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2009年05月26日

日本の精神 2~“連”って何?

tateyamarennpou.jpg

写真は(“連”つながりということで) ここ からお借りしました。

充足体験の積み重ねであったはずの規範は、私権を獲得する為の規範に塗り替えられ、私権が衰弱しているにも関わらず残存している為にズレたままになっている。一方で「明るく」「みんな、仲良く」「前向きに」など“本源風”規範はあるが、表層的で今ひとつ同化し切れないでいる。
現在、あらゆる規範がガタ付いている。それは拠り所を失っているのと同じである。規範の再生を考える上で、私権に塗り替えられる前の規範を発掘し、新しい規範を創出する上での参考としていきたい。
村落共同体では、相互扶助の制度として「結」などが知られているが、調べていくうちに、「結」以外にも「連」「会」「社」「座」「組」「講」「寄合」など規範を生み出す土台や日本の精神を受け継ぐ上で重要な役割を果たしたものがある。
その中で、今回は、  「連」 について紹介したいと思います。

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『凡才の集団は孤高の天才に勝る…』=キース・ソーヤー著
に寄せられた“田中優子”さんの書評
が“連”とは、何か?を解りやすく
表しているように思います。

連は少人数の創造グループだ。江戸時代では浮世絵も解剖学書も落語も、このような組織から生まれた。個人の名前に帰されている様々なものも、「連」「会」「社」「座」「組」「講」「寄合」の中で練られたのである。

 私はこの創造性の秘密は、日本人固有のことではなく、人間の普遍的なありようではないのかと、常々考えていた。江戸時代では、個人が自分の業績を声高に主張しなかったので、連による創造過程があからさまに見えるのではないだろうか。コーディネイターとして人と人をつなげながら自分の能力を発揮した人こそが、日本の文化史には残っている。(中略)

 相手の話をじっと聞き、それを自分の考えと連ねることによって、新たな地平に導く可能性があるからだ。これは相手まかせではできない。能動的な姿勢をもっていてこそできることである。人を受け容(い)れるとは能動的な行為なのだ。 

“連”と言うもの理解する上で押えておきたいのが、起源である。
江戸時代の『 連 』 とは何か

日本の連の起源は二つの方向から考えられる。
ひとつは「連歌」である。古代から和歌の冗談バージョンとして「俳諧歌」というものがあった。「俳諧」とは中国語で滑稽の意味である。この俳諧歌を上の句の「575」と下の句の「77」のパートに分けて、複数の人間が鎖のようにつなげて作ることが始まり、これを「鎖連歌」と言った。中世の連歌は100句、50句を連ねた。連歌を作るためには複数の人間が集まる必要があった。
(中略)
 連のもうひとつの起源は農村の社会構造である。
日本の村は「村」を最小単位とするものでなく、多数の小グループが複雑に交錯し合って村を形成していた。それらは機能によって「座」「講」「組」「結」「中」と呼ばれていた。その中の「講」は仏教の布教にともなってできた全国ネットワークをもつものであり、村は小グループによって外の村とつながっていた。また農村の「一揆」のグループと連歌のグループとは重なることがしばしばであった。町の運営の単位もこの構造に似せて作られていた。

村のイメージが少し変わってきました。
農村と言えば、全てが、村単位で、共同体という深い繋がりの一方で、閉鎖的、排他的なイメージを持っていましたが、“連”や“講”を通じて外との集団(村)との繋がり=ネットワーク化が進んでいたのではないでしょうか
また、現代のようなインターネットという媒体は無かったけれど、専業とは別に“連”という “場”に参加することによって、いろんな人との交流及び情報を共有し、生産活動の土台となる多くのものを生み出している

そして、連の起源である「連歌」から、日本人の精神を読み解くことが出来る。
連歌 (ウキペディアより)”>連歌 (ウキペディアより)

連歌を理解する上でもっとも重要な概念は付合である。連歌は原則として複数の作者による連作によって展開する。具体的には、作者Bがbの句を詠む際に、作品としての一体感を保つために、直前に詠まれた句(前句と呼ぶ。仮にaとする)の内容を参看し、その情景や情趣、句境を踏まえて句を作る。前句aはもとよりB以外の作者(Aとする)の作品ではあるが、Bはaの立場に立って、そのポエジーを推測し、受け継がなければならない。また、場合によっては、次句を詠む予定である作者Cに対して、次の句がつけやすいように前句の作者Aが配慮することを求められる場合もある。すなわちBはbという句の作者ではあるが、bという句に対して十全にみずからの個性を発揮するのではなく、前句aや次句の作者Cに配慮しつつ、前後の流れに合致するように作品を作らなければならない

にもあるように、
相手を想う同化能力の高さや、みんなで創り上げていく精神は連綿と受け継がれている。
それが、崩れ出したのは、西洋の思想である近代思想が導入され、受け入れざるを得なくなった,
たかが100年ぐらいのものである。

日本に伝統的な老舗企業が多いのも
老舗企業の技術革新・・・「老舗企業大国」日本(1/3)
世界一の老舗企業数は企業を超えた共同体意識が作り出したものではないか
「以心伝心」や「“あ”“うん”」の呼吸などといった西洋には見られない、“観念”を超えて相手を想う気持ち(=機能)が日本人には宿っている。

投稿者 sodan : 2009年05月26日 List   

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コメント

日本人が多用する“連帯感”を連想しました。
その構造を認識し、意図的にシステム化していたのでしょうね。

Googleで連帯感を検索ー
http://www.bc-mgnet.com/blog/detail_658.html
連帯感のための3つの条件(今野誠一の“マングローブ的生き方”ブログ)
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2008/05/post_b276.html
チームとしての連帯感(茂木健一郎 クオリア日記)
http://www.jftc.or.jp/shoshaeye/openingarticle/contrib2003_01.pdf
共同体としての連帯感(日本貿易会月報 住友商事株式会社会長 宮原賢次氏)

色んな視点から語られていますね。

投稿者 ( ̄▽+ ̄) : 2009年5月29日 17:27

相互扶助の制度にしろ、連歌にしろ、より連なることに頭を使っていたんですね。
現代の核家族や個人成果主義から考えると、うまく考えているなぁ!と思いますが、
日々感じている連帯することでの活力を思い浮かべれば、そちらの方が自然だったようにも感じます(o^∇^o)ノ

投稿者 かおり♪ : 2009年5月30日 18:45

( ̄▽+ ̄) さん、かおりさん
コメントありがとうございます。
コメントをいただくと改めて考える機会にもなり、さらに深まっていく気がします。
これも一種の“連”なのかと思いながら書いています。

日本人の精神(意識)に「みんな一緒」という思考があります。これも元をたどれば“連”と言えるかも知れません。(但し、江戸の連とは少し違いますが。)
事例として上げていただいている“連帯感”しかり、連なり、繋がり・・・・。
全てが連なり、繋がっている言えるでしょう。
「みんな、一緒」といっても、同じ人が居るわけではなく、一緒の環境・境遇にいること、一人ではない、繋がっているんだ!と安心できること、そして、相手に想いを馳せることで、充足感を共有していたんだと思います。

だからこそ、引用元にもあるように、
> この連歌は様々な革新を経た後、17世紀には「俳諧」として農民から商人までを巻き込む文学の一大ジャンルとなって社会に定着した。<
一部の統合階級である貴族などに留まらず、庶民にまで広がったのだと思います。

もっと大きな視点で捉えてみると
宇宙の始まりから始まって生命の起源、そして自分自身も、どれ一つとっても途切れるものはありません。
欧米の「自然は支配するもの人間が利用するもの」に対して、日本人(アジア)の「人は自然の一部である」と言った自然観なんかも当てはまるのではないかと思います。

投稿者 sodan : 2009年6月5日 23:55

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