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2009年07月24日

実体経済→消費者保護法って誰の為のもの?

金融破綻~経済破局→実体経済への流れは、

市場、経済というものを改めて考えさせられるいい機会である

市場の中にどっぷり浸かっていた私たちにとって、豊かさ=お金持ちになることを目指し、『買えるか、買えないか?(買えるお金を持っているか否か)』という判断をしていたが、豊かさが実現すると特に欲しいものは無くなり『必要か、否か!』という意識の芽生え、金融破綻そして実体経済までも影響しだすと、さらにこの『必要か、否か!』という判断はあらゆる面で成されるようになる。

また、物が売れなくなると、生産者はひたすら消費者のニーズ(というより要求)に応えようと、何倍もの労力を費やすようになる。一方で消費者から騙しとろうといろんな手口が生み出された。
02.gif
画像は、 ここ からお借りしました。

その中で、今回は消費者保護法について考えてみた。
消費者保護法って誰の為のものか?

消費者保護って言うからには、『消費者』の為のもの
と思いがちであるが、本当にそうだろうか?

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設立、改善の背景には、一定、消費者の為にという意味合いもあったのだろうが、
実体経済を基に考えると、特には不要な法律ではないだろうか?

実体経済=『必要なもの』を『生産し消費』する。
本来、生産と消費というものは切っても切れない関係であり、
生活する、生きていく上で、必ず消費するし、その分生産する。

誰もが、生産者であった時代。
生産すること事態が、皆が喜んでくれる、皆の役に立てる充足体験・充足活動であり素晴らしいものであったはずである
いつの間にか生産すること=働くことが“苦役”とされ、“苦しみの代償として、お金を受け取るものである”と思い込まされていたのではないだろうか?
若しくは、“やりがい”などの言葉がもてはやされた時代もあったが、どこかで時間の切り売り=自分の時間を割いて労働に当てる。消費するには働かざるを得ないと言った否定的に捉えていた意識があったのではないだろうか?

そこでは、楽して儲ける
さらには、だまして儲ける。(ここまで来ると生産者と言えるのか!)
そんなことが、横行すれば、消費者を保護する法律も必要になってくるだろう!
そして、
消費者の意識の中には、少しでも安く、
少しでも(楽して、人より)得をしたいと欲がつっぱってしまっていたのではないだろうか?
(それでは、だまされも仕方ない!)
とおかしな関係になってしまっていた。
また、
“生産者”と“消費者”が分断されて、消費のみを行なうという“消費特権階級”が生まれてから更におかしくなりだした。消費者の権利はエスカレートし生産者への要求となり、必要以上に生産者に負担がかかるようになった。
生産の高度化へ向けた“期待”であるなら、生産者はそれに応えようと、一生懸命頑張れるが、お客(消費者)にとって(当然の)権利要求である。となってくると疲弊してしまう。

本来は、
生産してくれて“有難う”。大事に食べさせていただきます。使わせていただきます。
といった“感謝”の気持ちが介在していたのではないでしょうか。

(生産するものが違っていたとしても)同じ生産者であるからこそ、お互い生産者の気持ちが解かる。
自分に出来ない何かを提供してくれる。これだけですごいこと。そして、お互い役割を担っているからこそ、皆が求めている、期待されているものが生産出来る。

『必要なものを必要なだけ生産する』『必要なものを必要なだけ消費する』
当たり前だけど、大切なこと!
市場は、縮小するかもしれないけれど、かえって無駄な生産や消費が減り、環境破壊が抑えられることになる。
余った時間は、もっと有効に使うことが出来る。

しかし、そうされると、困る人がいる。

市場拡大を目論んでいる“金貸し”たち。
お金を(無理してでも)借り、利息を払ってくれる人が減ってしまう。
奴隷のようにモクモクと働いて、(苦役の)代償充足として消費してくれる人が減ってしまう。

消費者保護って、誰かを守ってくれているようで、実は市場拡大を目論んでいる“金貸し”たちの為の法律なのではないだろうか?

(今後の為の参考サイト)
消費者保護と悪質商法対策

日経ビジネスオンライン

投稿者 sodan : 2009年07月24日 List   

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コメント

生産力(量)>消費力(量)となった今、消費者はもはや弱者ではありません。むしろモンスターとなって、生産活力を削ぐほどの強大な権利要求者となっていますよね。

これからの消費者保護とは、そんな横暴な消費者を育てることではなく、『必要なもの』を購入し、『社会をより良い方向へ導く』存在として育成することが求められていると思いました。

※なお、消費者庁創設の背後に「弁護士利権」あり。
http://diamond.jp/series/inside/06_07_002/

投稿者 toya : 2009年7月24日 20:34

クレーム社会になったのも、消費者という権利が社会的に強まった(与えられた)からなのかな?!

「自分は消費するだけ」が当たり前の思考性に危機感を感じます。。。

本来、どんな生産にも期待と応望があるのだと原点に戻れたら、一方的に主張することの歪みに気付けるように思います。

投稿者 かおり♪ : 2009年7月25日 01:04

toyaさんかおり♪ さん コメントありがとうございます。

コメントいただくとそれがヒントになって改めて考えさせられます。

消費と生産の分断。これは、
期待と応望の分断とも言えるような気がします。

期待と応望は表裏一体なのですが、応望なくして期待だけだと“要求”、そして“クレーム”へとエスカレートしていく。
クレームの多くは期待を含んでいて、対象化し期待を掴むことによって信頼関係へと発展することもある。
それが、期待もなければ応望(する気)もないとなってくると当然、お互い非充足になる。

“人権”という近代思想に導かれて権利要求だけを訴えると結局、誰も充たされなくなる、ということだと思います。

PS消費者庁創設の背後に「弁護士利権」あり。のサイト覗いてみました。

確かに、権利要求、訴訟社会になれば、儲かるのは“弁護士”ですね。
裁判員制度を思い浮かべてしまいました。
裁判が身近なものになり、全て裁判で解決するというアメリカのような訴訟社会になれば、人間関係もギクシャクしてきそうです。そして、それをメシの種として儲ける人がいる。
ちなみに、アメリカの弁護士も余っているそうです。

投稿者 sodan : 2009年7月27日 19:52

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