市場の崩壊と共に、性(市場)も衰弱。そしてセックスレスへと。

あまりにも、“セックス”という“体”のみがクローズUPされ、“心”と“頭”の部分が置き去りにされてきた。
性は、“体”という本能だけでなく、“心”という共認充足と“頭”という観念の三身一体(三層構造)による充足によって充たされる。どれが欠けても充足度は低減する。

『本源の性』
究極の“親和充足・共認充足”がセックスにあるとしても、(極限時代の人類は性の充足を活力源にして生き延びてきたこともあり)何となく感覚的には解かるような気はするが、誰も体現したことがない。
心と体が充たされるだけでなく、集団規範に基づいている為に周り(みんな・集団)も充たされる。そんなセックスだったのではないかと予想される。
現代の個人間のみの充足。まだ充足できればましな方で“虚しさ”を覚えたり、後ろめたさ を感じたりする“性”とは、真逆にある。

『新しい萌芽』
私権の獲得に何の魅力も活力も感じなくなってきたように、性的自我も同じことが言える。
私権原理から共認原理へ転換したことによって、上記の“本源の性”を体現(復活)できる時代に移行しつつある(過渡期) 。

男は、(私権による)力の基盤を失った為に、いったん“性”を棚上げにし、それに伴って女は“空き家”状態になっている。と表層的には見える。
棚上げにしているのは、“性的自我”の“性”であって、深層では、“本源の性”へ向かっている(のではないか)。
男は、「社会(集団)をどうする?」という意識に向かっている。それは、女たちの安心基盤(充足基盤)を創っていくのと同じである。また“女たち”は、社会の中で闘っている“男たち”の姿をみて、「支えてあげたい。」という意識に転換しだしている。

“新しい萌芽”をはじめ可能性は拡がっている。
蓋をしている“頭”の部分である“旧い観念”や“制度”、そして“規範”の塗り替え=新しい男女関係の規範創りにかかっている。

投稿者 sodan : 2009年10月11日 List   

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コメント

最近の若者は、性に対して棚上げとも取れるような行動が見られ、それが男性の草食化とも言われていますね。(最近の若者に広がるセックスレスの実態?)

これは共認原理に基づく充足から認識闘争に可能性収束しているからではないかと思います。

このような状況における女性たちも女子の肉食化や婚活等顕在化という形でマスコミがに世間を騒がせているものの、実際は、認識闘争に向かう男性から得られる安心や充足体験から安定基盤を形成し始めているように思います。

この先、女性たちが作り出す安定基盤に基づく闘争集団の形成が実現できれば、必ず性の課題は復活すると思います。

今は、その準備期間ではあると思いますが、上記のような可能性が徐々に現われ始めたということは、近い将来、社会の中から性の充足を基盤とした闘争集団が顕在化してくるのではなかと可能性を感じています。

投稿者 K : 2009年10月13日 22:58

>生存圧力が弱まった1970年以降には、セックスレスになることは、必然だったのです。
生物学的に、哺乳類は生存圧力が高ければメスを獲得しようとする性闘争本能が激化します。緩まれば働かなくなります。

性闘争本能が働かなくなっても、性は再生するんでしょうか?その基盤は何なんでしょう?

投稿者 riko : 2009年10月14日 03:39

生存圧力が働いている状況では、性的自我の背後に性闘争本能が機能しているため、性闘争本能→庇護本能が働きセックスレスにはならなかったのだと思っていましたが、

>性闘争本能が働かなくなっても、性は再生するんでしょうか?その基盤は何なんでしょう?

は確かに?ですね。性闘争本能が再生するのか?それとは別の軸から庇護本能が再生されるのか?

投稿者 HHH : 2009年10月15日 23:02

人類の場合、性闘争本能には自我・私権闘争が相乗りしており、それが性を過激化・商品化してきた歴史がありそうです。

従って、性闘争本能の衰弱は人類の未来にとっても望ましいこと。生物にとっての性、即ちみんなにとっての性として、再生して行ける可能性が開かれたと捉えれば、充足可能性も見えてきますね。

投稿者 kawai : 2009年10月15日 23:04

生存圧力が働かなくなった現在、
同類闘争という同類圧力という圧力が唯一の圧力源=活力源となる。

この同類闘争とは、相手(周り)をいかに充足に導けるか、どれだけ充足させられるかを巡っての闘争である。

究極の共認充足であるセックスと通じるものがある。

私権時代の性闘争が、自我(支配欲・独占欲)と相乗していたのに対して、これからは、(上記のような)同類闘争と相乗して再生するのではないかと考えます。

規範の面で言えば、かつての村落共同体のように、子供が“村の宝”であったように、周りからの充足期待や、それを受け入れる生産集団
の再生による所が大きいと思います。

投稿者 sodan : 2009年10月15日 23:58

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